20 回想・中編
「余計なことを言えばこちらもそれ相応の対応をすることになる。子どもと年寄り相手に物騒なことはしたくない」
「…………」
何をふざけたことを言っているのか。
既に充分物騒だろうと心の中で罵りながら、彫師はため息を呑み込んでリーダー格なのか、代表で話す男を見つめた。
「初代王と家族の肖像画の修復係をするな?」
調べはついているのだろう。疑問の形はとっているものの、断定するような言い方だ。
「その準備のためと言って、すぐに工房を閉めて欲しい」
もともと肖像画に携わる間はそちらに集中することになっている。準備のためと数日早く休んだところで、周囲はそんなものなのかと思うだけであろう。
「そしてこの型を作ってくれ」
投げて寄越されたのは金貨だ。
厚みのある手で拾ってみれば、紛れもない本物に嫌な汗が流れる。
(まさか、偽金造りの片棒を担がされるのか……?)
「出来る限り精巧に、だ」
「……幾ら精巧に作ったところで全く同じにはならない」
万が一にも逆上してコリンが傷つけられてはならない。キツイ言い方にならないようにゆっくりと話すことを心掛ける。カラカラに乾いた口は上手く動かなかった。
何とか思いとどまらせようと説得にもならない決まり切ったことを言ってみるが、織り込み済みなのだろう、相手の男は苦笑いにも失笑にもならないような声を漏らした。
「大丈夫だ。作るのは本物だからな」
「…………? わざわざ別に型なんぞ作らんでも、これをそのまま利用すればいいだろう」
ぶ厚い手のひらに載せた金貨を差し出す。
「最もな意見だが、それだと輪郭がぼやけるんだ。新品の金貨の模様が摩耗していたらおかしいだろう? ……ちょっとした違いではあるが、それでは本物ではない。」
そう言って、今度こそ笑った気配がした。
******
二日後に工房の扉が叩かれた。作業場の中に一気に緊張感が漂う。
「対応しろ。余計なことは言うなよ」
先日とは違う男が早口で言うと、鈍色に光るナイフを見せながら扉を顎でしゃくった。彫師は無言で頷く。
数名で押し込んで来たならず者達だが、逆らわなければ取り敢えず手荒なことはされなかった。
その代わり常に誰かに見張られてもいるという、気の抜けない状況が続いていた。
男は死角に隠れると、小さく頷く。
扉を開けば眩しい光が工房内に入り込む。
「親方、大丈夫かい?」
そこには隣の家のかみさんが、心配そうに微かに眉を寄せて立っていた。
「……ああ、大丈夫だ」
「工房を閉めてどうしたんだい?」
訝しそうな表情で工房内を見回した。それを受けて彫師は不自然にならないよう、中が見やすいように身体を斜にする。隠すのは不自然だからだ。
「ちょっと急ぎの依頼があってな。それと例の祭りの関連で、普段は使わないような道具を重点的に確認しておきたくて」
一見していつも通りの工房であることを確認すると、かみさんは安心したように息を吐いた。
「それならよかったよ。珍しく閉めたまんまだから体調でも崩したのかと思ってねぇ」
男寡なうえに幼子を育てているからか、なんだかんだといつも気にかけてくれているのだ。ありがたいことであるが、今はじりじりと焦るばかりだ。
「そりゃあ心配かけたな」
上手く笑えているのか自信がないまま、彫師は気さくに見えるように笑いかけた。
「そんなに忙しくて、コリンは大丈夫なのかい?」
「ああ。大丈夫だ。今は奥で遊んでいるよ」
本当は奥の部屋で男たちに見張られているのだが、そんなことは口が裂けても言えない。
(バレたら最後、コリンも、様子を見に来た隣のかみさんまで巻き込むことになる)
「何時でも預かるから、大変な時は声をかけておくれよ」
「ああ。いつも気にかけてくれてスマンな。もしもお願いする時には声をかけさせてもらうよ」
