第10話 夕暮れの灰色都市
舗装された道路。アルフィグの街で見た事のある様なレンガ造りの家は無く、独特な雰囲気は見たことの無いものだった。
「驚いた? わたしも初めて来た時は驚いたわ。こんな色の街があるんだって。都会と田舎じゃ全然違うのね。なんでも、死竜の死骸からエネルギーを抽出する方法が見つかったとかで、王都とこのドイシュタイムの街だけはモノが自動で動かせるみたい」
不思議な乗り物、馬も牛も人も居ないのに動く乗り物。見たことの無いものだらけで、言葉に詰まる。
背の高い建物が並ぶが、灰色のその素材が何かを想像もできない。
「今度時間ある時にちゃんと街は案内するわ。わたしたちの街も相当大きかったけれど、あの街よりも広いなんて言うんだから、今日明日で案内なんて出来ないわ。とにかく今日は必要なものを集めましょう」
彼女の手がクオトラの手を取る。今日は暖かい為か、街を歩く人々はかなりの薄着である。街に出店は無く、ほとんどが建物だ。これまで見た街の景色。出店と人々で溢れかえった風景からすると、少し寂しさを感じさせた。
灰色で埋め尽くされた、色のない街を歩くが、どこの通りも似ていて一人で出歩けばすぐに迷子になってしまいそうだ。
「この街の人々は幸せなのかな」
ぽつりとクオトラが呟いた。
「どうかしらね。わたしたちも実験体の後に送られたんだし、他にもそういう人がいてもおかしくないでしょう。更には、今は厳重警戒ってことで夜に出歩くことも禁止されていたり。生きていくには不自由ない街なのは確かだけれど、それが幸せかって聞かれたらわたしには分からないわ」
フレーリアはそう言いながらも歩く。クオトラの知らない声色で話している。しかし、後方を歩いている為に、その表情は見ることは出来なかった。
「着いたわ」
フレーリアは、一つの建物の前で足を止めた。そして透明な押戸を開いて中へと入る。
「いらっしゃいませ」
複数の目が、こちらを向いたと思えば明るい声で挨拶が聞こえた。
「この街では、個人の店っていうものが少なくて同じ商人たちが一つの大きな店を作ってそこでものを売ってるの。ここは服屋よ」
大きな店内には無数の服が、所狭しと並んでいる。寂しい印象を抱かせる町並みとは対照的に、店内は、街に足りない色が集まってるようだ。
「最近は、獣ですらも竜化してるらしいのだけれど、死竜になっていない獣の皮はとても上質って話で、クオトラにはそれがいいんじゃないかと思ってるわ」
ディグレグティと書かれ札の前に止まり、掛けられた服を物色するフレーリア。色とりどりの服に施されているのは見たことも無い装飾、知らない加工である。
「軍人でもなければ、本物の軍服は手に入らないわ。それでもここにあるものは、護身服って呼ばれる類のものだから、耐久性は優れているわ」
フレーリアは真っ赤なシャツと、前開きのディグレグティを選ぶと、クオトラの前に差し出す。
「着ればいいのか……? 」
「そう。後はズボンだけど」
「ズボンはいい。なんというか、覚えておきたいんだ、昔のことを。まだ履けるし、このズボンは少し大きかったから、今でも動きやすいんだ」
どうしてだろうか。クオトラは、交換したくなかった。ズボンである必要はなかったのかもしれない。忘れていないと言える何かが欲しかっただけなのかもしれない。それでもフレーリアは何かを感じ取ってくれたようで小さく頷くと、無言で試着室と書かれた部屋の前まで案内してくれた。
クオトラは、渡された服に着替えた。ボロボロの服を持って、フレーリアの前に行く。
「それ、捨てちゃって大丈夫? 」
「うん」
フレーリアはボロボロの服を受け取ると、そのままの流れで店員に手渡した。
「どうしてこの色にしたの? 」
身を包む不思議な服装に、疑問を口にした。
「クオトラはすぐ怪我するから、血が目立たない赤色を内側にして、外は丈夫なものにしたかったからその黒色のにしたの」
