第35話 血濡れの隕石
大きな音を立てないように注意しながら、軍勢はゆっくりと死竜の群れに近づいた。しかし、これだけの人数が動いている以上、警戒されるのは避けられない。木々の上に止まり、体を休めていた死竜たちが、じわりと視線をこちらに向けてくる。
それでも一斉に飛びかかる兵士たち。凄まじい身体能力を見せ、死竜目掛けて跳躍し、次々に地上へ叩き落としていく。だが、さきほどの戦闘とは違い、今度は初撃で仕留めることはできなかった。
腐りかけた翼をばたつかせ、必死に空を目指す死竜たち。その翼を兵士たちは容赦なく斬り付け、地に縛り付けようとする。それでも数で勝る死竜たちは、下層の仲間を囮にしながら、上へ、さらに上へと逃げ延びようとする。
「上からの攻撃に気をつけろ。下から一体一体丁寧に仕留めるのだ」
軍団長のアルバーンの怒号が飛ぶ。だが、その指示が戦況を制御するには足りなかった。空は瞬く間に地獄絵図と化す。赤黒い液体が雨のように降り注ぎ、獣じみた唸り声が響き渡る。腐臭と血の匂いが風に乗って兵士たちを包み込む。
クオトラの視界に映る兵士たちは、もはや理性を失っているようだった。あの地獄を経験した彼らの中には、怒りや憎しみに突き動かされ、感情のままに動いている者も少なくない。仲間に刃が当たる危険を顧みず、死竜に斬りかかる姿があちこちで見受けられる。
地に落ちた死竜は、怒りのまま切り刻まれ、その原型すら留めていないものもあった。
「みんな……」
クオトラは小さく呟く。順調に見える戦況の裏で、兵士たちの統率が乱れていることが明らかだった。このままでは作戦が破綻する――そんな嫌な予感が胸に積もっていく。
「でも、好機ではあるか……」
戦場の混乱を目の当たりにしながらも、クオトラは死竜の屍へと手を伸ばした。倒れた死竜から秘炎核を取り出し、その一部を自らに取り込む。他の兵士の目を引かぬよう配慮しながらも、全てではなく半数ほどを取り込んでいく。
量としては微々たるものだ。それでも、わずかに力が溢れる感覚を感じ取ることができた。
地表にいる死竜の数は半分以下に減っていた。しかし、残された死竜たちは明らかにそれまでのものよりも大きく、迫力が増している。そして、空を飛び回る死竜たちは、さらに巨大な影を見せつけていた。
「に、逃げ……!」
唐突に兵士の一人が叫んだ。その瞬間、空を舞っていた死竜の一体が急転直下し、兵士の一人を押し潰す。跳躍していた兵士は、避け切る間もなく死竜の下敷きとなり、凄まじい速度で地面へ叩きつけられた。
近くにいた兵士たちが駆け寄るが、そこにあるのは死竜と兵士の肉が混ざり合った血肉の塊だけだった。
「なんだ、あいつら……!」
周囲の兵士たちが一瞬動きを止める。視線を巡らせれば、別の部隊にも同じように死竜が急降下しているのが見えた。
「死竜に思考する能力はないはずじゃ……」
その言葉に、クオトラの脳裏に過去の記憶がよみがえる。赤の器がこの地を根城にしていた頃、死竜たちが知性を持つかのような動きを見せたこと。そして、渓谷の入口に死竜がいなかった不自然さ。
「まさか……」
誘い込まれているのではないか。そんな可能性が頭をよぎる。偶然では済まされない状況が、嫌な形で結びついていく。
「全員空に気を払え、地上にいるものを殲滅し次第一時撤退する」
軍団長の命令が伝令を通じて響き渡る。命令は従うべきだと理解しながらも、クオトラの胸には疑問が渦巻いていた。撤退の前に地上の死竜を殲滅する――その方針がどうにも中途半端に思えた。
それでも、クオトラは死竜を一体一体倒していく。不快な腐臭と濃厚な鉄の匂いが鼻腔を刺す中、兵士たちもまた同じように必死で戦い続けている。
やがて、地上の死竜はほとんど狩り尽くされた。だが、兵士たちの数も二割以上が失われていた。空を舞う異形たちはまだ健在で、その恐ろしい視線が地上の兵士たちを睨んでいる。
撤退の号令が響く。しかしその瞬間、死竜たちが一斉に襲いかかってきた。空からの急降下。捨身の特攻。いくつもの赤黒い影が兵士たちへと降り注ぎ、逃げ惑う兵士たちを次々と地面に叩きつけていく。
「……あっ……」
クオトラの視界が歪む。いや、実際にはゆっくりと流れるように見えていた。視界の端から現れた死竜が、赤い流星のように地上へと突き刺さる。その衝撃で土砂と血が舞い上がり、辺りを覆う。
――レリーフ。
すぐ近くにいたはずの彼の姿がない。代わりに残されたのは、赤黒く濡れた塊だけだった。それが何なのか、言われなければ誰も理解できないだろう。
怒りが、悔しさが、クオトラの胸中で膨れ上がる。感情の奔流が胸を熱くし、体が乗っ取られそうな衝動に駆られる。
「ダメだ、抑えろ」
小さく声が聞こえる。紛れもないトゥルエイトのものだ。ここで、力を行使しようものなら周囲の兵士を自分の存在を知られてしまう。
更にそれだけでは済むはずがない。先程の死竜への変わり様からすれば、どんな扱いをされるか、考えなくとも理解出来てしまう。
……それでも……。
胸を抑えるが、白い光が発され始めている。
「くっ……」
体が乗っ取られそうなほどに激しい感情の波。耐えられるのは時間の問題だった。
「落ち着いて」
その声は、戦場にはあまりにも場違いな穏やかな響きだった。次の瞬間、背中に誰かの腕が回された。
甲冑と鎧に身を隠した重装備の兵士。だが、それが誰だか分からないほどクオトラは狂えていなかった。
「……え……フレーリア!? どうしてここに……いや、離れて」
「ダメ、わたしが居るから落ち着いて……お願い」
きっと今暴れてしまえば、フレーリアも巻き添えになってしまう。その光景を意識してクオトラの脳内は急速に熱を失う。
「なんで、こんな所に来るべきじゃないだろ」
怒りとも呆れとも言えない感情に気を取られていると、胸の光は収まっていた。小さく深呼吸をし、周囲の兵士に合わせてその場から引いていく。
「いつも何も出来ないのは嫌だから」
甲冑から覗くフレーリアの瞳には、決意の色が滲んでいた。クオトラにその表情までは見えなかったものの、声色から怒りにも近い感情を受けずにはいられない。
「ありがとう……」
クオトラは聞こえるかどうか分からないほどに小さな声で囁いた。




