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第9話 竜の残滓を抱く

「貴方の目的は……?」


「僕は……あの悲劇の元凶。この大地の神を殺したい」


 クオトラはそう言い、血の滲んだ右手を強く握る。ぬるりとした嫌な感覚に目をやると、伸びた爪が己の肉を傷つけ、右手は赤紫色に変色していた。そして、溢れ出した血液が一瞬にして固体と化していく。


「クオトラ……」


 今、この瞬間、その瞬間だけは、昔のクオトラとは完全に別人だった。面影もなく、ただ目的と感情のみによって動こうとする人形。きっとフレーリアにはそう映っている。


 フレーリアは悲しさに打ちのめされそうな表情を見せ、俯いた。しかしその心は折れていなかった。顔を上げると、先程の悲愴が消え、強い意志がその瞳に宿っていた。


 この7年間の時の流れで、過去の弟のようだったクオトラは居なくなったと悟り、それでも彼を信じる選択をした


「そのためにわたしは、何をしたらいい? 」


 フレーリアの息を飲む音が、静かな部屋に響く。彼女自身、何ができるかなんて分からない。けれど、それでも何でもやってみせるという意志だけは伝えたかったのだろう。


 小刻みに震える肩が、彼女の意志の強さを感じさせる。


「ただ、生きていて欲しい」


「分かった。その上で……」


 クオトラの答えは酷いものだった。彼女の覚悟を聞き流したのだから。それでも、否定ではないという事実だけで、フレーリアは満たされたのか、こわばった表情が和らいだように見えた。


「僕は、竜を狩ってみようと思う。秘炎核。竜にあるはずなら、死竜にも……」


 吐き気がこみ上げる。内臓がせり上がる感覚を、必死に抑え込んだ。異形の姿を思い浮かべた途端、あの忌まわしい光景が、まるで万華鏡のように視界に広がる。


 何度見たのだろう。いつのことだろう。遠い昔にも、つい最近にも感じられる、不快な気分。何度体験してもあの血肉が腐敗した匂いや、人間が人間でなくなる光景に慣れることはないだろう。


 考えただけでも走る悪寒に、クオトラは体が震えたのを感じた。


「大丈夫……?」


「大丈夫だよ」


 近づこうとするフレーリアに、クオトラは右手を上げて制止する。胸に手を当て、ふぅっと息を吐き、暴れていた内臓をなんとか落ち着ける。


 どうってことはない。僕が僕達の意志を貫徹するには、今後あれ以上の地獄を見ることになる。作り出さなければいけないのだからと、クオトラは自分に言い聞かせる。


「もう大丈夫。僕は、やり遂げてみせる」


「分かった。でもクオトラ、あなた少し焦りすぎよ」


「どういうこと?」


クオトラはその意図が分からず、フレーリアを見る。そんな様子に、フレーリアはため息を漏らす。


「よっぽどね……。あなた、起きてから今の状況、時間軸、場所、情勢……何か一つでも聞いた?」


 フレーリアの言葉にはっとしたクオトラは、何も知らずにただ動こうとしていた自分に気づき、顔を赤くしてしまう。それがどうしようもなく恥ずかしかったせいか、無意識にそんな表情を隠そうとする。


「眠っていたあの十歳の頃から、成長していないのか、それとも成長しているのか……全く分からないわね。それに、昔からちょっと大人びていたから、余計に分かりにくいの」


「そう言われても……」


 どうにも言葉に詰まってしまい、クオトラは沈黙する。


「困ったことがあったら、私に頼ってもいいのよ! 強がってばかりいても、何の得にもならないんだから」


 フレーリアは腰に手を当て、少し誇らしげに笑った。その姿には、昔、クオトラの手を引っ張っていたあの強気な少女が重なる。


「分かった。焦ってもいいことはないよね……じゃあ、まず今の状況について教えてくれる?」


「任せて! クオトラがいつ目覚めても良いように、いろいろ調べておいたんだから!」


フレーリアは分厚い一冊の本を取り出し、少し微笑んだ。


「これね、クオトラが目覚める時に備えて、ずっと書き溜めてたの」


 と言うと、手際よくページをめくり始める。


「まず、ここは王都に向かう途中にある『ドイシュタイム』って街よ。最近じゃ王都に次いで発展してる場所なんだから。あ、それから王都では旧国王が亡くなって、新しい王が即位したわ。まあ、それはあまり関係ないかもしれないけど」