帰って行く姿に深く息を吐いて、急いで扉を閉めた。
******
「これは素晴らしい。噂通りの腕前だ」
リーダー格の男が型を見ては、そう言葉を漏らした。
褒められても全く嬉しくはないと思う。
「……いうことは聞く! だから子どもだけでも解放してくれ!」
「それは無理だ。妙な気を起こされても困るしな」
幾ら願っても、頭を下げても平行線であった。
意外にもリーダー格の男は丁寧な対応を崩さず、約束通り暴力を振るうこともなかった。反面それはこちらも約束を守っているからで、反故にしたらと考えると却って恐怖があった。
ずっと部屋で見張られているコリン。
暴力は受けていないものの、精神的な恐怖からか、怯えてぐったりとしている。
「これを例の場所に運んでくれ」
リーダーの男が仲間に型を手渡すと、頷いて懐にしまい込む。
そして夜中に闇に紛れるようにして、何処かへと出て行った。
翌日、遂に肖像画が到着した。
警備担当の騎士が工房にやって来ては、翌日から数日をかけて国宝である肖像画の修復や簡単な管理をお願いしたいとやって来た。
事前に打診があったので、再度確認のようなものであろう。
やはり事前の説明通り、近くの教会にて借り保管・展示をするという。
ならず者たちといえば、奥の部屋でコリンと一緒に息を殺している。こちらの一挙手一投足に耳と目を光らせているに違いない。
一瞬全て話してしまおうかという考えが頭を過るが、想像したくない恐ろしい結果ばかりが脳裏に浮かび、何も言えなかった。
「削るって、本気か?」
とんでもないことを聞かされ、目を瞠る。
国宝を傷つけるなど、バレたらどうなるのか。
「バレたら命はない」
騎士達に知れたら捕まって処されると言う意味と、まかり間違ってバラすようなことがあれば、コリンや彫師を殺すという二重の意味だ。
リーダーの男の底冷えするような声が、本気だと言っているようだった。
「音はどうするんだ」
彫師はダメ元で、諦めるように疑問を投げかける。
彫金にしろ彫刻にしろ、削るという行為には音がつきものだ。ものによってはかなり大きな音がすることだろう。
すぐ近くで見張りの騎士がいる状態で、どうやって音に気づかれず作業をすると言うのか。
「それに関しては大丈夫だ。多少窮屈だが問題ない」
想定内のことなのだろう。リーダー格の男が全く意に返さない様子で口を開いては彫師を見た。
数日をかけ、掃除やメンテナンスをしながらじっくりと特徴を叩き込む。必要なところや気を付けるところは木札に書き込み、どこをどのくらい削り取るか何度もシミュレーションする。
削って新しい地金が出れば、当然色味が変わる。経年劣化を装うための絵の具や薬品なども漏れがないように確認する。
助手ということでならず者のひとりが付き従う。勿論見張りのためだろう。
「少し音が出るかもしれません」
警備の騎士には多少音が出ても気にしないように伝えておく。
ならず者は少しでも音を誤魔化す為に、また開けた時にわかり易いよう見張りの目を掻い潜って扉のネジを緩めた。
開閉のたびにキイキイと音がする。
更に足場の材料と一緒に持ち込んだ木材を、助手役のならず者が器用に組み立てていく。
それは大きな箱のようなものであった。かなり大きく、肖像画を覆いつくす大きさである。
ご丁寧にも開閉できる扉のようなものがついていた。
作業のために先に設置されれている足場に残りの板を立てかけては、器用に足場へ上るとならず者は小さく唸り声をあげながら板を引っ張り上げ足場へ置く。
「さ、早く乗ってくれ。上に板を被せるから手伝ってくれ」
そう言って反対側を持つように顎をしゃくった。
言われるままにそこまで高くはない足場へ上り板を持つ。かなり重い。
