第4話 エルージュティアの悲劇 後
クオトラは彼女の異常な様子に驚きつつも、何か恐ろしい気配を感じ、二人の戦いに再び目を向けた。異形は身構え、レクティラも右手を翳して対峙していた。
そして、それは同時に起こった。異形が再び急突進すると、レクティラの胸部が一際強く輝き、二体の間に瓦礫の壁が生成された。
異形の突進は瓦礫の壁に阻まれ、止まった。
「間違いない……あの男が使っているのは、伝説にある『秘炎核』の力……。竜種の伝説が本当だったなんて……」
フレーリアの声は震えていた。
「秘炎核……か」
クオトラが呟くと、フレーリアは頷いた。
「そう、秘炎核。竜種の持つ強大な権能を収めるために作られた、神竜の力の欠片。竜ではない体であっても、この器官があれば、竜の力を操ることができると伝えられているわ。でも、今あの男が使っているのは……まさか本当にそんな力があるなんて……」
「竜種……いや、神の力の源か……。それが本当に存在するなら、あれくらいのことをやっても不思議じゃないな……」
クオトラは、瓦礫の壁をもろともせず突進を繰り返していた異形を見つめながら呟いた。
「ググガ……」
異形の胸部が黒く輝き始めた。レクティラの放つ白い光とは対照的に、鈍く禍々しい光が放たれている。見続ければ、何かに取り憑かれそうな不安感を覚える光だ。
「なっ……!」
レクティラが後方へ跳躍した直後、二人の間にある崩れかけた瓦礫が、黒い炎に包まれて消えていった。
異形が歩き出す。そして何かに気を取られたように、ふと横を向いた。その動作は普通のものであったはずだが、異形が目を向けた家屋は、黒い炎に侵食され、塵と化して消えた。
つまらなそうにその様子を見た異形は、再びレクティラを睨みつけた。レクティラはその視線を受けながらも、今度は自ら突進し、竜の腕で横薙ぎに斬りかかった。
爆発が起きたかのような轟音と共に、地面が大きくえぐれる。
レクティラの一撃は異形を捉えたが、致命傷には至らなかった。異形は素早く身を翻し、反撃の拳をレクティラの腹部に叩き込む。レクティラの体がくの字に折れ曲がるが、その一撃は本命ではなかったようだ。
「それが狙いか……」
レクティラの右手に黒い炎が巻きつき、侵食し始めていた。レクティラは半ば呆れたように右手を掲げ、水を呼び寄せてその手を覆ったが、黒い炎は消えない。
異形の体に纏わりついていた黒い鱗のようなものも、徐々に剥がれ始め、元の姿が見え隠れしている。そしてレクティラの体も、少しずつ黒い炎に侵食され、その姿を変え始めていた。
「互いに残された時間は少ない……ならば、総力戦といこう」
レクティラは左手を高々と掲げた。竜の腕の側面に、地上から小石が集まり、その表面に金属質の音が響く。石と金属が混ざり合い、白銀の柄に石の刀身を持つ剣が現れた。
レクティラが持つその剣には、圧倒的な殺意が宿っている。一撃で決着をつけることを確信させるその威圧感が、クオトラにも伝わってきた。
異形もまた、変貌した口元が人間に戻り、笑みを浮かべている。その姿は、まるで踊るように軽やかで、そして低く身構えた。じりじりと、空気が焦げるような感覚がクオトラの肌に伝わってくる。今や彼の産毛は焼ける寸前のようだった。
「決着がつく……」
クオトラの心がつぶやいた。
最初に動いたのはレクティラだった。右手を異形へ向ける。しかし、異形は一瞬で姿を消した。予備動作すらない、 異形の軌跡に唯一残ったのは、元々居たはずの空間の炎だけ。レクティラは異形の行方を探すように、周囲を見回す。
「グコググァ」
恐ろしい声が聞こえる。クオトラが声の方に目を向けると、上空に異形の姿が見えた。
異形はレクティラの背後に降り立ち、その鋭い一撃を繰り出すが、レクティラはすでに上方に刀を構えていた。刀は異形の攻撃を受け流し、異形の体を弾き飛ばす。
しかし、異形は倒される寸前に、足を振り上げ、レクティラの右足にクリーンヒットする。その一撃でレクティラの右足には黒い炎が巻きついた。
レクティラは溜息をつき、左手を地面に突き刺し、右手を掲げた。異形が再び跳び上がろうとするが、地面が揺れ、異形の体は引き寄せられるように地面に張り付いた。そして、レクティラは左手で地面を切り裂き、飛び上がった土砂が異形を包み込む。
きっと油断していた訳では無いだろう。それでもそれは大きな負傷であった。足にまで付けられた黒い炎。先程から侵食を始めている右腕は、既に手の平が燃えきってしまい、前腕まで炎が上っているようだ。
レクティラは溜息をつき、左手を地面に突き刺し、右手を掲げた。異形が再び跳び上がろうとするが、地面が揺れ、異形の体は引き寄せられるように地面に張り付いた。そして、レクティラは左手で地面を切り裂き、飛び上がった土砂が異形を包み込む。
その砂はまるで、意思を持ったかのように異形の体にまとわりつき、異形は必死に逃げ出そうと足掻くが、完全に土砂に捕らえられてしまった。
