宿屋で二杯 後編
「ちょっと、セレスティーヌってば! 起きて頂戴!」
ガクガクと揺さぶられて意識が浮上する。
がっしりとしたてのひらが、セレスティーヌの薄い肩を優しく前後に揺する。
「……ん……、んんっ!?」
勢い良く銀色の瞳を見開くと、ガバリ、と音がしそうな程に慌てて身体を起こした。
「わゎっ! 申し訳ございません」
いつの間にか寝落ちていたらしいことに、恥ずかしいやら恐縮やらでセレスティーヌが周りをきょろきょろと見渡す。
辻馬車が道の端に停まり、ふたりが降りるのを待っているのだ。
いまだ王都に近いこともあり、町の様子はそこまで田舎という雰囲気ではない。
それどころか綺麗に整えられた街並みに色々な店舗が並び、人通りも多く活気に溢れ、なかなか賑わった町である。王都へと続く街道の石畳もオステン領とほとんど変わりない。
アマンダが苦笑いしながらカバンをふたつ手に持つ。
「サウザンリーフ領に入ったわ。日が落ちる前に宿を見つけましょう」
「私が持ちます!」
(侍女兼話し相手といわれて雇われたのに!)
そう思っては焦るセレスティーヌに首を振る。
「このガタイで華奢なアナタに荷物を持たせてたら、周りにどんな目で見られると思うの? それよりも寝起きで危ないから、しゃきっとしっかり歩いて頂戴」
「……はい」
軽々とカバンふたつをぶら下げたアマンダはそう言って先を急ぐ。
寝起きのセレスティーヌは軽く頭を振ると、銀色の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「……潮の香りがするのですね」
王都へ戻って行く辻馬車を振り返りながら、空気を胸いっぱいに吸い込んだセレスティーヌが呟く。
「そうね。ここからは見えないけど、そう遠くない場所に海があるから」
クスクスと楽しそうにアマンダは答えた。
オステン領にも海に面している場所があるが、領地の山側ともいってよいユイットに住んでいたセレスティーヌには新鮮な香りに感じた。
足の長いアマンダに遅れぬように、セレスティーヌは急ぎ足で後を追うことにしたのであった。
******
「困ったわね……」
ドリームランドを有するインレットの町にはいくつかの宿屋がある。なぜだか全て満室となっており、アマンダを悩ませていた。
自分一人なら野宿でも構わないが、普通のご令嬢であろうセレスティーヌを地べたに寝させるのは可哀想で気が進まない。
「丁度時期がねぇ。ドリームランドの開業記念祭と重なってるから、今の時期はどこも一杯だよ」
「開業記念祭の時期なのね……盲点だったわ!」
迂闊である。
本来自分ではドリームランドに行くつもりなんてなかったアマンダが下調べなどしている筈はなく、目の前の少女に元気を出して貰おうと、楽しそうな場所を思い付きで口に出したのだった。
ドリームランドが繁盛しているため、毎年開業時期を『開業記念祭』と銘打っては大々的なイベントを行なっているのである。期間限定の催しやお土産などを用意して集客する気満々のイベントなのだが、予想に漏れず大人気な訳で……
(めちゃ混みじゃないのよ! 他領や下手したら周辺国からも観光客が殺到中だわね)
忙しくて部屋が無いということは理解しつつも、いまいち状況を飲み込めていないセレスティーヌは小首を傾げており、アマンダは歯噛みする。
場合によっては野宿することを覚悟して家を出て来たセレスティーヌであるのだが、アマンダがそれをよしとする筈もなく。
申し訳なさそうな宿屋の女将さんに礼を言うと、ふたりはそれぞれカバンを持って外へと出た。
少し外れた場所にある宿屋なら空きがあるのではないかと言って、女将さんが鄙びた宿を教えてくれたが……
「……ここね」
夕陽が落ち、空が薄闇に替わる頃に教えられた宿屋に着いた。
見るからに古臭い宿屋であるが、背に腹は代えられぬと軋む扉を開ける。
そして。
「部屋なら一つだけ空いているよ」
そう言って年老いた女将が不躾にふたりを見比べた。
アマンダは気が遠くなりそうな表情で何かを呟くと、女将さんに確認した。
「もう一部屋なんとか都合はつかないのかしら? この際、荷物置き場とかでも構わないんだけど」
「無いよ」
即答である。
「……どうする?」
アマンダが王都の方へ戻るかとセレスティーヌに確認する。
(ひとつ……)
セレスティーヌが心の中で呟きながらおばあちゃん女将の顔を見た。
女将は時折怪訝そうにアマンダを見ては、微かに眉を寄せている。
セレスティーヌはセレスティーヌで、アマンダが自分のために迷っているのだということを察していた。
多分だが、汚いとか狭いだとかで文句を言うお嬢様(お坊ちゃま)ではないだろう。
未婚の令嬢が男性(多分)と同衾とか、どうなのだろうかと思わなくもないが。
『アマンダ』は言葉遣いや格好を見るに『女性』なのだろうと理解する。この際、女性とした方が面倒事が少ないであろうとも思う訳で。
(……例え生物学的には男性でも、彼女のアイデンティティは女性なのだ。きっと)
「アマンダ様がよろしければ、遅くなってしまいますしこちらでも」
侍女と一緒の部屋で申し訳ないですが、と言われ、アマンダが煮え切らない返事をした。
「侍女……? まあ、女同士なら問題ないだろう? じゃあこれが鍵だよ」
不愛想な女将がそう言って、ふたりの前に部屋の鍵を差し出した。
アマンダは一瞬逡巡したように見えたが、腹を括ったのか紅い唇をへの字に曲げる。
「食事は奥の食堂で食べるようになっているよ。もしくは街中まで戻って酒場や飯屋で済ますかだね」
「今日は疲れたでしょう? 夕飯は宿の奥でとりましょう。明日に備えて今日はゆっくり休まないとね?」
「はい」
セレスティーヌが素直に返事をして頷く。
女将さんにお礼を言うと、アマンダは意を決したように鍵を受け取り階段を上った。
鍵についた番号を確認して軽くノックをする。
返事がないのをいいことに、そっと扉を開けた。
ベッドがひとつと小さなソファとテーブル、備え付けの棚が一つ。非常に簡素な部屋であった。
丁寧に補修が行われているのだろう、綺麗とは言えないものの、綺麗に掃除がされており不快に感じることはなかった。ふたりはホッと息をつくと、部屋の隅にカバンを片してすぐに下に降りる。
「不手際で申し訳なかったけど、取り敢えず食事でもしましょう!」
「はい! 何から何までありがとうございます」
食堂に向かい席に座ると、メニューをセレスティーヌの方へ差し出した。
「取り敢えず、私はエール!」
「私は、蜂蜜酒を」
甘いお酒ということで探したのだろう。
そこまで強くないものが多いが、時折思ってもみない程に強いものも存在する。飲みなれないならば様子を見た方が良い。
「冒険ね。少し割って貰いなさいな」
「はい!」
良い返事をするセレスティーヌと顔を見合わせると、どちらともなく噴き出した。
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