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 ロゼが休憩時間を使って森に行ける程度には、煉瓦亭は街の中心街から外れた場所にある。食堂として立地が良いとは言えないが、近くには兵士たちの詰所があり、彼らはここのお得意さまだ。夜には中心街の大きな飲み屋に行ってしまうことが多いが、昼の店内は屈強な男たちで混み合っている。逆に夕刻からは落ち着いて食事のできる場所として、付近の住民にも人気がある(カレンは行儀の悪い酔っ払いとみると怒鳴りつけて追い出してしまうので、その安全さも人気の理由のようだ)。


 夕刻の客波がくるよりも少し早く昼食休憩から戻ったロゼは、馴染みの顔がふたつ店内にあるのを見つけた。


「あれ、今日は早いんだね」


 ロゼが声をかけると、栗色の頭がガバッと顔をあげる。


「ロゼ〜〜聞いてくれよお、大変なんだよお」

「ドゥールさん、こんばんは」

「こんばんは、ロゼ」

「無視するなよお、聞いてくれよお」


 ドゥールは街で鍛冶屋を営む男性だ。短く刈り込んだ灰色の髪と体つきの良さからともすれば兵士にも間違えられそうな外見で、実際一時は国軍に所属していたらしい。

 一方机に突っ伏して今にも泣きそうに呻くのは細身の青年で、名前はアスラン。薄青の貫頭衣に同色のズボンを纏った姿から、一目で精霊教の神官だとわかる。帯は灰色の混じった薄青で、これは神官としての階級を表すものだ。青が濃くなるほど上の階級で、つまりアスランは下級神官なのであった。


「なあに、今度はどんな無茶を言われたの?」

「嫌だよなあ、階級社会。下っ端はいつも無理を押し付けられる係だ」

「うっうっうっ、違うんだよ、今回は、今回は、昇級、昇級試験が」

「あるって言ってたね。でも今年の俺は一味違うって言ってなかった?」


 ドゥールさんおかわりいりますか、おう頼む、と和やかに会話するロゼたちを尻目に、アスランはその表情を悲痛に歪めて行く。


「そう思ったんだよ。リヴィエール上級神官からも、お前なら今年はいけると年初の会でお声をかけていただいて……。なのに今日知らせがあって……試験官に、トアン大神官が来られる、と……」


 トアン、とロゼは脳内で繰り返してみる。大神官は教団の神官を地域毎に取りまとめるほか、愛し子たちと直接関わりのある唯一の職位だ。ロゼの引きこもりはそれを極めていたので直接会って会話した大神官は一人としていないが、その名前だけは把握していた。


 ロゼが追放された去年の冬の時点で大神官は六人いた。トアンは確かその中で突出して歳若く、しかし担当していたのは別の地域だったはずだ。


「どうしてそのトアンさんだとダメなの?」


 ロゼの問いに、おいおいと泣くアスランに代わってドゥールが答える。


「意地の悪い天才、なんだと」

「いじわる……」


 意地悪な大神官、というのはなんだか妙な響きだな、とロゼは思った。精霊王の教えをよく解し、人々を纏め教え導くに長けた人物たる大神官が、『意地悪』。

 アスランが再びガバッと顔を上げ、続けた。


「俺は実際には会ったことないけどさ、でもラダンの神官たちはみんな言ってるよ。霊唱は、すごいんだって。そりゃもう愛し子さまに近いレベルなんじゃないかって、そんなこと口が裂けても言えないけどさ、でもそれぐらいすごいらしくて」

「でも『意地悪』なの」


 ラダンとは雪深い隣国の名だ。そう、確かトアンという人が担当する地域には隣国ラダンが含まれていた。


「俺の同期のやつが言ってたんだよ……ただ厳しいんじゃない、意地悪なんだって」

「不当に部下を扱うとか?」

「そういうんじゃないんだけどさ、そいつが訓練の時にトアン大神官の前で護身の霊唱したら、その人鼻で笑って」


 そこでアスランはさも恐ろしいという風に身を震わせた。


「『その霊唱だと椅子の角に足をぶつけただけで死にそうだな』って言われたって」


 反応に困ったロゼがドゥールを見やると、彼はこくりと頷いた。


「それはまあ、確かに」


(なるほど、そういうのを意地悪っていうんだな……)


 でも、アスランの霊唱は素敵だ、とロゼは思う。そんなことがなぜ分かると聞かれては困るので本人に伝えられないのが残念だが、アスランの霊唱はとても、精霊に「気を遣って」いるのがわかる。確かにそのせいで強制力は弱く、有り体にいえば精霊に舐められてしまうようなので効果はかなり低いが、でも気の優しいアスランらしい霊唱で、ロゼは好きだ。


 ロゼがこの街にたどり着いたあの寒い冬の日、最初に声をかけてくれたのはアスランだった。彼は友人のドゥールに声をかけてくれ、そしてドゥールからカレンに繋がった。それが実は普通のことではないのだと、半年経ってようやくわかる。ロゼが改めて礼を言った時、アスランは神官の勤めを果たしたまでだと笑った。


「だが、なんで大神官サマがわざわざ下級の試験なぞ担当するんだ」


 ドゥールが度の強い酒を舐めながら尋ねる。ロゼには酒の味も良さもよくわからないが、特にドゥールの飲む酒は癖の強いものが多く、ロゼは臭いだけでもう十分に酔えそうな気がする。


「そうなんだよおおお、なんでもシュリヨンの森の調査があってそのついでだとかなんだとか……。多分、いまちょっと聖都が騒がしいらしいから、それで上級神官たちが駆り出されてるっていうのもあるのかな……」

「ああ、街でも噂になってるな、聖都の覇権争い」

「それそれ。愛し子さまあ、やめてくれえ、こうやって弊害を受けてる下っ端がいるんだよおおお」


 聖都の覇権争いは、ロゼも客の会話で聞いた。ロゼを除く愛し子三人のうち二人が、精霊教の理解を巡って争っているらしいとの噂だ。一人はロゼを追放した「お兄様」で、通称「輝きの愛し子」、もう一人はロゼが未だ一度も会ったことの無いお姉様、「慈しみの愛し子」。愛し子たちは通常その名を誰にも明かさない。ロゼも知らない。


「それで、大神官さんはいつ来るの?」


 ロゼは少しの罪悪感を感じながら聞いた。万に一つも自分が愛し子もどきだと知られるわけにはいかないという、身の保身による質問だったから。


「それが……」


 アスランは言葉を濁し、いっそ涙を浮かべそうな表情で呟いた。


「もう、来てるって」



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