ティグレグティと呼ばれる黒い革質の上着。軽く触れてみるが、かなり硬い。それでいて適度な伸縮性を持ち、動きを制限するようでも無い。
「なるほど……確かにこれはいいかも」
「でしょ。もし危険だったら前まで閉めれば正面もカバー出来るわ」
フレーリアは満足気にそう言って、急ぐ様に会計を済ませた。
「何着か買ったから、次は髪を切りに行きましょう」
フレーリアは、クオトラの手を掴んでまた歩き出す。気分は兄弟のような……恋人のようでもある。強引にフレーリアに連れ回されることが昔のようで、クオトラは自然と頬が緩んでいるのを感じていた。
今度は『髪』と直球的に書かれた店の前に辿り着き、有無を言わさずに中へと引っ張られる。
「随分と長いですが、どこまでお切りしましょうか? 」
木材の椅子に座らされ布を掛けられ、準備があれよあれよという間に整っていく。目の前には磨かれた石材のようなものがあり、自身と店員の姿が映っていた。店員は微笑むと、無造作に前髪を持ち上げる。あっと声を出そうとしたのも間に合わず、右目の痕が姿を現す。
鏡越しに店員の表情が変わったように見えた。
「とりあえず短く」
フレーリアの声が聞こえたが、それを遮る。
「右目の上が隠れるようにはして貰えませんか……」
どうしてもそれがいつでも見えるような状態で居るのは嫌だった。目の前の反射する石材に映る店員は、笑顔を作って頷くと、手馴れた様子でカットを始めた。途中クオトラの固まった髪に店員の鋏が砕けてしまったが、それだけだった。
「クオトラ!なかなかいいじゃない! 」
フレーリアが笑顔でクオトラへと喋りかけてくる。じーっと見られることが恥ずかしく、顔を逸らす。目の前に映る自身。右目の上は少し長めに切りそろえられ、対象的に左目の上は眉上まで切られている。そこに合わせられるようにして、頂点から後ろまでの左右非対称に切られた髪は爽やかながらも、少し激しい若さを感じさせる。
「他に欲しいものはある? 」
彼女は満足したのか、笑顔で問いかける。
「ちょっと手袋が欲しい」
クオトラはぽつりと呟き、自身の手を広げた。変色した手は既に人間のものには見えない。右手は辛うじて、血色が悪い程度に納まっているものの、左手は……。
「確かにその手は隠したいわね……」
赤紫色に変色し、手の甲は爬虫類にみる鱗のような細かい棘に覆われてる。更には鋭い爪が顔を出していた。
「少し、外へ出ましょう。いい場所があるの」
フレーリアは、気を使ったのか唐突にそんな事を言い出した。
再度手を引いて歩き出す。柔らかく、温かい感覚に導かれるように北へ北へと向かう。向かう先を聞くのは野暮な気がしてしまい、クオトラは無言で引かれていく。街の様子は徐々に変化し、灰色の街が様相を変えていき、木材と白色の素材で出来た家が多くなる。
「ここら辺はまだ昔の建造物が残っているらしいの。色は違うけど、わたしたちの故郷にどこか似ているでしょう」
言われて見渡してみると、確かに似ていた。落ち着いた雰囲気に、少し離れた家々。間には傘のように雨避けが作られており、露店のようなものがポツポツと見受けられる。
無機質な印象を受けた街の中央よりも、どこか落ち着きを感じさせる優しい街だった。
「なんか、懐かしい気がする」
「そうでしょうね。七年ぶりなんだもの。わたし、この雰囲気が好きなの」
前を行くフレーリアの顔はまたも見えない。それでも声が高揚している気がした。フレーリアは止まることなく歩く。段々と傾斜のついた道が現れ、家々の間隔も更に広がる。
家々は傾斜に合わせて、階段状に建てられている。白色だった街並みもいつの間にか、レンガが主体の街並みに変わり、気づけばそんな街並みも眼下に広がる景色となっていた。
「あと少しよ」
辺りにはもう家々は殆ど無い。青々とした草木が生い茂り、周囲を漂う新緑の香りが心を穏やかにさせる。踏みしめる大地は既に舗装されたものではなく、踏みしめるほどその足を押し返してくるような気がした。
