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「あら大神官さま、今日もきてくれたのかい」

「こんにちは、カレンさん。この辺りでは煉瓦亭が一番落ち着きますから」

「嬉しいこと言うじゃないですか。いつものでいいですかね?」


 お願いします、と穏やかに微笑みながら、トアンは連日の来訪時と同じ、入り口近くのテーブルについた。これで4日目だ。あの邂逅の翌日から、いつも昼より少し早い時間に、トアンは煉瓦亭にやってくる。


「こんにちは、トアンさん」

「こんにちは。今日も元気そうだな」


 すっかりカレンにすら気に入られたらしいこの男と、できればこれ以上関わり合いたくない気持ちもあったが、客は客だ。店員としてはないがしろにするわけにもいかない。一方のトアンも、不自然なほどにあの日の出来事については触れてこない。ただの気の良いお兄さん、と言う風だ。


「今日はアスランは一緒じゃないんですか?」

「いや、来るんじゃないか?」


 噂をすれば。扉が開いたと思うと、肩で息をしながらアスランが飛び込んで来る。


「トアン大神官、置いていかないでくださいよお」

「置いていってはいない。待たなかっただけだ」

「同じじゃないですか!


 走ってきたらしいアスランはその額に汗すら浮かべている。春の終わり、最近気温の高い日が増えた。


「お水どうぞ」

「ああ、ロゼ、ありがとう!あ、これあげるよ」


 ロゼが差し出した水を一気に飲み干し、ふうと一息ついたアスランは、その手に握った一輪の花を差し出す。根ごと掘り返したのか、土がついたままだ。華奢だがしっかりした茎に、小さな白い花がひだのように折り重なっていくつか咲いている。


「わあ、バルエール!すごい、見つけるの大変だったでしょう」

「そういう名前なの?ほんと、大変だったよ。トアン大神官に深夜に叩き起こされてさ……夜通し探させられて……」


 恨みがましくアスランが言うが、トアンはどこ吹く風だ。


 なるほど、バルエールは新月の夜のみに花を咲かせる貴重な植物だ。茎や葉だけではそれと判断がつきづらく、だから花が咲く短い時間の間に探し回るしかない。ロゼも本で読んで知るばかりで、本物は初めて見た。


「その分、今まで仮眠をとらせてやっただろう」

「はい、ありがとうございます……」


 アスランは苦い顔をしながら、トアンの正面の席につく。ロゼはアスランの注文をとってカレンに伝えてから、その花をしげしげと眺めた。

 白い花びらの部分は妙薬の材料になる。丁寧に煮出して液体として使おう。カレンに鍋を借りられるだろうか。


「リーヨン近辺はバルエールの群生地だ。配属時の資料で読まなかったか?」

「う……見た、と思います」

「ハハ、お前のそれは資料を目の前に並べただけ、と言うんだ。読まない資料など捨ててしまえ」


 ぐうの音も出ないアスランは、ロゼを会話に混ぜることにしたらしかった。


「ロゼは良く知ってたね。さすが、森で良く草花を収集してるって聞いたよ」


 感心するといった風に言ったアスランを遮るように、カレンがカウンターの向こうから口を挟む。


「さすがでも何でもないよ。それでこの子ったらこないだ、森で採ったシレ草の粉末を客の料理に……」

「わああすみませんでした!すみませんでした!」


 うっかり客を殺しかけた出来事を蒸し返され、ロゼは再度平謝りした。


「シレ粉末?」


 トアンに視線で問われ、ロゼは言葉につまる。自分の「常識知らず」を自分で説明しなければならないとは。


「いえ、あのう、森で見つけて、綺麗だったので……」

「自分で粉にしたのか?」

「ええっと、その、はい」


 もしかして怒られるのだろうか。大神官が殺人未遂と断ずれば、ロゼなど数時間後には牢屋にいるだろう。それはいやだ。本当にいやだ。ロゼは焦った。とにかく害意はなかったのだとアピールしなくてはならない。


「シレ草に毒があるって、知らなかったんです」

「ほう」


 トアンは面白いものを見るような目をロゼに向け、楽しげに笑う。


「ひと目でバルエールをそれと見分けるくらい草花に詳しいアンタが?」


 しまった。ロゼには人々が「普通知っていること」と「普通は知らないこと」の判断がつかない。そのせいでついた常識知らずの変わり者という印象から、何とか抜け出そうとしているというのに。


 焦ったロゼは、いつもの手段に出ることにした。


「すみません!わかりません!」

「またそれか」

「もうやりません!牢屋には入りたくないです!」


 必死に頭を下げるロゼの上で、トアンが笑いながらアスランに話しかけるのが聞こえる。


「神官アスラン。罪人はこう言っているがどうする」

「あんまりロゼをいじめないでくださいよ……」


 自身も散々いびられているアスランにはロゼの心境がひしひしとわかるのか、同情じみた声で訴える。


 ここ数日、アスランはいつもトアンに付き従っているようだった。何をしているのかとロゼが聞くと、アスランは少し考えてから、散歩かな、と答えた。街のあちこちを案内して回っているらしい。


「いらっしゃいませ!」


 タイミングよく別の客が入店し、これ幸いとロゼは会話から逃げ出した。その背中にトアンの薄笑みが投げかけられているのを感じたが、振り返ったら負けである。


 しばし客波が続き、ロゼは注文をとったり料理を運んだりと動き回った。

 その間トアンとアスランは食事を取りながらあれこれと話し合っているようで、たまに漏れ聞こえる内容から、存外霊唱や精霊について真面目に話しているようだった。意外だったのは、初歩的とも言えそうなアスランの質問に対し(一度皮肉を挟むものの)、トアンがその都度丁寧に説明していることだ。それに、さすがの知識量である。


(やっぱりこの人の霊唱、聞いてみたいなあ)


 以前にも考えたことだが、その欲求は増していくばかりだった。ロゼにとって、霊唱ほどその人の人間性がわかるものはない。誰でも唱えられるものではないが、ロゼにとっては一番身近なものだ。


 昼のラッシュがもうすぐ過ぎようかという頃、ふと気づくとアスランの姿はなく、トアンはカウンターに移動しカレンと何事か話しているようだった。

 最後の客の注文を取り終えたロゼもカウンターに戻る。


「お疲れさん。休憩とっておいで」


 カレンはいつものごとくロゼに包み紙に入ったサンドイッチを持たせ、それからトアンをみた。


「あとは私一人でなんとでもなりますから、お好きなだけどうぞ」

「ありがとうございます」


 なんの話かわからず二人をみていると、トアンはさも当たり前のように、行くぞ、と言って歩き出す。


「えっ」


 状況を把握しようとカレンに視線を送ると、あんたに森を案内して欲しいんだってさ、との答えが返ってきた。ロゼが休憩になるとは森に足を運んでいることを知っているカレンからすれば、特に問題のないことだと思ったのだろう。

 それに、他ならぬ大神官の頼みだ。


「えっ、いやあの」


 戸惑うロゼなど知らぬ顔で、トアンはさっさと店を出て行ってしまう。まさかロゼを借りる承諾を得ていたのか。


「ちゃんとご案内するんだよ」


 カレンにそんな風に託されてしまえば、もう否とは言えず、ロゼは慌ててトアンの背を追いかけた。


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