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第37話 虚実の狭間

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「団長が体調不良?」


 クオトラは驚きの声を上げた。想像もしなかった知らせに、眉間にしわを寄せる。団長のイメージは、感情を感じさせない無機質な存在。体調不良とは無縁に思えていたからだ。


「そうだ。だから当分の間は私が団長の代理を務めることとなった。団長が復帰するまで、君に付きっきりというわけにはいかなくなる」


 トゥルエイトは淡々と話すが、その声にはどこか影があった。


「体調は、そんなに悪いの?」


 素朴な疑問が口をつく。トゥルエイトが離れることはどうでもよかった。ただ、あの団長が病に倒れるほどの状態というのが信じられず、その詳細が気になった。


 トゥルエイトは短くため息をつくと、前置きをした。


「この話は他言無用だ」


 その一言には、どこか重々しい響きがあった。


「団長は私たちと同じだ。秘炎核を取り込み続けている」


「なっ……!?」


 思いもよらない答えに、クオトラは言葉を失う。団長が自分たちと同じだという事実が、頭の中でうまく繋がらない。


「彼は、純粋な人間の身でありながら、その優れた耐性ゆえに秘炎核を受け入れている。しかし、その代償がどれほどのものか……私たちより理解が浅いのだ」


 淡々と語るトゥルエイト。その表情はほとんど変わらない。それなのに、クオトラにはどこか悲しみが滲んでいるように見えた。


「じゃあ、体調不良っていうのは……?」


「その通りだろうな。肉体が崩壊し始めているのだ。死期も、そう遠くないはずだ」


 クオトラは息を飲む。団長の存在の重要さを日々感じてきたクオトラにとって、それは衝撃的な事実だった。


「助ける方法はないのかな……?」


 言葉は小さく、それでも震えていた。けれどもトゥルエイトは首を横に振った。


「正直なところ、今の彼を救うには極めて難しい。君や私の血を分けたところで、肉体がその力に耐えられないだろう。唯一可能性があるとすれば、祖たる竜の肉を喰らうことだ」


「竜の肉を……?」


 予想もしなかった方法に、クオトラは目を見開いた。


「そうだ。竜の血は、人間を竜に変える。しかし、それは適正の有無による。だが、竜の肉はその限りではない。肉そのものが人間の体を竜の細胞に作り替えるという……記録がある」


「記録……?」


 クオトラの問いに、トゥルエイトは少し口ごもった。


「これは私が産まれるよりも前の話なのだが、どうやら、白の大地で祖たる神竜の眼球が人間によって切り落とされたことがあったらしいのだ」


 トゥルエイトは、これまで以上に真剣な面持ちでクオトラを見据えていた。その表情の硬さに、クオトラは無意識に緊張を覚える。話題があまりにも重大で、通常なら決して口にすることのない禁忌を触れているのが伝わってきた。


「人間が神を傷つける……そんな話が本当なら、一歩間違えれば罪人どころか存在すら抹消されかねないだろう?」


 トゥルエイトの静かな声が、その重みを倍加させる。帝国軍に所属する者として、このような話を持ち出すこと自体、どれほどのリスクを伴うかは明白だった。それでも、トゥルエイトの瞳には揺るぎない確信があった。


 クオトラは喉を鳴らしながら、微かに頷いた。彼にはこの空気を重くする真相を完全に理解することはできなかったが、トゥルエイトの語る話が単なる冗談ではないことだけは察していた。


「それで……その後、何があったんだ?」


 恐る恐る問いかけるクオトラに、トゥルエイトは一瞬目を閉じ、記憶を整理するように言葉を紡ぎ始める。


「その眼球と周囲の肉が、人間の手によって喰われた。そして、その結果白の竜は片目を失い……その肉を喰らった人間は、竜種に限りなく近い身体を手に入れたそうだ」


「竜種……?」


「白の大地には、竜人と呼ばれる者たちが存在する。その起源の一部は、この事件にあると言われている」


 トゥルエイトの言葉にクオトラは息を呑んだ。白の大地の竜人――それは遠い地の話としてしか聞いたことがない存在だ。しかし、その誕生の裏に神竜を傷つけるという壮絶な出来事があったなどとは夢にも思っていなかった。


「これは……私の記憶ではない。過去に器だったときに、あの竜から得た記憶だ。確証はないが、おそらく真実だろう」


その言葉は、半ば独り言のようだった。だが、クオトラには耳障り以上のものを残した。


「そうか……じゃあ、竜の肉さえあれば……誰でも助けられるってことになるんだね?」


 クオトラの脳裏にはフレーリアの姿が浮かんだ。彼女が死に瀕したあの時、もし竜の肉があれば――。だが、その想像の先に広がる道は、ただ安易な希望だけではなかった。


「そうだ」とトゥルエイトは静かに言った。「だからこそ、私も彼を助けたい。そして、それを可能にする手段がある以上、人間が竜を傷つけることも不可能ではない」


「……」


 クオトラは何も言えず、ただ黙ったままだった。その顔には、不気味とも言えるゆがんだ笑みが浮かんでいたが、本人にはその自覚がない。


 トゥルエイトは再び話を続ける。


「話を続けるが、この国の王は赤の竜と繋がっている。だが、私は赤の竜に存在を認識されていることもあり、国王は私に竜の情報を教えようとしない……だが」


 そう途中まで話すと、トゥルエイトは笑みを浮かべた。彼も団長と似たり寄ったりの無機質な雰囲気を持つ人間であり、表情の変化や感情の起伏は小さい。しかし、そんな彼の笑みはクオトラにとってはむしろ非常に不気味に映っていた。


