20 回想・後編
「孫を返してくれ!」
彫師が急いで家に帰ると、ならず者たちは殆ど出払っていた。既に削った金を持って逃げたのであろう。
葉っぱを隠すなら森の中。人を隠すなら人ごみの中だ。
近隣の街からも人が集まる今なら、出入りもそう難しくはないであろう。いつもより警備も緩い筈である。
リーダー格の男が焦る彫師の顔を、何かを検分するかのように見つめる。
「……悪いがまだやることがある。金貨の微調整、それが終わったら必ず返す」
「ふざけるな……!」
我慢ならずといった様子で彫師が低く唸った。
「お爺ちゃん!」
「コリンッ!」
もう一人の男が彫師の方へ移動しようとするコリンを己の方へ引き寄せた。手荒な動きに怯えたコリンの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「念のため数日様子を見てから合流してくれ。よもや感ずかれることはないと思うが、万が一ということもある」
彫師はリーダー格の男に厳しい視線を向けながら口を開く。
「儂が合流しない可能性は考えないのか」
「……孫が可愛いのだろう? 放って逃げるとは思えないが」
男がコリンを掴む男へ視線を向ける。
男はナイフを出してコリンの襟元に差し入れては、一気に半分まで引き下げた。
ビッ! 耳障りな短い音をたてて音が響く。
同時に彫師とコリンの顔から血の気が引いた。
「やめろ!」
「それなら、素直に言うことを聞くことだ」
リーダー格の男が彫師に紙を手渡す。
そしてナイフの男からコリンを受け取ると、小さな手を引き工房を出て行く。
「お爺ちゃん!」
怯えた声のコリンに彫師は安心させるよう、頷きながら声をかける。
「大丈夫だ! 絶対に助けるから……!」
容赦なく扉が閉まり、彫師は力なく膝と両手をついた。
細かに震え握りしめた拳の上に涙が零れ落ちる。
(……なんでこんなことに……!)
*****
結論から言えば、観覧時間が終わるまで誰にも解らなかったようだった。
滅多に肖像画を目にしない人間は勿論のこと、警備をしている騎士達も全く気付かない。
(誰か、気づく人間はいないのか!)
気になるので教会の近くに居たいと見張りの男に言うと、渋々ながら了承した。
見張りの男は先ほどコリンにナイフを向けた男であり、教会で助手として見張りをした男である。ならず者も教会の動きは気になるのだろう。
長い時間が過ぎ、教会から人が次々に出て来る。彫師は全神経を集中して観覧客の顔を確認していた。
絵をみて満足そうな顔、つまらないという顔。美術品を見た時の表情は様々だが感情豊かでわかり易い。
そして教会から出て来たアマンダとセレスティーヌを見る。
(……随分遅くまで……)
観覧時間は過ぎている。そして訝しげな表情のふたり。不満ともまた違う、何かを考えるかのような表情だ。
(あの女装している大男は、髪は金髪だがまつ毛が銀色だ……! 初代の子孫か!)
もしかしたら違和感を覚えたのかもしれない――彫師は一縷の望みをかけズボンのポケットを握りしめた。
「腹が減ったな。何か食いもんを買ってきてくれ」
そう言って銅貨を数枚見張りの男に渡す。
「……爺さんも一緒に行くぞ」
言われて立ち上がり、フラフラとうずくまる。
「どうした」
「……この年で徹夜したんだ、眩暈のひとつも起こるだろう」
彫師が辛そうに口を開く。勿論演技だ。ワザとらしくないか背中に冷汗が流れる。
一方見張りの男にしてみれば、老体で徹夜の上、昨夜から何も口にしていないのだ。確かにと思う。
(ここでこのジジイに倒れられる訳にもいかねぇしな)
「逃げたらわかっているんだろうな?」
「大丈夫だ、逃げも隠れもしねぇ」
「チッ、ここで大人しくしていろよ」
何度も振り返りながら、足早に近くの露店に走って行った。
教会から出てきたふたりは、深刻そうな顔で何かを話しながら彫師の方へ歩いて来た。周りが賑やかで小声で話す声は聞き取れない。彫師は注意深く口元を見る。
――詳しい人間に調べてもらう必要がありそうね――そうアマンダの口が動く。
(……よし!)