 と、フレーリアは軽く肩をすくめる。


「ドイシュタイム……聞いたことはあるかも知れないけど、そんな距離どうやって……」


「あの事件の後、生存者は王都に招集されたの。私もクオトラと一緒に連れて行かれたけど、二人とも竜の汚染を受けているって理由で、王都にはいられなかった」


 フレーリアは少しわざとらしく上を向いて、その時のことを思い出しているように目を瞑った。


「たぶん、王様は生存者を英雄として祭り上げようとしたんでしょうね。私はいろいろあって、その役目に選ばれなかったけど。代わりに、王様の目が届く場所に置かれたわけ。でも、王都には置いておきたくなかったんでしょうね、だからこの街に送られたの」


「『いろいろ』って……何があったの? 少し詳しく聞かせてくれない?」


「やっぱり聞き流してはくれないわよね……分かったわ」


 フレーリアは本当に話したくないのか、俯いて大きく息を吐いた。いつもは爛々としている瞳の光が今は弱々しく見えていた。


「実はね、当時みんなはクオトラが死んでいると思っていたの。でも、私はどうしてもそう思えなかった。クオトラの身体は変色していて、明らかに平熱より冷たくてピクリとも動かない。心臓だけがかろうじて弱く動いていたけど、どんな医者に見せても『これはもう死んでいる』って言われたわ」


 クオトラが息を飲む。


「それでも、私は信じられなかった。だってルーシュさんが、クオトラを生かすって言っていたんだもの。だから私は、『クオトラはまだ生きている』って主張したの。そしたら、私は事件のショックで頭がおかしくなったと思われて、英雄の候補から外されたわ。でも、あの時の雨に当たって生き残ったサンプルとして、私は実験体にされた。ちょうどその頃、旧国王が暗殺されたんじゃないかって噂が広まって、王も報復を恐れていたみたい。だから、私は少し高待遇でここに置かれたのよ。でも結果としてあちらも手が回らなくなったようで、実験体としての生活もすぐに終わったのよ」


 クオトラの表情が強ばる。


「でも……」


 フレーリアの声は少しだけ震えた。


 「大丈夫。クオトラと一緒にいられたんだから、それだけで十分よ」


 彼女は一瞬、寂しさを押し殺すように目を伏せたが、すぐに柔らかな微笑みを浮かべた。その笑顔は、クオトラを支え続けた七年間の覚悟と、愛情の重さを物語っていた。


 フレーリアは穏やかに笑っていた。彼女の『実験』の内容を想像するほど、クオトラの心は闇に沈みそうだったが、思考を無理やり押し止めた。


「話してくれてありがとう」


「ええ。私が話すって言ったんだもの。都合の悪いところだけ隠すのは良くないでしょう? 続きを話すわね。今はクオトラが眠ってから七年半後……私は十九歳、クオトラは十七歳になっているはず。貴方の体がどこまで成長したのか分からないけどね」


 クオトラにも、その感覚はよく分からなかった。七年という時間が、一瞬で過ぎ去ったようにも感じるし、その間、どこか現実ではない場所で時を過ごしていたようにも感じる。


 体が成長しているのは明らかだ。しかし、その精神が、今の年齢に本当に追いついているのか……と、考えるほどに、胸の奥に不安が湧き上がる。自分はこの七年という時間を生きていたのか、それとも、ただ夢の中で漂っていただけなのか。実感のない成長、その空虚さが、じわじわとクオトラを侵食していくようだった。


「分からない。でも、話を続けてくれ」


 恐怖に支配されそうな脳を無理やりに止めさせて話の続きをまった。


「分かったわ。クオトラが気にしているだろうことを言うと、この七年間、集落や街が消えたという不審な事件は報告されていないわ。これは、新国王が二月ごとに国全体を調査していたから、信憑性は高いと思う」


「そうなんだ……。他には何か変わったことは?」


 クオトラは少し安心した。自分でも理由はよく分からないが、心が落ち着いたような気がする。


「そうね、死竜の数が明らかに増えたわ。昼間は行動が鈍いから、夜にしかほとんど見られないけど、国は討伐隊を作って対応しているくらいよ」


「死竜……。どうしてかは分からないけど、彼らは体に秘炎核が作られ、死ぬこともできずにただ彷徨う竜の亡骸……考えるだけで悲しくなる」


「どうしてそんなに死竜のことに詳しいの?……まあいいわ。でもね、王都の探索で、死竜の集まる場所が見つかったらしいの。それも、ここからすぐ近くの場所よ」


 思いがけない朗報だった。あまりにもタイミングが良すぎて、クオトラは不敵な笑みを浮かべた。


「フレーリア、場所を教えてくれないか?」


「もちろん! ネヘングルブの渓谷って場所よ。でも今では『死竜の渓谷』って呼ばれているわ。渓谷というより、実際には洞窟のようなところだけれど」


 クオトラはその地名に聞き覚えはなかったが、死竜たちが洞窟に潜んでいることを考えると、不気味さを感じた。彼らは別に太陽を避けるわけではないが、やはり夜の方が活動的になるらしい。


