第39話 破滅への逃走
クオトラは両手を広げ、敵意がないことをアピールした。王も、すぐに何か行動を起こす様子はなく、焦りの色も見られない。
「褒美をやると言った手前、主の疑問にくらいはこたえてやろう」
王は姿勢を変え、椅子の背もたれに寄りかかった。服に付いている金属質のアクセサリーが触れ合い、甲高い音が室内に響く。
「ふむ。なんでも答えてやるが、何を聞きたい? フレーリア、主でも良いぞ」
クオトラが生唾を飲み込む。
「じゃあ、なんであの悲劇が起こった時に、大人たちは教会に行ったんだ……?」
フレーリアの話からも間違いない。あの日、あの雨が降り始めた直後、両親も含めて大人たちは何故か教会に集まっていた。さらにはその屋根だけが狙われたかのように壊れていたことが記憶に残っている。
「ほう」
王は驚いたように自身の髭を摩る。そうして少しの間を置いて息を吐いた。
「良い。齢二十を越えた人間には各都市に配置した司祭によって教育が行われておるのだ」
「教育?」
王はにやりと嫌な笑みを浮かべている。
「左様。何かが起きた時に祈れば助かると教育していたということだ」
「どうしてそんなことを……?」
クオトラは驚きつつも、衝動的に飛びつこうとする体を無理やり押さえつける。
「効率だ。教会に集めるようにすれば、その後の回収も楽に行える。そして、選別も一瞬で行うことができるのだ。さらに、大人がいない状況ならば、近隣の街に情報が漏れる可能性も少ないだろう」
淡々と話す王の言葉が、クオトラとフレーリアには響かなかった。
「じゃあ、なんでアルフィグはあの日あんな地獄に襲われたんだ……」
「それは契約だ。不運なことにあの時期には在庫の欠片が足りず、神がご乱心でな。運悪く、あの地で賄う事になってしまったのだ」
王は申し訳なさそうな素振りを見せたが、それが表面だけのものであることは誰の目にも明らかだった。
「うん……わるく……?」
「そうだ。王都から比較的近く、人口が多い街。そして直接的な被害が王都に及びにくいことが災いしてしまい、あの日あの街を使うことになってしまったのだ」
「何のために……?」
堪え切れず声を上げたフレーリア。その瞳からは溜まった涙が零れ落ち、表情は悲愴に歪んでいた。
「赤い神はこの地を豊かにしたいとの事だ。そのためには来るべき器を育てる必要があり、育てるためには欠片が必要だった。そして、欠片を集めるためには人々を死竜にする必要があったというわけだ」
クオトラの精神は限界だった。それ以上に、クオトラの中にいる彼が、怒りを抑えることが既に限界に近づいていた。
「そんな理不尽な理由のために……」
クオトラにはそれが他人事とは思えなかった。
「残念だが、民とはそういうものだ。将来の豊かさのためには多少の犠牲はつきものだろう。それに、わざわざ優秀な血を持つ人間をあの地に集めた甲斐もあったというものだ」
「あの地に集めた……? アルフィグに……?」
「そうだ。わざわざそのためにこの国の街は育てているのだ」
王の表情には既に悪気の色は残っていなかった。むしろ、当たり前のこととして語るその姿からは、住人たちをただのリソースとしか見ていないことが露わになっていた。
「許さない……」
クオトラが怒りの高まりを感じた時、既にその拳は発火していた。鋭く伸びた爪が自身の掌に突き刺さり、垂れる血液と革製の手袋が炎に巻かれ、嫌な匂いを漂わせる。
「主……いや、器でもなければこんな力は……。一体何者だ」
王が驚き、椅子から立ち上がる。同時に手を振ると、クオトラの周囲を六人の兵士が取り囲む。
「クオトラ・アタラネルヴァ、主は何者だ」
目と鼻の先に突きつけられた六本の槍。答えによってはすぐにでも穴だらけになるのは明白だった。しかし、そんな状況でも怒りに任せた行動を取らないだけ、クオトラは必死に理性を保っていた。
「僕はアルフィグで生まれた人間だよ。お前らに故郷を壊されたただの人間だ」
「アルフィグ出身……。そうか、なるほど、あの中に本物の竜人が居たということか……」
王は傍らに置かれた剣を抜いた。
「最悪欠片にしてしまっても構わない。トゥルエイト、入って来るのだ」
王の声とともに出入口の扉が開かれ、トゥルエイトがクオトラの目の前へ現れた。しかし――。
トゥルエイトは襲いかかるふりをして、わざとらしく剣をクオトラの爪に衝突させた。激しい音と衝撃に、周囲を囲む兵士が一歩後ずさる。