「着いたわ」
新鮮な景色を眺めていたせいか、それほど長く歩いたようには感じられない。それでもフレーリアの立つ丘の頂上から来た道を振り返ると、灰色の街が遠く見えた。灰色から白色、そして橙色から緑色。グラデーションのように広がる景色は、なんとも言えぬ美しさがある。
「いい場所だね」
クオトラがぽつりと呟く。大きな声で叫びたかったが、何故かこの雰囲気を壊してはいけないような気がしてしまい、口を突いたのは何の変哲もない言葉だった。
「ふふ」
堪えるような笑い。クオトラらしくないねとでも言いたげなフレーリアがそこに居た。フレーリアは草木の絨毯へと腰を下ろす。金色の髪が風に靡く風景は、余りに美しくクオトラは見蕩れてしまっていた。
「どうかしたの? 」
クオトラは全てを見透かしたような、そんな余裕の笑み浮かべたフレーリアから目を逸らす。
「なんでもないよ」
わざとらしくそっぽを向いて、腰を下ろす。そのまま仰向けに寝転ぶと、青々としていた空が橙色に染まり始めているのが見えた。透き通っていた空にも影が迫り、青と白の世界は段々と橙と影の世界へと変わっていく。
緑色の景色がゆっくりと赤く染まっていくのは、どこか寂しいようで悲しいようで、神秘的であった。
「まるで空が吸い込まれて消えていくみたい。少し怖い。夜が来るのが怖いけど、この景色はどうしても嫌いになれないのよね」
フレーリアは感傷に浸るようにそんな言葉を呟く。影が落ちる。空にある雲が一部、ちぎれて落ちてくるような錯覚に襲われる。
そんなことある訳が無いのに。
「危ない! 」
突然、雲が牙を向いた。うねり、羽ばたいて滑るように一直線に落ちたそれを、寸前のところで躱す。
「どうして……」
心を焼いたのは強い悲しみだった。そしてその悲しみは怒りへと溶けていく。
「どうして……」
この平穏な雰囲気。幸せを噛み締めていた時間を邪魔されたことがどうしようもなく許せず、文字通りクオトラの逆鱗に触れていた。
「許さない」
クオトラの右手が変貌する。激しく伸びた爪はぐにゃぐにゃとうねって、自身の体まで侵す。それでも止まることなく、クオトラは目の前の世界を裂いた。
裂けたというよりも、四本の鋭いナニカで抉ったような、そんな傷とともに目の前の異形が一瞬にして空気に解けていく。死臭のような、あの日の街の臭いが辺りに広がる。
「どうして……」
力が抜け、自然と体が崩れ落ちた。右手を覆っていた異形の片鱗は姿を消し、そこには血だらけのナニかがあった。
「クオトラ! 」
制御しきれない怒りに、自身の体も傷つけた。フレーリアが慌てた様子で駆け寄ってくるが、よく見てみれば、ただ傷がついた程度であった。
「せっかく連れてきてもらったのに。ごめんね」
「大丈夫。大丈夫よ。クオトラはわたしを守ってくれたって分かってるんだから」
なぜだか返す言葉が見つからない。
「帰りましょう」
フレーリアが手を引く。ずるりと、重い体を持ち上げ、歩き出す。来る時は一瞬に感じた道のりが、恐ろしく長く感じられた。
既に日は沈みきり、人々の姿もほとんど見えない。幸い空の赤は薄く、異形の姿も見えない。
「どうしてあんな時間に……嫌な気がする」
フレーリアがそんな言葉を漏らす。
ようやく家に到着するが、辿り着いた途端どうしようも無い眠気がクオトラを襲う。
「そういえばこれ。明日どう処理するか考えないとだね……」
ベットの前に転がった二本の白い棒。クオトラはそれを目の端に捉えたが、片づける気も起きず、ベットに腰をかける。
「クオトラ、疲れたでしょう。体の傷もあるし、今日はもう寝た方がいいわ」
クオトラはそんな言葉を聞いて、その場に寝転ぶ。ずっと眠っていたはずなのに、どうしてか、久々に眠るような気がして、気づけば意識は現実から切り離されていた。




