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「なんでアンタまで来るんだよ」


 森で落ち合ったルイは露骨に嫌そうな顔をしたが、トアンが気にするはずもない。


「ハハ、俺も霊唱を教わろうと思ってな」

「ロゼお前、なんで連れてくるんだよ……」

「えっだめだった!?ごめん」


 トアンが森にくると言った時、ロゼは断る選択肢を考えもしなかった。教えられることがあるとは思えなかったが、これはトアンの霊唱を聞く千載一遇のチャンスである。

 一応謝ったロゼのその瞳に隠しようのない期待を見つけたルイは、あーはいはい霊唱オタク、とぼやく。トアンの霊唱が聞きたいと繰り返し言っていたロゼを思い出したようだった。


「古の霊唱か。アンタは前からここに来てたんだな」


 三人はいつもの霊唱の前にいる。

 トアンが正面の巨大な陣を眺めながら呟くように言うので、ロゼはどういう意味かと首を傾げる。


「ああ、初めて森に入った時ここに人影を見たんだが、あれはアンタだったといま気づいた」

「ええ、声をかけてくれればよかったじゃないですか」

「その時は様子をみたんだ。アンタだったなら声をかけたらよかったな」


 そうすればもっと早かった、と言うので、ロゼはトアンに書き換えを見られ、追い詰められ、実質脅された経緯を思い出して半眼になる。

 その目を受けたトアンは軽く笑って、それからなだめるようにロゼの頭をポンポンと叩いた。


「……なに、お前らそういう感じなわけ」


 二人を眺めていたルイが胡乱な目つきで言う。


「『そういう感じ』?」


 ロゼが繰り返し、トアンはわざとらしくハハハ、と笑う。

 ルイはそんなトアンとロゼを交互に見て、一度ため息をついてから、まあ俺には関係ないけど、とひとりごちた。


 トアンはその話題に興味がないように続ける。


「さて、霊唱を教えてもらえるんだったな?」

「いえ、その……私には書き換えしかできないので」


 トアンはそのことをもとより知っているはずで、だからこうして「教える」を強調するのはからかっているのだろう。ロゼは恐縮する。


 ルイとロゼの霊唱教室は、概ね書き換えの方法を試したり、あとはルイの霊唱をロゼが褒めちぎりながらアドバイスしたりとそんな感じだ。「教える」というほどのものでもない。


「本当にそうか?」


 トアンがまっすぐに問う。その射抜くような視線にロゼは戸惑い、それから、幾度も試しその度に霧散した自分の霊唱を思い出す。ひとりぼっちの部屋で、どれだけ、何を試行錯誤して歌っても、精霊は呼びかけに応じなかった。


 ロゼは心持ち暗い表情で告げる。


「そう思います。もう何度も何度も試しました」

「なるほど。ルイ、どう思う」

「えっ俺!?」


 急に話を振られたルイは焦ったが、思うところがあったようだ。考え考えと言った風に話す。


「あー、えーっと、いや確かに霊唱が効力ないのはみたけど、でも書き換えってことは他人の霊力に干渉できるだろ?俺は神兵学校で相手より早く攻撃するための霊唱の簡略化とか、あとは相手の霊唱完成を阻害する方法とかを習ってたんだけど、それって主に物理でさ。歌い終わる前に殴りかかれとかそういうの」


 想像以上に治安の悪い話が始まりロゼは唖然とした。確かに歌い手を歌えなくしてしまえば霊唱は防げる。それはそうなのだが、考えたこともなかった。


「でも干渉できるならさ、ほら、お前あの時俺たちの霊唱を「反転」しただろ。あれができるなら例えば霊唱してる最中に歌い返して発動を「止めたり」とかもできんじゃね?とはちょっと思ったけど」


(霊唱を「止める」。発動する前に、つまり陣も残らないように?)


「冴えてるな、やっとバルエールが抜けてきたか?」

「とっくに抜けてる。いちいちうぜえ絡みやめろくそくそ神官」


 ルイとトアンの嫌味と雑言の応酬を、ロゼは聞いていなかった。


 止めるには何が必要だろう。霊力のないロゼでは、元の歌い手の霊力に便乗することでしかそれができない。何の歌を重ねる?序歌は、供物は、讃美は、願望は、


「……『精霊とたてがみ』を読んだか」

「へっ!?えっと、読みました」


 トアンの脈絡のない問いにロゼの思考は中断された。

 トアンはロゼの返事に頷くと、そうか、とだけ言い置いて、


「よし、やってみろ」

「え」

「ルイ、守護を歌え」

「俺かよ」


 言ったものの興味があったのか、ルイが歌いだす。最も一般的な序歌から、いつもの迷いない霊唱が始まる。

 やれと言われたらやるしかないのが流されやすさに定評のあるロゼだ。ロゼの脳内ではあらゆる歌と可能性が巡る。


(霊唱をやめさせることはできない。歌を歌い返す……違う、精霊に働きかけなくちゃ、この歌は違うのだと、集まる必要はないのだと)


 ルイの歌はもう中盤に差し掛かったが、ロゼの考えはまとまらない。


 反転のときは序歌から入れた。だが本当に必要だっただろうか。あれでは陣は残る、効果は変えても本当の意味では「止められ」ない。ではどうすれば良い。霊唱に対して精霊が力を貸さないよう、彼らを……


(精霊とたてがみ)


 ロゼは自分の口が勝手に動き出すのがわかった。


 それはルイがもう願望を歌い始めたときだった、ロゼの声が重なり歌うが、それはほんの数秒、ルイよりも先に歌い終わる。


 すると、浮かびかけていた陣は瞬く間に姿を消した。


「……まじかよ」


 呆然とルイが言い、ロゼも全く同じ心境だった。ルイとロゼは何もない空間に向き合う互いを、しばし呆けたまま見合った。


 霊唱は消えた。陣など姿形もなく、精霊の集まりも感じられない。そこにはただただ、森の澄んだ空気だけが流れている。


『そのとき狼は叫びました。「わたくしは嫌です、お戻りください」。すると愛すべきかの者の声に応じ、精霊たちはならば戻ろうときびすを返したのでした』


 それは精霊と人との関わりを描いた寓話集のうちの一つ。

 トアンが名指ししたそれを、頭が真っ白になったロゼはそのまま歌ったのだ。


 「拒絶」と、「逆戻」。


「まったく、荒唐無稽だな」


 そう言ったトアンは、けれど少しも驚いているようではなかった。それは驚きよりも、むしろ。


(どうして悲しそうな顔をするのだろう)


 ロゼにその理由はわからなかった。


ちょっと完全に風呂敷を広げすぎてめげかけています。

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