彫師は見張りの男が店員とやり取りしているのを見て、急いでセレスティーヌにぶつかる。
おかしいと感づく人間が見れば、解るはずだと思いながら。
しかし手が震え、上手くカバンにねじ込むことが出来なかった。
小さなダイヤが入った袋が地面に落ちた。失敗だ。
ゾクリ、と寒気が背筋を流れる。見張りにみつからないよう急いで袋を拾い、ポケットに隠す。
「ごめんなさい!」
ぶつかった少女がよろめいては、大男に抱きかかえられるのを見た。
少女――セレスティーヌが彫師に細い手を差し伸べながら謝った。
「いや、こちらこそ済まないね。よろけてしまって……怪我はないかい?」
「大丈夫です」
足早に見張りの男のもとに急ぐ。動いているのを不自然に思われないために。
******
翌日、祭りが終わり肖像画の観覧も終わる。はじめの依頼通り異常がないかの点検と清掃に向かう。
「終わりました」
騎士に声をかけると労われ給金を受け取る。
そして今日にも次の観覧場所へ出発すると話を聞き、彫師は大変ですねと話を合わせておく。
「そう言えば、あんた肖像画に違和感はあるかい?」
「……違和感ですか?」
カラカラになった口を急いで閉じる。そして騎士の言葉を静かに待った。
「ああ。前観た時と微妙に違う気がすると言った人がいるみたいでなぁ」
「……さぁ……? お恥ずかしながら今回初めて拝見させていただきましたので。比べようもございませんが……」
「騎士様はどうですか? 警備をされてらして、何か違いを感じますか?」
彫師の助手を演じるならず者が騎士に問う。
彫師とならず者の間には緊張感が漂っているが、騎士は気づかないようで首を振った。
「いや、全く」
気の良い騎士は苦笑いをしてそう言った。
******
「お伺いしたいことがあるのですが」
鑑定士だという人間が工房にやって来ては、作業の内容を根掘り葉掘り聞いて来た。
彫師は生きた心地がせず、ただただ平常心を心がけるのに精一杯であった。
「扱われたのが国宝ですから、全員にお伺いしていることなのですよ」
にこやかな表情が自然ともいえるし、却ってわざとらしいともいえる。
確認されることに真面目に答える振りをしながら、彫師は孫の無事だけを考えて答え続けた。
「助手の方がいらっしゃったそうですね。お弟子さんですか?」
「……いえ。知り合いの者に臨時で頼みました」
後ろに控えるならず者を見れば、職人らしく見知らぬ人間を窺うような素振りをして頭を下げる。
鑑定士に変装したジェイが工房を見渡す。
(特に不審なものはないっすね? ……妙に緊張しているのが、どうなのか?)
自分が国宝に関わった後に鑑定士がやって来ては、後ろ暗いことがなかったとしても緊張もするであろう。不自然さは感じるものの元の性格が解らないので確証には至らない。
(深追いするよりも泳がせた方がいいっすね?)
アンソニーが時を置かずして来るだろうから、更に詳しく洗い直すであろう。
もしもセレスティーヌの見立てが正しく犯人がいるとするならば、自分が種を仕込んでおけば自ずと動き出すだろうと考える。
違和感の正体が解らない今、誰かだけに固執するよりも沢山の人間に『きっかけ』となる言葉を掛けた方がいい。
更に幾つか質問をして、ジェイは肖像画を護衛する騎士たちのもとに飛ぶことにした。
「不味いな。予定より早いが出発しよう」
ならず者はならず者で何となく嫌な予感を覚えた。急に工房を離れるのは違和感しか与えないと思い一週間程様子を見る予定でいたが、急いだ方がいいと勘が訴える。
「フォルトゥナ領に発つ。近所の人間に家族の病気を理由に遠出すると話しておけ。いいか、勘づかれるなよ」
ならず者は声を低くする。彫師は頷いた。
家族といっても、彼には孫息子しかいない。
親も妻もだいぶ前に亡くなっているし、孫の母であった彫師の娘と婿は流行病でなくなっている。肉親といえば娘の忘れ形見であるコリンただ一人である。
ならず者に言われるまま近所の人に嘘をつき、夜遅くに出発することにした。
やっとコリンに会えることに思いを馳せながら、注意深く隣の領に向かうこととなった。
******
(あのふたり組だ!)
フォルトゥナ領に入ったある日、偶然にもあのふたりを見つけた。
「どうした」
表情が変わったことに訝しんだならず者が、彫師を見遣る。
「いや、何でもない」
(天は見捨てなかったと思っていいのか)
逃げないと確信を持ったならず者は、彫師に対する警戒が少し緩んで来てもいた。
彫師はちらり、と酒屋に目をやる。敢えて酒好きのならず者に知らせるためだ。
「ちょっと待っていろ」
そう言ってホクホクと酒を調達しに行く男の背中を見て、最後のチャンスだと彫師は思った。
意を決して黒髪の少女――セレスティーヌにぶつかり、しっかりと彼女の持つカバンにビロードの袋をねじ込む。
「ああ! 申し訳ない……失礼したね」
慌てて謝り、頭を下げては足早に立ち去ろうとした。
「待って下さい!」
セレスティーヌが咄嗟に老人の腕を掴んだ。
思ってもみない行動に彫師は、驚いた顔でセレスティーヌを見る。
(……な……っ!?)
「……あの、失礼ですが、前にもお会いしていませんか?」
思わず息が詰まる。
まさかたった一度ぶつかったことを覚えているのかと、窪んだ瞳を瞬かせた。
「……そうですか? 多分、初めてだと思いますが……申し訳ありませんが急いでますので」
「でも……! 少しで良いのでお話を聞かせていただけませんか?」
食い下がるセレスティーヌに、彫師はもう一度頭を下げ腕を放すように促すと、顔を伏せるようにしてならず者のもとへ向かう。
「どうしたんだ」
「いや、ちょっとよそ見をしていたら人にぶつかってしまってな」
「気をつけろよ」
ならず者は訝し気に彫師を見た。