レクティラが再び刀を振り上げる。光を失った鈍い刀身が、異形の胸を狙って振り下ろされようとしている。
「やめろ!」
クオトラは反射的に叫んだ。彼の体は自分でも気づかぬうちに前へと躍り出ていた。振り下ろされた刀は、異形が寸前で受け流し、右肩に逸れたものの、刀は地面を深々と穿ち、異形の右腕を完全に切り落としていた。
切断されてなお蠢く右腕は、まるで蛇のようで、抑えていなければ、レクティラを攻撃するだろう。レクティラは一度大きく息を整え、再度刀を振り上げている。今度こそ異形を殺しきる為に。
「何をするつもり!?」
フレーリアが叫ぶが、クオトラはもう自分を止めることができなかった。目の前の異形、しかしかつての優しい青年を見殺しにすることがどうしても耐えられなかった。どんなに恐ろしい存在に変わり果てても、かつて彼は自分にこの世界のことを教えてくれた人物だったのだ。
「餓鬼……何を……」
レクティラは驚きの表情を浮かべたが、渾身の力で振り下ろそうとしている一撃は止まらないだろう。クオトラは、自分自身も異形も同時に切り裂かれる覚悟で、腕を交差させ、全力で刀を受け止める準備をしていた。
切断される未来が頭をよぎる。だが、クオトラは目を閉じなかった。生き延びる希望を信じ、刀を受け止めるつもりで立ちはだかる。
「ナゼ」
しかし、その刀はクオトラを切り裂くことはなかった。振り下ろされた一撃はクオトラの肩を巻き込み、腕を砕き、あまりの衝撃に彼は血を吐き出した。真っ赤な血が地面に染み込んでいく。
それでも今この瞬間は生きていた。薄れゆく意識の中でレクティラを見れば、その刀身は消え、ただの腕と化していた。
「この……ガグガァァぁあァァ!」
異形が叫んだ。直後、レクティラの左腕が黒い炎に包まれ、消滅していく。その炎は瞬く間に彼の胸部へと広がり、レクティラの体を覆い尽くした。
「お前のせいだ」
異形は残った腕を振り下ろし、レクティラに触れた瞬間、真っ黒な炎が爆発するように広がった。レクティラは哀しげな表情を浮かべたまま、真っ黒な炎に包まれ、彼の体は一瞬で塵と化し、風に溶け込んで消えていった。
「クオトラあぁぁぁああああ」
フレーリアの叫び声が響いた。彼女が駆け寄ってきたのが分かるが、クオトラの視界はもはやぼやけ、彼女の姿をしっかりと捉えることができない。体のどこにも力が入らない。もう、いつ死んでもおかしくない状況だった。
フレーリアに体を揺さぶられるが、それに応じることもできず、ただ無力に揺らされるままだ。
フレーリアのすすり泣きが響き渡る中、レクティラを包んでいた黒い炎も徐々に消え去っていった。
「す……まない」
悲しげな声が聞こえた。声の主はルーシュだった。彼は所々まだ黒いままだが、顔はすっかり元の青年の姿に戻っていた。
ルーシュはクオトラの状態を確認し、首元に手を触れた。クオトラがもうほとんど反応しないのを見て、ルーシュは大きく息を吐いた。
「これが結末か……。だが、君は私を救ってくれたよ。見えない世界を教えてくれて、本当に感謝している……」
「それってどういう」
フレーリアが震える声で問いかけるが、ルーシュはそれに答えることなく、静かに微笑んだ。
クオトラは、彼の変色した左手に目を奪われた。手の皮膚はすでに剥がれ、骨が見えかけている。ルーシュはその左手を唐突に地面に叩きつけ、骨が折れる音が響いた。そして、彼の左手を覆っていた黒い色が、すっと消えていった。
そしてルーシュは大きく息を吸い込むと、おもむろに自身の胸へと骨が露出した左手を突き立てた。ぐじゅぐじゅと、人間の感性を殺す音が響き、取り出した左腕には未だ蠢く心臓と、白色に輝く小さな石が握られていた。
ルーシュは心臓を握り締め、その中から垂れる赤い血液をクオトラの口元へ注いだ。抵抗する力を失ったクオトラは、無意識にそれを飲み込んでいった。
その後、ルーシュは小さな光の欠片をクオトラの胸元に押し当てた。光の欠片は脈動し、徐々にクオトラの体に吸い込まれていく。
「ルーシュさん……私は……」
フレーリアが泣きながら、ルーシュに手を伸ばそうとする。しかし、その手が彼に触れることはなかった。
ルーシュは一度フレーリアに振り向き、優しく微笑んだ。
「ありがとう。またいつか会えたらいいね」
ルーシュはそう言って、クオトラへと振り返る。そして腕輪のような何かを、クオトラの腕へと付ける。
「初めまして、親愛なるもう一人の僕へ。君にすべてを背負わせるのは申し訳ないが、せめて最後の時を託させてくれ……」
ルーシュはクオトラの胸元に手を当てると、そこから強い光が放たれた。彼はその光を見届けると、微笑みを浮かべ、黒い煙となって空中に溶けて消えた。
「あ……ぁ……」
クオトラは、せめて最後の別れを伝えたかったが、声にならない嗚咽が漏れるだけだった。全ての力を使い果たした彼は、ゆっくりと瞳を閉じる。最後にフレーリアの声が聞こえた気がしたが、もうその言葉を認識することはできなかった。