「残念だ。西に走れ。白の大地に渡れ」
トゥルエイトの声は小さく、真正面のクオトラにだけ聞こえるほどだった。
クオトラは発火した両手を地面に叩きつける。激しい音と共に土煙が上がり、火が消えた両手でフレーリアを抱えて駆け出した。
「達者で」
トゥルエイトの声が、微かに背後から聞こえた気がした。
クオトラは王城の壁を破壊しながら進んでいく。硬い石壁に突き刺さる竜の爪の感触が手に残るたび、その分だけクオトラの体力が削られていくのを感じた。
「ごめんね、クオトラ……」
フレーリアが弱々しく呟く。肩越しに視線を向けたクオトラだったが、彼女の顔は彼の背中に埋もれ、その表情は見えなかった。
王城の壁を抜け、王都の街並みが目に入る。まだ朝だというのに街は騒然としていた。クオトラの異様な姿を見た市民たちは道を譲り、ざわつく。
その速度は、通常の馬をも凌ぐ勢いだった。
街を抜けると、目の前には冬の森が広がっている。冷たい風が顔を撫でる中、クオトラは木々の間をすり抜けるように進む。気配を殺すように慎重に進むも、その速度は凄まじく、周囲の景色が瞬く間に後ろへと流れていく。
「もう限界かも……」
クオトラの足が悲鳴を上げる。靴は既に壊れ、裸足が冷たい地面に擦れるたび、血が滲んでいた。後ろを振り返るが、追っ手の気配は感じられない。それでも気は抜けない。
ようやく広場のような場所に出たクオトラは、木陰に腰を下ろし、フレーリアを降ろした。
「大丈夫……クオトラ?」
フレーリアが心配そうに彼を見つめながら、背中をさする。その手つきには焦りと迷いが混じっていた。
「うん、大丈夫。それより……あとどれくらい走ればいいのかな」
クオトラは息を整えながら、森の中を見渡した。視線が遠くを見据えるフレーリアに向かう。
「後ろは……まだ追っ手はいないみたい。でも、足跡が残ってるから、見つかるのは時間の問題ね。森を抜けるまで……あと2分くらいかしら」
驚異的な視力を持つフレーリア曰く、森の出口は近いとのことだった。クオトラは安堵しつつ、いい位置で体力が尽きた幸運を喜んでいた。
「ありがとう、フレーリア。もう少ししたら進もう。出来れば後ろの警戒を頼みたいかな」
「分かった。それは任せて」
大きく息を吸い込んで大きく吐き出す。呼吸を整えるべく、クオトラは体を必死に休ませていた。
周囲の森は薄雪に覆われ、枯れ木が大半を占める中、ぽつりぽつりと鮮やかな赤や黄色の果実を宿した木々が点在していた。その場違いな彩りは、冬の冷気に凍りついたような静寂を際立たせていた。
「よし、行こう」
クオトラは背負っていた刀を下ろし、フレーリアに手渡す。そしてそのままフレーリアを背負い、立ち上がった。
クオトラが駆け出すと、背中に背負った刀が揺れ、鞘の金具がぶつかり合い、乾いた音を立てた。その音にわずかな緊張を覚えながらも、彼は速度を緩めることなく森を進む。
フレーリアの言葉通り、少し駆けたところで森を抜けて、草原が姿を現した。さらには整備された道もあるが、ここがどこなのかおそらくお互いに知らないだろう。
「後ろは大丈夫。正面はこの先に進むと街があるみたい。トゥルエイトさんの言う通りなら、ネフィリムって名前の街のはず。その先に進めば白の大地に通じる道があるはずよ」
若干の雪を残した草原を進む。人も動物も少ないのは、今の状況からすれば僥倖であった。
木々が点在する程度の開けた草原。整備された道なりに進めば、目の前に小規模な街が現れた。人の気配は薄く、建物はどれも背が低い。しかしながらそんな街の先には建物より遥かに高い塀が見える。
「流石にあれを飛び越えるのは厳しいかも……」
凡そ5メイルはあるだろうその塀は少々山なりになっているものの、最上部には反しのようなものが付いており、よじ登る方法は厳しく見えた。仕方ないと、クオトラは兵のすぐ側まで走り寄った。
幸い街にも人影は少なく、クオトラを怪しむ者もいなかったように思えた。
「うーん、今街の人に詳しく聞く余裕は無いんだけれど……。流石に出入口が一切ないなんてことは無いはずだから塀に沿って探すしかないわね」
「そうだね。ちょっと急いで塀の周辺を見てみよう」
クオトラはまたフレーリアを背負い、駆け足で塀に沿って進む。駆け足とはいえ、通常の人間の走る速度よりも確実に早い。