「だが……?」


 クオトラが続きの言葉を待つ。


「さて、話を戻そう。この国の王は赤の竜と繋がっている」


「なに……?」


 クオトラの表情が強張った。これまでの会話も十分に衝撃的だったが、さらに大きな事実が突きつけられる。


「私の存在が赤の竜に認識されている以上、国王は私に竜の情報を教えようとしない。しかし、君ならば話は別だろう。だが、これまでは感情の制御が未熟な君を王に会わせるわけにはいかなかった」


「なっ……!?」


 クオトラは息を飲む。これまで国王に謁見できないことで抱いていた不信感の理由が、トゥルエイトによって説明された瞬間、彼の中に沸き起こったのは怒りとも失望ともつかない感情だった。


「感情を制御できず、力を暴走させれば、赤の竜にとって危険分子と見なされる。そうなれば、君の命は風前の灯だろう。赤の竜も国王も、石にして管理する方が楽だと思うだろうからな」


 その言葉は冷たく、それだけに真実味があった。


「つまり……これまで謁見を止めていたのは、僕を守るためだったってこと?」


 クオトラの言葉には皮肉の響きが混じっていた。


「その通りだ」とトゥルエイトは即答した。表情に揺るぎはなく、その言葉には冷静な論理と、どこか不吉な響きが混ざり合っていた。「だが、いまなら話は違う。君が竜人になる可能性を示せば、国王の利害と一致するかもしれない」


「竜人になる……?」


 クオトラはその言葉を反芻し、眉をひそめた。当たり前のように感じていたがそもそも竜人とは、遠い噂話や神話の中にだけ登場する存在。それが目の前で語られる現実だと信じるには時間が必要だった。


「そもそも君も私も厳密には竜人ではなく、人間が竜種の力を手に入れたに過ぎない」


 『だが』と語気を強めてトゥルエイトは続ける。


「竜の肉を食らうことで、君は人間を超えた存在、本物の竜人になれる。国王にその価値を認めさせれば、竜の肉にありつける可能性もある。そして、その肉があれば……団長を助けられるかもしれない」


「それは……本当なのか?」


 クオトラは小さく息を呑み、目を見開いた。トゥルエイトはそれを無視するかのように、冷静な口調で話を続けた。


「正直、いまの時点で君にとっての直接的なメリットは少ない。むしろ、存在を知られることで赤の竜の監視を強め、復讐から遠ざかるリスクすらある。しかし……」


 トゥルエイトはクオトラの目を見据え、言葉にさらに重みを乗せた。


「ここで竜の肉を手に入れることができれば、君の力はさらに増す。そして、団長も助けられる可能性がある。団長は国王にとって非常に重要な存在だ。その利害をうまく引き合わせれば、状況を有利に進められるかもしれない」


 クオトラは一瞬考え込む素振りを見せたが、直後に疑念を口にした。


「もしかして……トゥルエイトは団長のことを考えて提案しているんじゃなくて……」


 その言葉はどこか不安げで、トゥルエイトの表情を探るように視線を向けていた。彼がどんな感情でこの提案をしているのか、それを測りかねているようだった。


「いいや」


 トゥルエイトの返答は、予想以上に冷たく、はっきりとしていた。


「彼は僕にとって大切な友人だ。助けたいというのは紛れもない本音だ。だが、私は目的のためならば手段を選ばない人間だ。必要とあらば、彼を捨て駒にすることすら厭わない。ただ、それだけのことだ」


 その言葉には矛盾はなかった。いや、だからこそ、クオトラの胸にひどい違和感と不快感を植え付けた。


「私は竜人になることはできないが、君にはその可能性がある。だから君が竜人となり、白の大地で竜人を喰らい、その牙を磨き続ける。そしていずれ、その牙であの赤の竜に届くのだ」


「やるべきことはわかった。でも、そのためには緑の器を倒さないといけないんじゃないのか?」


「それなら問題ない」


 トゥルエイトはためらうことなく言い切った。


「緑の器なら十中八九、白の大地にいる。私の目がそう保証する」


「え……?」


 クオトラは驚きに目を丸くした。先ほどまでの話だけでも頭が追いつかないというのに、また新たな衝撃が加わった。


「これも時期が来たら伝えようと思っていたことだが、緑の器についてだけは、私も少し知っている。彼女は、作られた人間だ」


「作られた……人間?」


「そう。彼女は緑の大地で器専用に作られた人間だったらしい。彼女がいたことで前回の器による争いに決着がつかなかった。まぁとにかくそんな彼女は今白の大地にいるはずなのだ」


 情報が次々に投げかけられる中、クオトラは頭を抱え込む。それでも深呼吸を何度か繰り返し、冷静さを取り戻そうとした。


「つまり、白の大地に行けば色々解決するって事だね」


 その言葉には、諦めにも似た響きが混じっていた。


「まあ、そういうことだ」とトゥルエイトは応じた。「さらに運がいいことに、あと数日後には大地間の乱気流が収まり、白の大地へ渡ることが可能になる」


「聞いた事はあるけど、本当だったんだ……」


「これは私の目が保証するから間違いない。恐らく周期的な現象だが、詳しい理由はわからない。ただ、その時が来ることは確実だ。だから、それまでに王との謁見を済ませ、準備を整えるのだ」


 トゥルエイトの言葉は落ち着いていたが、その中に滲む緊張感をクオトラは感じ取った。


「わかった。やることは理解したよ」


 クオトラは、やや疲れた表情を浮かべながらも、静かに頷いた。考えが整理しきれていないのは明白だったが、それでも前に進む決意だけは揺るがないようだった。


その瞳に宿る決意は、もはや逃げ場のない運命を受け入れる覚悟そのものだった。

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