18 フォレット侯爵邸・前編
王都イースタンの貴族街にフォレット侯爵邸がある。
本来の邸宅は自領地にあるのだが、代々王家と深いつながりがあるフォレット侯爵家は多くを王都で過ごすこともあり、タウンハウスはもう一つの邸宅であると思えるほどだ。
この家の嫡男であるアンソニーにとっては、王都の屋敷こそ自分の家という感覚が強い。幼少から王子の幼馴染として王都で暮らしているため、殆どの時間をこのタウンハウスで過ごしていたからだ。
そんなフォレット侯爵邸だが、今日は煌びやかに飾り付けられている。
午餐会と晩餐会……とまではいかないまでも、長時間に及ぶパーティーが開かれるからだ。裏では使用人たちが忙しく走り回り、準備に余念がない。
使用人たちの負担を考え、せめて昼夜別の日に分けて行なってはどうかとこの家の女主人である母親に進言したが、ここぞという時にはインパクトが大事なのだと跳ね除けられた。
「当家の使用人たちはそんな軟に出来ておりませんよ。信頼してお任せなさいませ」
嫋やかな見目とおっとりしたもの言いに反して、何やら剛健な答えが返って来た。
「アンソニー坊ちゃま、お任せくださいませ」
その言葉に合いの手を入れるような家令と足を止めた侍女たちが力強く頷いた。
「……粗相がないように、そして無理せず休憩を取りながら進めてくれ」
「畏まりました」
クールなようでいて、なかなか使用人思いな次期当主の言葉に使用人たちが頬を緩めながら頷く。
アンソニーは母親であるフォレット侯爵夫人とにこやかに微笑む使用人たちを再度見比べては、小さくため息をついて階段を上って行った。
当主が財務大臣を務める傍ら、事業家としても知られるフォレット侯爵家。
代々続いた事業とはいえ、全く安泰な訳でも簡単な訳でもない。
商売とはそれなりに山あり谷あり。気を抜けばあっという間に足をすくわれる。何とも波があるものであるのだ。
その事業を一手に引き受けているのが侯爵夫人である。
……元々は侯爵自身が行なっていたものであるが、大臣となり多忙なため、代わりに夫人が引き継いだのである。
今では彼女が独自に広げたものも多数ある。
大事業家・フォレット侯爵夫人。表向きに大声で言わずとも、商いをする者の間では共通認識であった。
そして、嫋やかな見目に騙されてはいけないのも共通認識だ。財務大臣も次期国王の懐刀である息子も煙に巻き、時に完膚なきまでに叩きのめす、氷の精密機械なのだということも。
本日は二部制で、昼の部と夜の部に分かれている。
昼は投資やボランティアなどに熱心な貴婦人や、そういった女性から歓心を買いたい貴族男性たち。夜の部は本職の投資家や起業家である男性陣である。
尚、夜の部は才気ばしった平民も入り混じる。キツネとタヌキ、そしてムジナの集団である。
それに合わせて、フォレット家の男性陣も動員された。
昼の部は女性に人気があるアンソニー。全く笑ってない作り笑顔で、それとなく、しかしがっつりと商品を売り込むのが役目である。
夜の部は現職の財務大臣でありフォレット家の当主・フォレット侯爵。
財界や政界と伝手を持ちたい者、繋がりたい者。そして新たな事業を探している者たちがこぞってやって来る。そんな者たちにいかに有効で魅力的な商品ないし事業なのかをアピールするのである。……とはいえ、伝手となるか繋がるか、本当に有効かは本人の努力と資質次第である。いちいちそんなことに関与している暇はないというのが侯爵の弁であろう。
とにかく。
両者とも、今後似たような、だけど新しい産業が興って来ることも知らしめるのである。
自室に戻ったアンソニーが、出席者リストと本日お目見えする製品の説明書に目を通していた。製品についてはとっくに頭にインプット済みだ。
中からも外からも準備万端とする為に既にアマンダから説明が届いており、且つ各領地へ調査の手配をしたのも自分だからである。ああ見えてアマンダはなかなか策士だ。自分の立場を心得てもおり、自分がすべきことと周囲に振ることをきちんと分別しているのである。
残念なことに恋愛方面にだけその能力は発揮されなかったのだが、まあいい。
中からはアンソニーが、外からは侯爵夫人がよしなにするようにということらしい。そしてその両方に侯爵が目を光らせるようにということなのだろう。
今頃父もため息をついているに違いないと、アンソニーは多忙な父を思いやった。
両親は共に美男美女で名高いが……最近父は髪を気にして、しきりにブラシでトントンとつけ薬を馴染ませているのを知っている。……薬が気休めでないことを祈る。大臣職は気苦労が絶えないのだろう。難儀なことである。
(両方からってことは、絶対に失敗するなよって訳か)
何だかムッとして美しい顔に皺をよせた。
同時に、失敗させたくないのは関わった村人たちや今後後追いする者への配慮もあるだろうが、一緒に事業を起こした少女のことを考えてもいるのだろう。万が一にも失敗して悲しませたくないのだ。
(……まあ、民の為になることに多少私情が混じっていたって構わんか)
統べるものとて人間なのだ。
多少のモチベーションを上げるための餌があったとて問題ないであろう。
結果を間違えなければ色々な感情をひっくるめた者であっても問題ない。更にそれが幸せを願うものから来ているのなら尚更だ。
「……各地の人々が、金の亡者に毟り取られないように気をつけないといけないな」
ある程度のリターンは必須とはいえ、困っている者たちの再起のための起業なのだ。よもやその辺りの計算が出来ない母でないとは思いつつも、自らも充分に気を付けるべきだと心に留めた。