「追っ手は……?」
「まだ来ていないみたい。あと、森の外は雪が降っていたこともあって、草原から先にわたし達の跡がほとんど残っていないわ」
「でも、森までの足跡が残っているならこの場所の特定は訳ないよね」
追っ手がまだ居ないのは助かるが、それでもいつ来るか分からない恐怖は常にそこにある。
「とにかく探そう」
塀は街の端の先までも続いており、非常に大規模なものであることが分かってしまう。
「あっ……!」
と、急にフレーリアが大きな声を上げる。
「クオトラ、地面を掘って向こうまで行けばいいんじゃない?」
「なるほど!」
王都の造りからヒントを得たフレーリアがクオトラに提案した。クオトラは急いで街の外れまで走り、塀すぐ側の地面を掘ってみる。
塀の直下まで掘るが、その場にも塀の基礎か作られており、先までは進めない。しかし、さらに深くまで掘ると、壁の先まで掘ることが出来そうであった。
冬季の温度に冷やされた土は非常に冷たく、クオトラから熱を奪っていく。それでも我武者羅に掘り進め、なんとか壁の外まで掘り進めることが出来た。
「こんなの僕じゃなかったら一日はかかってるよ」
土にまみれた竜の腕を見たクオトラが弱音を吐く。なんとか体を潜らせて、二人は塀の外側にたどり着いた。
「これが、絶海……」
4つの大地を区切る水の道。それは絶海と呼ばれていた。だが、それも伝説に近いもので、本当に見るのは初めてであった。
絶海には常に嵐が吹き荒れ、大地間を渡ることは出来ないと聞いていたが、この日は嵐もほとんどなく、少し遠く、街の辺りの海は開けているような気がした。
そして、クオトラとフレーリア、共に驚きの表情ではあるがその意味は微妙に違うようだった。
「なに……あれ」
「どうしたの?」
フレーリアは口元を抑えていた。驚き声をかけるクオトラだが、フレーリアはなんの反応も示さない。クオトラは懸命に目を凝らしたが、フレーリアが驚く理由は見つけられなかった。
クオトラはフレーリアをだき抱え、筋の見える方へと走り出す。距離は大したことはなく、すぐにたどり着いたが、何故かの周辺の絶海は濁っているように思えた。
「なんだ……これは……」
そうしてようやくクオトラはフレーリアが驚いた理由を知った。
まず、一筋の何かはやはり道のようになっており激しい水の流れの中で、その道だけが緩やかになっているようだった。
そしてその筋の周囲には、人間であったと思わしき何かが大量に浮かんでいた。
「もしかして……」
確証はないが、先程の街で明らかに人影が少なかったことを考えるとあの人々がこの周辺の街人だった可能性は少なくもない。
「渡ろうとして、何かがあった……ということ……か?」
進むしかないと思っていたクオトラだが、その奇妙な光景に足がすくんでいた。どんな理由かは分からないが、目の前の風景からは人が溺れる理由が想像できない。
さらにはそれぞれの体が、なにか強力なチカラでちぎられたかのように切断されたり潰れたりしているように見えた。
塀の内側はもう見る手だてが無いため、追っ手の有無は分からない。それでもこの街人が大勢いることから、塀を超える手段が存在していることは確かだろう。
「フレーリア、行くしかないよね」
元よりそのつもりだった。それでも、誰かの肯定が欲しくなり、クオトラは縋るようにフレーリアに話しかける。
「行こう、行くしかないよ」
弱々しいが、芯のある声でフレーリアが答えた。
フレーリアの腕は震えており、クオトラがその手のひらを握りしめる。フレーリアも異形と化したクオトラの竜の手のひらを握り返していた。
大きく息を吸い込み、吐き出したクオトラは絶海へと作られた道に足を踏み入れた。
1歩目は呆気ないほど普通に着地することができる。緩やかな水の流れの感覚が足を伝うが、ただそれだけで何かおかしなことは特にない。
安全を確認したクオトラは2歩目、3歩目と足を進めたが特に問題は起きない。
「フレーリア、先は見える?」
「ええ、うっすらと影のようだけれども山のようなものが見えるわ」
フレーリアが見たという山。間違いなく、この道の先に大地があるということだった。
「ありがとう、覚悟ができたよ」
クオトラは決心したように歩を早めた。
恐る恐る歩きつつ、速度を早めていく。問題なさそう……と思っていたが、後ろの大地が少し遠く見えてきたころ、急に足元の流れが強くなった。
