第31話 終焉に抗う
トゥルエイトの表情が一瞬強張った。それまでどれほど不気味な微笑を浮かべ、掴みどころのない態度を見せていても、この瞬間、初めて彼を人間らしいと感じた。
「……詳しく教えてくれ」
クオトラの問いに、トゥルエイトの顔から緊張が薄れ、表情が和らいだ。しかし、その瞳の奥には、なおも底知れぬ暗闇が広がっている。クオトラはその目をじっと見つめたが、まるで底なしの沼に引き込まれるような感覚に襲われ、思わず息を呑んだ。
「私の大事な……人が、あの赤い竜に殺された。それが、私が復讐を誓った理由だ」
その言葉に、クオトラは目を見開いた。壮大な目的があると思い込んでいたクオトラには、その答えがあまりにも意外で、心が一瞬空白になった。
「……意外か?」
トゥルエイトは鼻で笑い、問いかけた。クオトラは一瞬戸惑い、答えに詰まる。しかし、なんとか言葉を探し出し、不思議そうに彼を見つめた。
「そんな……"人間的"な理由だなんて、思わなかった……」
クオトラの返答に、トゥルエイトはふと眉を上げた。そして、しばらく考え込むような素振りを見せたあと、小さく頷いて微笑んだ。
「あぁ、そうか。なるほど」
トゥルエイトの声には、どこか憐れみの色が滲んでいた。クオトラにはその意味が分からないまま、言葉の続きを待った。
「君はまだ、“器”というものが何なのか、分かっていないんだな」
クオトラはその言葉に、思わず目を見張った。自分の理解が足りないと言われたことが、どこか引っかかり、無意識に拳を握り締める。
「『器』は、かつて竜神の力を宿すための存在だった。しかし、竜神が去った今、我々は力を失った"ただの人間"だ。」
トゥルエイトは静かに立ち上がり、天井を見上げた。声は冷静で、感情を排除したように淡々と語られる。しかし、その背中には疲労感と、どこかやるせなさが漂っていた。
「だが、竜神がその身を去った今、我々は“ただの人間”としてこの世界に残されている。竜としての力も、神の力も、もはや持たない……それでも、その“器”であった痕跡が、強力な存在としての影響を今も保っている。それが、私たちだ」
「ただの……人間?」
その言葉が、クオトラの心に深く突き刺さった。なんとなく分かっていたつもりだった。だが、今事実として突きつけられると、その重みが違った。
これまで自分が対峙してきた者たちは、まるで化け物か悪魔のように感じられた。それが“ただの人間”だったなんて。その事実を受け入れるのは簡単ではなかった。夢の中に現れた竜神たちも、先日倒したあの女も、すべてが“ただの人間”だということを知った瞬間、クオトラの胸には重苦しいものがのしかかった。
「人間……だなんて……」
思わず口をついたその言葉には、驚きと動揺がにじみ出ていた。
「そうだ。“ただの人間”だ。だが、それでも竜神の残滓は強力だ。それは否定できない事実だ」
トゥルエイトの言葉は冷静で、事実を淡々と語るような響きだったが、その中には自嘲のような感情が滲んでいた。クオトラはその言葉を聞いても、まだ完全にその事実を飲み込むことができないでいた。
「だからこそ、私は“人間”としての感情で、復讐を誓っている。君と同じようにな」
トゥルエイトの目は、今度は鋭くクオトラを見据えた。その瞳には、確かに“人間”らしい怒りと憎しみが宿っていたが、同時に、どこか冷徹な光もあった。クオトラはその視線に圧倒され、再び視線をそらした。
「……力になるって言ったけど……どうやって?」
ようやく搾り出した言葉だった。クオトラの心の中では、トゥルエイトに対する不安と信頼の入り混じった感情が渦巻いていた。彼の助けを借りたい気持ちはあったが、同時に、この男の底知れぬ冷酷さにも恐怖を感じていた。
「君には、まだ倒すべき相手がいるだろう。……そいつを討つために、君には“力の使い方”を教えようと思う」
トゥルエイトは淡々と語るが、その言葉の一つ一つがクオトラにとっては重く響いた。力の使い方、それは今までどこか曖昧にしてきた部分だった。ルーシュから与えられた力をどう使うべきか、自分自身も明確には分かっていなかったからだ。
「僕には世代も何も分からないけど、僕に力をくれた竜神の記憶の中ではあと一人、緑髪の相手だけ残っているはず……」
