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「トアン大神官」の話を、最近頻繁に耳にする。ロゼは客が去ったテーブルを片付けながら、最近耳にしたその人にまつわる噂話を思い起こしていた。
神官たち曰く、
『トアン大神官、やばい。霊唱やばい』
『でも私、もう心折れそう。昨日なんて霊唱したら「おもしろい歌だな、子供が喜ぶんじゃないか?」って言われた。もう神官辞めたい』
『いや僕なんて、「騒音被害の文句が来る前に、森に行って精霊に謝ってきた方がいい」って言われたから』
『つら』
兵士たち曰く、
『やっぱり大神官って違うんだなあ』
『でもあの人はなんか、気さくって言うかさ、気安いよな』
『わかる、俺こないだ彼女とのことで相談乗ってもらっちゃってさ。なんでそんな女心わかるんですかって聞いたら、「俺は大神官だぞ?」って言われて』
『かっけーー』
聞けば聞くほど、「意地悪大神官」像と、「頼れる兄貴」像がロゼの中でごちゃ混ぜになり、もはやよくわからなくなっている。だが街に来て数週間で、トアンはすっかり人々の心を掴んでいるらしい。様々な意味で。
ロゼは幸いにも、まだ噂の男とは顔を合わせていない。ロゼの行動範囲は主に煉瓦亭から森、そしてたまのお使いに繰り出す中心街の決まった店のみなので、それがトアンの出没点と一致していないのだろう。
やっぱり運が良い、と思い直すと同時に、その「やばい霊唱」を聞きたい欲求もある。
ロゼは生粋の霊唱マニアと言ってもいい。なにせ物心ついてこのかた、そればかり考えて生きてきたのだ。塔に引きこもっていたロゼが実際の霊唱を聞くのは大礼拝のとき、兄姉の唱えるそれと、あとは神官たちが合唱するものばかりだった。
彼らの霊唱は正しく、美しい。でもロゼは個性ある霊唱が大好きだ。例えばアスランの柔らかな霊唱や、一度だけ聞いた、オリヴィアのハキハキした霊唱。
(いじわる大神官は、どんな風に歌うんだろう)
ロゼはそれとなくアスランに聞いてみたいと思っているのだが、当のアスランはここしばらく顔を見せない。どうやらトアン大神官に絞られ大変に忙しくしているらしいとはドゥールから聞いたことだ。
「ロゼ、ちょっと買い物頼めるかい」
「はい!」
カレンに声をかけられたロゼは、張り切って返事をした。これまで会わずに来られたことで、すっかりトアンに対する危機感や警戒心は失っていた。ロゼは生来の楽天家である。
「いつものところでハムを追加してきておくれ。最近やけに売れるからね、あとは……」
言うなりカレンはロゼの手に銀貨を数枚握らせ、素っ気なく続けた。
「あんた、そろそろ服を新調しておいで。いつまでもダボダボじゃあ見目が悪いだろうが」
ロゼは、率直に感動した。今の服に一切の不満はない。大きいから不器用なロゼでも着やすいし、それにこの服はカレンが昔着ていたものだと言うから、「お下がり」の特別な響きも好ましく思っていた。だがカレンは新調しろという。それは実際彼女にとってなんの利益ももたらさないのに。
ロゼは人の親切に触れると、信じられないほどの喜びを感じる。それは得難いもので、同時にあまりにも人間らしい。ロゼにないものだと思うからだ。
「ありがとうございます!買ってきます!」
そういって、ロゼは勢いよくカレンの手を握り、銅貨をその手に戻す。先日給金をもらったばかりだ。その金で自分の新しい仕事着代が十分に賄えることを、半年前のロゼならわからなかったが、今は知っている。
「行ってきます!」
元気よく言い置いて、ロゼは呆れたようにため息をつくカレンを背に残し店をでた。