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生来引きこもっていた聖都を追放されたロゼが、この街ではじめに教わったことは髪の結び方だ。
それから、麻布の庶民服の着方(裾が長い。これは頭からかぶる)。
同じく麻でできたズボンの腰紐の結び方(緩いと仕事中になんども結び直すことになる)。
そうしてロゼは「精霊王の愛し子」から、ぼさぼさの長い銀髪を雑にお団子にまとめ、ダボっとした麻の服を上下に着込んだ町娘になった。
人々の往き交い絶えない港湾都市リーヨン。右も左もわからず、その上生活能力が無に等しいロゼがここでこうして半年を生き延びられたことは、全くの幸運だ。自身の運の良さには胸を張れる、とロゼは思う。
「ロゼ!あんたまたやったね!」
ただ運だけではどうにもならないことも多い。
「はいっ!すみませんっ!」
「何をどうやったら客の料理にシレ草の粉末なんてかけるんだよ!だいたいなんでこんな草持ってる。どこから持ってきた!?」
「森で採集しました!美味しそうだと思ったので乾かして粉に……」
「シレ草が美味いはずあるか!毒草だろうが!」
ロゼが聖都で毎日のように食していたあれは毒草だったのか。でも少し甘みのある深緑の粉末は、この食堂の女亭主カレンの料理にぴったりだと思ったのだ。
「こんなこと子供だってわかるよ。あんた本当に何にも知らないね」
「すみません!もうやりません!」
「当たり前だよ!まったく……」
大事なのは言い訳をしないことだ。ぐだぐだと言い訳しようものならカレンの怒りが何倍にもなることはこの半年で学習した。この街の人々の「常識」はロゼにとって知らないことばかりだ。炊事も洗濯も掃除も、経験のあるものは一つとしてなかった。だが言い訳さえしなければ元来お人好しのカレンは丁寧にやり方を教えてくれたし、一度教わればもう間違えずにすんだ。
だから、怒られた時は素直に謝り、教えを乞うに限るのだ。
それに、言い訳と一緒に言わなくて良いことまで口にしてしまってはかなわない。
『その魂尽きるまで、精霊王の愛し子であるとは知られるな。お前はこの瞬間から父なる王とは心交わさぬ只人と心得よ』
(はい、お兄様。お約束は守ります)
ロゼの追放を決めた兄の言葉は、いまでもしっかりと脳裏に焼き付いている。あの日、ロゼはいつも通り目覚め、いつも通り世話係たちに着替えをしてもらい、そしていつも通り自身の「研究室」にこもって1日を終えるはずだった。
全てを変えたのは昼食前、突然神殿に呼び出されたことだ。生活の全てを幽閉塔で済ませるロゼが外に出るのは年に一回の大礼拝の時だけで、それはふた月前に済ませたはずだった。
あれよあれよと言う間に正装を着せられ、追放を告げられ、そして正装を剥がされた。渡されたのは簡素な旅装と荷物が一つ。そこには金貨が数枚と「おまけ」が入っていた。
あれが晴天の霹靂というべきだったのか、僥倖というべきだったのか、ロゼにはいまでも判断がつかない。身の回りの世話も自分でしたことがなく、当然働いたこともその能力も持たないロゼが冬の寒空の下に放り出されたことは、事実上の極刑だったのかもしれない。
だがロゼは実際の処刑台には上がらずにすんだし、親切な人々に助けられて幸運にも生き延びた。その上、
「(いまがこれまでで一番楽しい。追放してくれてありがとう、お兄様)」
「なにを笑ってるんだい!さっさと謝っておいで!」
「はい!すみません!」