「うわっ……!?」
足が取られそうになるのを必死に耐える。それでも危険を感じ、強く地面を踏んで足をめり込ませた。竜の爪が伸びているクオトラでなければもっと簡単に足を取られてしまっていただろう。
「大丈夫、クオトラ……?」
「うん、なんとか。一瞬流されそうになってびっくりしたけど」
額を伝う冷えた汗を拭って深呼吸をするクオトラ。
「フレーリア、しっかり掴まっててね」
背負うフレーリアを支える力を強めて、クオトラは一気に駆けだした。足元を取られるより早く、クオトラは進む。
だが、今度は横殴りの風が襲ってくる。浅瀬の道から絶海に向かって吹く風は意志を持っているようにすら感じられるだろう。
「フレーリア、正面はどんな感じ?」
クオトラの声には焦りが感じられたが、それを押し殺そうとする石も感じられた。目の前には水のしぶきによるモヤがかかっており、くおとらの目にはほとんど何も見えない。
「うーん、多分……陸が見えるわ。それもあんまり遠くなさそう。今が3分の1くらい……いや、それよりはもう少し進んだかも」
後ろと前、それぞれを見比べてフレーリアはそう答えた。
「分かった、ちょっと急ごう」
横殴りの風からなんとか耐えているクオトラだが、その場に留まれば体力が削られるのが先な気もしてしまっていた。
クオトラは再度駆け出した。しかし、先程とは違いほぼ全速力であった。横からの風が吹き付けるが、バランスが崩れるより早くクオトラは進んでいく。
順調かと思われたが、急にクオトラの腕から鮮血が飛び散った。
「ッーーー!」
驚きながらも足を止めずに腕を見れば、鋭い何かで切られた跡が残っていた。その後も、足、腹部と、乱雑に体を切りつける何かが居た。
「クオトラ!?」
「大丈夫……大丈夫」
恐怖はあったが、足を止めては行けない気がしてクオトラはひたすらに走り続けた。
謎の力で身体の至る場所が切りつけられる。しかし、薄皮を切り裂く程度の浅い傷がほとんどで、動きが止まるほどの傷はついていないようだった。それでも徐々に増える生傷に、クオトラの表情は歪んでいく。
「くっそ、なんなんだよ……」
痛みに耐えて走り続けていると、正面にようやく陸地が見えてくる。もう少し……その時だった。
「いッーーーー!」
一際大きな血飛沫が上がる。しかし、クオトラは大した痛みを感じていない。恐る恐る目線を下に向けると、フレーリアの肩口に大きな切り傷が出来ていた。
その傷はクオトラとは比較にならない、明らかな重症だった。理由は分からない……だが、それが皮膚の強度の問題だとすれば……。
クオトラは守り切れなった自分を責めつつも、体を前傾気味に変えて、速度をあげる。
「もう少し、もう少しだから」
それは自分に言い聞かせるようなほど小さな声だった。大地に向かって滑り込むように、クオトラは浅瀬の道を走り抜けた。
「フレーリア!」
その場に座り込み、肩を抑えるフレーリアを寝かせた。
「貴方の方が血だらけじゃない」
苦痛に表情を歪めていたフレーリアが必死の笑顔を作っていた。弱々しい声は小さく震えながらも、心配させまいとする意志を感じさせた。
「僕は大丈夫だから、安静にして」
クオトラは焦りながらも、彼女を落ち着かせようと下手な笑顔を作り返す。
フレーリアの傷は骨にまで到達しているようで、ぱっくりと割れた傷口がなんとも痛々しい。対してクオトラも体の到る部分から血液が溢れ出し、全身が血にまみれていた。さらには身につけていた手袋は焼け落ちボロボロで履いていた靴も足首に括られた一部しか残っていない。
まさに満身創痍といった状態だった。
「なんだ、旅の者か……?」
急に聞こえた声にクオトラは身構えた。声の主は、正面にいた。
青い目が印象的な、黒髪長身の青年だった。黒々とした羽織と袴に身を包んだ姿は、赤の大地でほとんど見ることの無い格好であった。
「何の用だ……」
恐る恐るクオトラが問いかけるが、男は敵意がないとでもいいたげに、両手をひらひらと振っていた。
「血だらけの姿で気になったから声をかけただけサ。その状態じゃ、治療が必要じゃないのか?」
「治療……?」
「細かい話はいいから、ついてきなヨ」
不思議なイントネーションの青年は、笑って手招きしている。一瞬悩むクオトラだが、この場で優先すべきはフレーリアだと考えたのだろう、彼女を抱えて青年の後を追うことにした。