「そこに行こう」


「そうね、でも一つだけ気になっていたことがあるの」


 クオトラが立ち上がろうとしたその時、フレーリアがクオトラをじっと見つめた。


「……何か、僕に変なところでもある?」


「ずっと寝ていて、何も食べていないのに……どうして生きていられたのかなって。お腹、空かないの?」


 その言葉の意味がクオトラには分からなかった。考えようとすれば、何か嫌な事実に襲われそうで、でも意識をすると腹は鳴る。


「お腹は空いてる……僕何も食べてなかったの? 」


「えぇ。不思議なことに何をしなくても貴方は衰えなかった。医者を呼んで点滴を打ってもらったこともあるけど、貴方の皮膚が、血管が固いから嫌だって医者はやってくれなくなったの」


「そうなのか……」


 クオトラは思考から逃げたくなった。フレーリアが口にした「冷たくなっていた」という言葉が、何度も胸に刺さり、そこから抜けない。なぜ自分は生きている?なぜ何も食べずに衰えなかった?――体は目覚めたが、心はまだその答えを探してさまよっているようだった。自分は本当に"人間"なのか。あの時、何かが自分を変えてしまったのではないか。じわじわと湧き上がる不安が、クオトラの心に暗い影を落としていく。


 クオトラは、大きく息を吐いて自分の体を見つめ直す。背中に走る鈍い痛みと、腹の空腹感が奇妙に同時に存在している。長い間、眠り続けていたはずの体――だが、筋肉もほとんど衰えていない。むしろ、その姿は普通の青年よりも少し線が細いだけで、健康的にすら見える。七年間寝たきりだったはずだが……。そんな事実が信じられないまま、クオトラは自分の体を手で確かめた。


 昔履いていた黒色のズボンは、成長した体についていけず、膝下程度までの長さになっている。上着もボロボロになってしまい、みすぼらしい印象を与える。


「……このペンダント……」


 クオトラは首に触れ、ペンダントを手に取った。昔、誰かからもらったもの。母親か、父親か、はたまた他の誰かか……どうしてか、その部分だけが霞んでしまい、はっきりと思い出せない。けれども、このペンダントが何か大切な意味を持っていたことだけは確かだった。まるで、それが彼の過去の断片を握っているかのように、心の奥が疼いた。


「出かける前に少し用意をしましょう」


 フレーリアはクオトラの背中を押す。案内されたのは一つの扉の前。


「まずはお風呂に入って、それから服と最低限の装備を整えましょ」


 フレーリアに押されるまま、扉の奥へ進む。


 そして服を脱ぐと風呂場に入った。タイル張りの床に、左には蛇口が二つ。一つは湯船に向けられ、一つは上に取り付けられた街灯のような何かにホースで繋がれている。


 右を向くと大きな姿鏡が置いてある。実際に見ると、成長したことが分かってしまい時の経過をまざまざと見せつけられた。伸びた髪は肩まで達し、肩には目立つ傷痕が残っている。


「まるで女の子みたいじゃないか……」


 毛先だけが少し赤みがかった髪をかきあげ、後ろに纏める。


 え……。


 思い出した。分け目から右目の上まで、まるで真っ赤なミミズのようなうねった線が走っている。その線は、独立して血液を運送するように、激しく脈動している。クオトラはそんな様子が気持ち悪くて、鏡から目を逸らしてしまう。


 クオトラは、伸びた髪をそっと右目にかかるように下ろす。その時、妙な違和感が広がった――あの雨に打たれた部分だけ、髪が竜馬の毛のように硬く、まるで別の存在へと変質しているかのようだ。触れるたびに、そこだけ異物感があり、自分の体ではないかのような感覚が全身に走る。


「まるで……角みたいじゃないか」


 彼は、小さくそう呟くと、鏡から目をそらした。


 気を取り直して体を洗うが、どうも皮膚が鈍化したように、麻痺したように感じられる。軽く触った程度では洗えている感覚がしない。クオトラは少し強めに擦ろうとしたが、上手く力の調整が出来ず、皮膚を傷つけてしまう。


 仕方がないと、体を洗い流し風呂場を後にする。


「行こう、フレーリア」


「ちょっと、どうしたの……? 」


 皮膚を傷つけてしまったせいで、白いシャツが血に濡れていた。大して痛くはないとは言え、その見た目は痛々しく映るだろう。


「僕は……大丈夫だ。まずは、上着を買い替えないとな」


 ふと鏡に映る自分の姿が目に入り、クオトラは自嘲気味に呟いた。


 フレーリアは、そんな彼に小さくため息をつきながらも、言葉にはしなかった。彼の不安定な心を知っているからこそ、今はただそっと見守るしかなかった。

 

 クオトラは七年ぶりに太陽の下に立った。

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