ゴメンネ
彼女を見つけたのは、路地裏だった。
息も荒くなっている俺に対して、同じように走っていたはずの彼女は全く息が切れていない。
「やっと見つけたぞ、こいつっ」
「あらあら、ご苦労なことねぇ。こんなところまで来るなんて」
ケラケラと彼女は笑っていた。
「何がおかしい、そっちが組織の金を盗って高飛びしようとしてるから、こうして追いかける羽目になってんだろうが」
言いながら、彼女との間合いを狭めていく。
路地裏なだけあって、電気の数は少ない。
彼女と俺とは10メートル離れていないくらいだろうが、間には一切電灯の明かりがない。
「あらあら、私は貸していたお金を取り返しただけよ。ボスにそう伝えてちょうだい」
「それはボスの前で言ってもらおうか」
腰から下げていていたホルスターから銃を取り出して、彼女に狙いをつけて、警告もなしに撃つ。
乾いた音が、あたりの音をすべて上書きしていく。
ただ銃弾は彼女のところへ届かなかった。
暗闇で何かに吸い取られたかのように、忽然と姿を消す。
なんだと思って暗闇に目をこらすと、ようやく輪郭だけが見えた。
「遅かったじゃない」
「レディを待たせるとは、どうやら年をとったようだな」
やれやれとかぶりを振りながら現れたそいつは、人間の姿をしているが雰囲気は違う。
何かもっと違う、今すぐ逃げろと本能は叫び続けていた。
だがしかし、足が動かない。
「悪い子だ、レディに手を上げるとは」
「彼はただの小間使いよ、でもそうねぇ、帰ったとしてもあの人なら半殺しでしょうね。運が最高によくて。悪ければ海にドラム缶に詰めてドボン、よ」
未来の想像は、簡単にできる。
間違いなくて死んでから詰められるのが関の山だろう。
「あ、そうだわ」
彼女は、ポンと手を叩いて思いついたように俺と暗闇の人に言う。
「彼も一緒に連れて行きましょう。彼は私をここまで追い詰める度胸があるし、小間使いとしても十分だわ」
「しかしレディ、こいつはあなたを殺そうとしたのです。果たしてそれを信用できるのでしょうか」
「あら、信用なんてしないわ。ただそばに置いているだけですもの。それに、もしもの時にはあなたが来てくれるでしょ。安心安全の、手野武装警備よりも、テック・カバナー総合軍事会社よりも、完璧強固なセキュリティだわ。契約によって、私の意思は最大に尊重されるのよね」
「……どうなっても、責任はとりかねます。それだけは覚えておいてください」
「決まりね、彼への術を解いてちょうだい。そのまま飛んで」
「承知しました」
話したとたん、一瞬だけからだが楽になる。
しかし刹那、目の前がぐにゃりとゆがみ、そして戻った。
場所が分からない。
どこかの城の中か、赤絨毯が長い廊下に敷かれていることだけは分かる。
「お嬢様、以前も申しましたように、こちらへ来る際には、あらかじめ連絡をいただきませんと」
スーツ姿の若い男性が駆け寄ってくる。
と、俺の姿を見て瞬時に警戒モードもはいったが、彼女が手で制止する。
「もう、彼は安全よ。ファスキによって武装解除はしておいたわ」
言われてやっと、手に持っていた銃がなくなっていることに気づいた。
「魔術を使うのは、誰もいないところで、とお伝えしていましたでしょう」
「あら、いっぱしの口をきくようになったわね。あなたのおじいさんに似てきてるわよ」
「お褒めくださいまして、どうもありがとうございます」
ただ、彼は頭を下げることはなかった。
何が起きているか分からない俺に、彼が近寄ってきて手を差し出す。
「彼はどうするので」
「とりあえず敵組織との交渉材料にするわ。客間の一つをあてがってあげなさい。詳しい説明は後でしておいて。ここがカバナーシティではなく、ラングマン大公国の一角であると言うこともね」
「ラングマン大公国だって?!」
地理に詳しくない俺だって、その国の名前は聞いたことがある。
ヨーロッパのフランスとドイツの国境線上にある小さな国だ。
「あんたはいったい」
「あら知らないで追いかけてきていたのね。ラングマン大公国女公爵、よ。まあそれ以上のことは、おいおい、ね」
言われても理解ができない。
一体どうやって俺は何千キロ、何万キロを一瞬で飛んできたんだ。
そして何より、あの不可思議な男の存在も気になる。
しばらくはここにいることになりそうだから、そのことも分かってくるだろう。
ただ、今は全く分からないことだらけで新生活が始まった。
それだけしか、分からなかった。