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「あ」


 その「気」を感じたのは、何本目かの角を曲がった時だった。ロゼは気になった方角を振り返り、確かにそうだ、と確信する。


「あるな」

「はい。でもなんかちょっと、変かもしれないです」


 違和感を申し出るロゼに、トアンはふむ、と頷くと、


「罠だろうな」

「えっ」

「やっとか。行くぞ」

「ええっ」


 でも、罠なんですよね?

 確認する間も無く、トアンは足早に進んでいく。慌ててロゼはその後ろを小走りについていった。


 たどり着いた路地の先、薄暗く湿気っぽい袋小路。正面の土壁の中心に陣取るように、鈍く光る赤茶の霊唱が残されている。もう少し近づかなければ細部は見えない。色とだ円の枠からこれまでと同じ種のものだろうと思うが、ここからでは何の効果をもたらず陣かは判別できない。


「私見てきます」

「バカ。ここにいろ」


 そう言ってロゼの頭を叩くと、トアンは躊躇する様子もなくスタスタと陣に近づいていく。ロゼはひやひやしながらその背中を見守った。あと数歩で陣に手が届く。そこまでトアンが進んだ、その時


「         」


 霊唱だ。早口の男の声。背後から聞こえたそれにロゼが勢いよく振り向くと、人影。四人、口々に歌っている。

 ロゼは急いでトアンの姿を確認する。供物がない簡略な歌だ、赤い霊唱陣が動じないトアンを囲むように浮かび上がる。四つの陣。止めなければ。でも完成しなければ願望がわからない。


「よし、歌え」


 トアンが簡潔に言った。ロゼは状況についていけずたじろぐ。

 何を、


「反転しろ」


(反転!?)


「やったことないです!」

「できる。早く」


(何を根拠に!?)


 話している間にも男たちの霊唱は終わりを迎えようとしている。陣に文様が浮かび上がり、霊力がこめられたことを示した。精霊が集まり始めている。それがトアンに手を伸ばす。

 ロゼは男たちの声を遮るように大声で歌った。目力を込めてトアンを囲む陣の一つ一つを凝視する。


(カトラ、ラグニエ、それからえーっと、反転、反転、反転……!)


 ロゼは無我夢中で歌った。間も無く背後から男のうめき声が聞こえ、そのあと重いものが倒れたような音が複数続く。ロゼは振り返らなかった。トアンの周りで四つの陣がそれぞれ白く光る。その光が落ち着き、銀の文様が浮かんだ。願望は「拘束」。


 歌い終えたロゼが肩で息をしながら急いで振り返ると、先ほど音が聞こえた方向、離れた場所に男が倒れている。直立のまま地に伏す不自然な態勢で、もがこうとも体が動かないようだ。


(「拘束」が反転したんだ)


 できた!


 ロゼは嬉しくなり、振り返ってトアンに笑いかけたが、


「……本当に規格外だな」

「へ」


 なぜか胡乱な視線を投げかけられる。言われた通りにやったのに。


 トアンは神官服をひらめかせ、今度はスタスタと倒れる男たちの方へ向かう。通りすがりざまに、不満げなロゼの頭をポンと軽く叩いて。それは芸をした犬を褒めるような仕草だと思ったが、ロゼは享受した。

 「よくやった」と言われた気がしたから。ロゼは単純だ。


「さて、どうしたものかな」


 トアンはわざとらしく声に出して言い、地に這いつくばる男たちをみる。


 正面に二人、建物の影にもう二人。この国で一般的な麻布の庶民服を上下に着込んでいる。服装に特に変わった点はないように見えた。南の山岳地帯の人間は褐色の肌をしているとロゼは本で読んだが、男たちはそんな風にも見えない。


「……殺すなら、殺せ」


 建物の影に転がった一人の男が憎々しげにいう。焦げ茶色の髪の隙間から、強い目線をこちらに投げかけている。声から察するに、随分若い男のようだ。


 トアンは軽く眉をあげると声の男を見やった。


「声が出せるとはな。もう霊力が切れたか?」


 いいながら男に近づくと、トアンはその胴体を雑に足で蹴り上げ仰向けに転がした。男はうめきながら転がり、その顔があらわになる。

 やはり若い。自分と同じくらいだろうか。大人の男というよりは、青年といった風だ。悪い笑みを浮かべる、長身で体格の良いトアンと並べると、


(トアンさんの方が悪い人に見える……)


 ロゼは賢明にも口には出さなかった。


「霊唱は反転した。その効力は元の霊力に由来する。半人前まで駆り出すとは、よほど人手不足とみえる」


 いつもの調子で煽っている。言外に能力の低さを指摘された青年は、一層悔しげに顔を歪めた。トアンは悠然と佇み、笑う。


「よし、お前は人質だ」

「えっ」

「なんでアンタが驚く」


 それは人質という言葉の不穏な響きと「大神官」があまりにそぐわなかったからだが、賢明なロゼはここでも再び口をつぐんだ。


 その後、ロゼはアスランを呼びに走らされ、やってきた神官たちによって青年は神殿に捕えられた。だがトアンは残りの男たちを「放っておけ」、などと言う。


 陣の霊力が切れれば動けるようになるだろうが、それにどれだけ時間がかかるかはわからない。元の霊唱にこめられた霊力が強ければ強いほど、効果は持続してしまう。

 その上、ロゼが書き換えてしまった陣だ。元の歌い手であっても自力では消せない。口が聞けないうちは歌い返しもできないから、ここに転がっているしかない。


「悪い女だな」


 自分を棚にあげてトアンがからかうので、単純なロゼは余計な罪悪感に苛まれたのだった。


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