夢の中の様子を思い出す。間違いなくあと一人。今のところ、それ以外の目的が思い浮かばなかった。
「まさか、すでに二人まで減っていたとは……いや、君は別とすればもう残りが一人だということか……」
トゥルエイトは思わず驚きを隠せなかったようだ。未来を読む力を持つとはいえ、すべてを把握していたわけではないのかもしれない。その事実が、クオトラに少しの安堵を与えた。
「そうか……ならば、次の目標は緑の器を倒すことだ。そして、その居場所を突き止める必要があるな」
トゥルエイトは悩むようなそぶりを見せる。
「そうだね。緑の器を倒して、欠片を奪って……奪って……その後は……」
クオトラの声には、迷いが混じっていた。これまで怒りという感情に突き動かされてきたが、最後の器を倒したあと、自分はどうすればいいのか。赤い竜神とどう対峙するのか。その未来が見えないことが、彼を不安にさせた。
「もちろん、手段はある」
トゥルエイトは静かに答えたが、その目は深い悲しみをたたえていた。
「私の寿命は長くない。だが蓄えた力と、これから力が手に入る未来が見える。だから、君が力を蓄えたときは私が竜となり、君をかの赤い竜の元へ連れて行こう」
「そんなことが……」
クオトラは、恐る恐る問いかけた。トゥルエイトの言葉の意味を理解しようとするほど、その背後に隠された大きな犠牲が、じわじわと重くのしかかってくる。これまで冷徹で、常に一歩先を読んでいる彼が、今この瞬間、自分の寿命を賭けてまで力を貸すと言っている。その真意が、クオトラには見えなかった。
だが、そんなクオトラの驚きを気にも止めず、トゥルエイトが続ける。
「ああ、君にはまだ可能性がある。さらにもしこの方法が叶わなければ、もう一つ手段がある……だから、安心していい」
その表情からは、いまはまだもう一つの手段を話してくれなそうな圧倒感があった。クオトラは焦る心臓を落ち着かせて、静かに口を開いた。
「一つだけ聞かせて欲しい。トゥルエイトの寿命が長くないというのは一体どういう……」
トゥルエイトはその質問に対して、一瞬だけ遠い記憶を振り返るように目を細めた。そして、少しの沈黙の後に、重い口を開く。
「簡単な話さ。私の寿命は、もう尽きかけているんだ、クオトラ。私は400年以上も生き続けてきた。人間としての寿命はとうに尽きているが、竜族の血が私の体を無理やり動かしているだけだ……」
その言葉には、どこか冷たさと共に諦めが混ざっていた。クオトラは思わず息を呑んだ。彼が400年も生きてきた――その事実を前に、クオトラは自分の存在があまりに小さく、儚いものに感じた。
「……400年……」
声がかすれる。想像もできない時間の中で、トゥルエイトは一体どれほどのものを見てきたのだろう? どれほどの喜びと、どれほどの悲しみを経験してきたのか。
「だったら、なんで僕から奪わないんだ……」
クオトラは無意識に口にしていた。トゥルエイトが力を取り込むことができないのなら、自分を殺して竜神を封じることも選択肢にあるはずだ。そうすれば、トゥルエイトは少なくとも欠片を奪い取るリスクを回避できる。それなのに、彼はなぜそれを選ばないのか。
「もう限界だからだよ。私の体にはもう欠片三つ分の容量が残ってはいない。君の体に取り込まれた欠片は混じり合って一つになっている頃だろう。そんなものを取り込んでしまえば、私はあの空に浮かぶ異形の一つになってしまうだろうからね」
新たに出てくる知識の数々に、頭が混乱しそうになるのを何とか抑え込み、クオトラは言葉を噛み砕いて理解に努める。
「つまり……人間には取り込める限界量があるってこと……?」
「ああ、そういうことだ。考えてもみろ。君の故郷の人々は血の雨を受けてみんな異形になってしまっただろう。人間なんて大体はそんなものだ。君と一緒にいた女の子だって、おそらく欠片に触れた程度で生死を彷徨っただろう。“人間”には限界があるのだ」
あの嫌な光景を思い出す。だが、言われてみれば、あの愛しい人々は皆雨を浴びたことでその姿を失っていた。さらには自身も……。
クオトラは疼く右目を押さえて、湧き上がる吐き気と恐怖を押し殺す。それと同時に、自身の決意が再度固まった気がしていた。
「僕がやるべきことを教えてくれ」
クオトラは彼に再度問いかけた。




