第1話「その子から離れろ!オークめ!!」
暗雲が立ち込め、雷が鋭い音を鳴らす魔族領の城。魔王城の一室でとある男女が居た。
「身体に異常はないか?」
角の生えた大柄の男にそう問われた美しい銀髪の少女は自分の身体を観察して、満足したように頷いた。
「ええ、もちろん。それにしても流石ですね、人形使いナーキス様。どこからどう見ても人間の少女にしか見えません」
「あぁ。俺の最高傑作だからな。だが気をつけろ、力はそのオートマタの身体のものだ。デュラハンの戦士であるときの様に戦うことは出来ないからな」
魔王軍四天王、人形使いナーキス。精巧な人形を作り上げ、何百という人形を精密な魔力操作で操り、魂の封印すらもやってのけた、魔王軍でも指折りの実力者である。
同じく魔王軍四天王、首なしのデュラハンの戦士。固有の名称はないがデュラハン種の魔王軍はこの男のみのため不便はしていない。魔法も使えるが圧倒的な力で敵を斬り伏せてきた。
「しかし魔王様も何をお考えなのか……敵情視察を私に命じるとは。もっと向いている人が居るとは思いませんか?それこそナーキス様の姿ならば角さえ隠せば人間に見えると思うのですが」
「魔王様はおそらくお前が俺を頼って、オートマタに魂の封印をするところまである程度予想をしていたのではないか?それに魔王様に命じられた時点で断るなどしないだろう?」
人間の街で情報を集めるなど自分には向いてないしナーキスの方が上手くやれると考え、この采配に少々不満を持ちながらもデュラハンは頷いた。
「そうだ、人間の街では名前が必要だが何か決めていたか?」
「名前ですか……考えていませんでした」
デュラハンの返答を聞くと、ナーキスは少し恥ずかしそうに頬を掻きながら口を開いた。
「その子には名前があってな、ルーシャと言うんだ。俺が自分で作った人形に名前を付けてたとか言いふらすなよ!?」
「別に恥ずかしいことでは無いと思いますが……大事なオートマタを貸してくれたナーキス様の嫌がることはしませんよ。それよりルーシャという名前使わせてもらいます」
「さあ、行った行った。気をつけるんだぞ」
しっしっと手で払う真似をするナーキスに一礼をして部屋を出たルーシャは早速魔王城を出発した。
1週間ほど歩いていると人間の集落が見えてきた。近づくと人間と魔族が戦っているようだ。いや、殆ど決着が着いているようだ。少し話でもして行こうとルーシャは集落に近づいて行った。
「ご苦労様です。貴方は確かオーク隊隊長のガギアくんですね?」
不意に後ろから声を掛けられたオークは振り向き様に棍棒を振り上げた。
「誰だ!?この俺様の背後を取る者は!?ってこのオーラはデュラハン様!!失礼しやした!!」
「いいですよ、後ろから声を掛けた私も悪いので」
オークは即座に取った土下座の姿勢を崩してルーシャの姿を見て首を傾げた。
「それより、デュラハン様そのお姿はどうしたんで?」
「私は人間の街に敵情視察に行くところです。ナーキス様にこの身体を借りましてね」
オークは、おお!と感嘆の声を上げまじまじと見つめる。オークとルーシャが話ていると不意に怒鳴り声がした。
「その子から離れろ!オークめ!!」
数刻前ーーー防衛都市ラベッタ
「何っ!?西の村がオークによって襲撃を受けているだと!?」
「ええ。商人の話によると死人は出ておらず捕虜として生け捕りにされているようですが、急がなければ魔族領に連れていかれてしまいます」
部下から情報を聞いた金髪の騎士団長ロイは急いで部隊を編成し馬に跨り街を後にした。
「西の村が見えてきたぞ!オークだからと言って油断するな!動きは遅いが力が強い!攻撃を喰らえば死ぬと思え!」
「「「了解!!」」」
「全員無事で居てくれよ……!」
焦る気持ちを抑え馬を走らせるロイたちが最初に目にしたのは広間に集められた村人たちだった。
「よし!まだ連れ去られてはいないぞ!全員突撃!」
ロイの声に村人たちを囲うように見張ってたオークたちが騎士団に気づく。
「騎士団が来たぞ!!誰かガギア隊長に知らせに行け!」
騎士団を迎え撃つように迫り来るオークとは別な方向に走り出す一体のオークをロイは見逃さなかった。
「向こうに指揮官でも居るのか?すまない皆ここは任せた!」
オークの足よりも馬のほうが数倍早いため直ぐに追いつき、ロイはオークの背中を斬りつけた。地に伏すオークを横目に辺りを見回すと奥の方に銀髪の少女に迫るオークの姿が見えた。
ゴブリンやオークは人間の女性にそういうことをする。まだ幼い少女がそんなことをされれば心には一生消えない恐怖が刻み込まれてしまうだろう。
馬から飛び降り剣を抜き、ロイは少しでも注意がこちらに向くように叫ぶ。
「その子から離れろ!オークめ!!」