やっとの事で蓋をするように被せると、大きく息をついた。
「さ、明かりを持って中で作業をしろ」
「……音を遮断するのか」
ならず者は彫師の言葉にニヤリと笑った。
「ああ。気兼ねすることはない。表の奴らが開けたら適当に言い包めるから大丈夫だ……まあ、開けないだろうけどな」
やけに自信満々なならず者を訝しみながらも、彫師は言われるまま明かりを持って大きな――しかし作業をするには広いとは言えない箱の中に入った。
時間との勝負だが、完成度も落とせない。細心の注意を払って額縁の金に刃を入れた。
――最高傑作を頼むよ。そう言ったリーダー格の男の顔と声が脳裏に浮かぶ。
決行は展示を行なう前日、祭りの前夜だ。
祭りの前夜は夜通しで野外会場を設置しているらしく、話し声に木槌の音に、だいぶ賑やかな音が聞こえていた。
国宝ということで常時扉の前には見張りがつく。夜中は流石に人を減らすらしく、ふたりの騎士が立っている。
……若い騎士の困ったような声が聞こえて来た。
「困るんですよ……」
「いいじゃないか! 祭りだ祭りだ!」
地元の人間に扮したならず者が、酔っぱらって中に入ってきては騎士に絡んで飲み物を進めている。そういう浮かれた雰囲気が街中に蔓延していた。
面倒になった騎士達が仕方なく飲み物に口をつける。勿論親切で飲ませている筈はなく、薬が仕込まれているのだ。……不審に思われないよう片方には眠り薬。片方には下剤を仕込む。
しばらくすれば扉の前がにわかに騒がしくなった。
教会の廊下をけたたましく走る足音が聞こえて来る。
「もうひとりは既に船を漕いでいるが、頑張って睡魔と戦っているぞ」
そう言いながら窓から数名のならず者たちが入って来る。
時間がないために人海戦術で地金を削るためだ。
見張りの騎士が厠に籠っている間、寝ている間に、音に気を配りながらも一気に削る。
窮屈な箱の中は人いきれでむっとした。
緊張も相まって吐きそうになるが、そんなことは言っていられない。
充分でない明かりの中でひたすらに削り続ける。
他の奴らも経験があるどころかそれなりの腕を持っていることに微かに驚きながらも、黙って手を動かした。
ならず者も彫師の削った様子を注意深く見ては同じように削って行く。その後から彫師が微調整並びに彫刻を施して行くのだ。
飾りとして埋め込まれている宝石も一度取り、不自然でない深さに替えてから再度埋め込む。
……男たちの隙をついて、幾つかの小さな宝石をすり替えた。
(幾ら似せるとはいえ、必ず違和感を覚える人間がいる筈だ。その人間にこの宝石を渡せばすぐに判る筈)
削った地金をかけらを一欠けらも残さず回収すると、彫師の見張りをひとりを残してならず者たちが去って行く。勿論箱だったものもバラしては元の場所に戻して並べた。
手慣れている、それが率直な感想であった。
作業がすべて終わり暇を告げると、見張りに立っていた騎士に不手際を謝られた。
体調不良(……と思っている)とはいえ、眠ってしまったり離席しがちだったりで、他の騎士達への口止めの意味もあるのだろう。
「そうなのですか? 作業に熱中していて解りませんでした……体調は大丈夫なのですか?」
「隊で風邪が流行っているので、自分たちも伝染ったのかもしれません」
騎士達は異常な眠気も腹痛も、体調不良だと思い込んでいるようであった。薬が切れたのだろう、落ち着きを取り戻した騎士が何もなかったかと聞いてくる。
「はい。清掃も終わりました」
キイキイなる扉の隙間から確認すると、騎士達はホッとしたように頷いた。
助手役の男は愛想よく微笑みながら扉を動かした。
「……蝶番が緩んでるんでしょうか? 明日は人が沢山来るでしょうから、ちょっと見て行きましょう」
「ああ、済まないね」