こちらに気づいたオークはゆっくりと立ち上がった。その巨体に隠されていた少女は怪我もなさそうだし、服も破かれたりしていないことにロイは安堵を覚えた。
「ふんっ。人間風情が俺様に勝てるとでも?」
「勝てないからと引き下がる訳にも行かないんだよ。後ろの少女よ!立てるか?俺が時間を稼ぐから逃げるんだ!」
ロイとて鍛錬を積んだ騎士団長を務める有能な騎士であったがロイの2倍近い巨体を持つオークに勝てる確証も無かった。だが隙を作って少女を連れて逃げられればこちらの勝ちだとロイは剣を強く握り直した。
何度剣と棍棒を打ち合わせただろうか。ロイの剣はボロボロになり、それ以上にロイの身体は今にも倒れそうなほどの傷を負っていた。
「貴様……ただのオークではないな……?」
「その通り!俺様はオークリーダーだ!」
ロイは朦朧とする意識の中で記憶を辿る。オークリーダー。オークの上位種で今の自分の実力では歯も立たないような格上だ。部下に油断するなと言っておいて隊長の自分がこの有様だ。情けないとロイは歯ぎしりをする。
俺が倒れればこの少女に降りかかる最悪は想像に容易だ。絶対に倒れる訳には行かない……ロイの思考は途切れ、足の力が抜ける。
「本当にすまない……」
「デュラハン様、この人間はもう殺しやすね」
「待ってください。この人間を使えば自然に人間の街に潜入出来るかもしれません」
ルーシャとしての身分を証明できるものなどないが、オークに襲われて荷物を無くし、記憶も曖昧とか言っておけば上手く行くかもしれないと考えを巡らす。
「向こうの村人たちはどうしやすか?」
「それは連れ帰って大丈夫ですよ」
ルーシャはオークと別れボロボロになった人間。ロイに向き直る。
「生憎回復魔法なんか使えませんからね……ポーションでも持ってたら飲ませてあげましょう」
パチパチと焚き火の音がする。
私は生きていたのかとロイは目を開け空を見る。夜も更けてすっかり暗くなっている。
「女の子1人として守れなくて何が騎士だ。何が隊長だ。くそが……」
拳を額に当てて唸るように自己嫌悪の言葉を漏らす。
「あの……大丈夫ですか?」
不意に声がしてロイは驚きながら声の主を見た。自分が守ることの出来なかったはずの少女がそこには居た。
「よかった!無……事……」
無事だったのか。そう言う所だった。少女が下着しか着けていないことに気づき口を噤んだ。
「本当にすまない。俺が弱いせいで君は……そうだ、せめて俺のマントを羽織っておいて欲しい」
ロイがそう言って身体を起こすとパサりと自分の身体に掛かっていた物が落ちた。拾い上げるとそれはこの少女が着ていた服だった。
「これは……君のだよね?」
「はい、寒いかと思いまして」
「いや、明らかに君の方が寒そうでしょ!?俺鎧着てるんだよ!?君は下着のみじゃないか!?」
少女がいまいち納得していないようなのでロイは服と自分の付けていたマントを渡し、赤くなった顔を隠すように少女に背を向けた。
一呼吸おいてロイは背を向けたまま問いかける。
「なあ、何故俺は生きているんだ?」
「すみません、私、記憶が曖昧で気がついたら貴方がここで倒れていたので」
「そうか、あまりの恐怖にきっと防衛本能が働いて記憶を閉ざしたのだろう。本当にすまない」
少女の方に向き直りロイが頭を深く下げようとすると少女の細い手によって制された。
「貴方が私を守るために命を懸けて強大な相手に立ち向かってくれたのは覚えています。騎士として貴方よりかっこいい人を私は知りません。」
ルーシャの本心であった。デュラハンの戦士、いや騎士として誇りを持っていたが、自分より格上に挑む、まして誰かを守るために自分は戦えるだろうかと考え、実力こそ高くは無いが尊敬すべき騎士であると認めていた。
面と向かって美しい少女に褒められて、照れているのを隠すようにロイは少女に聞いた。
「何か俺に出来ることはないか?君を守りきれなかった詫びと介抱してくれた礼に」
「そういうことであれば一つお願いしたいのですが」
遠慮がちに申し出る少女に、なんでも言ってくれ、とロイは続きを促す。
「私を街まで連れて行ってくれませんか?」
記憶を失うほど怖い思いをして、自分を守りきれなかった騎士であろうと、少しズレているが優しく介抱してくれた少女の願いは、ロイが当たり前にやろうとしていた事だった。罪滅ぼしか、自分を納得させるためかロイ本人も曖昧だが何でも叶えるつもりだった。
肩透かしを食らった気分だがこの少女は他に特に望むものは無いようだ。
ロイは膝を着き騎士の礼をとった。
「防衛都市ラベッタ騎士団長ロイは貴方を必ずお守りすると約束します」
ロイに誓われたルーシャは心の中で満足げに頷くと同時に少し困惑していた。
この騎士を使えばスムーズに潜入できますね……しかし何でしょうかこの騎士の熱視線は……?