16 跳び上がる前に・中編
ヨレヨレになった老人たちが、事務所から肩を落として出てくる。心なしか顔色が悪い上、筆記用具を片手にどこか足取りが重そうだ。
「……セレに扱かれたのねえ」
「お嬢様は、仕事には妥協しないお人柄っぽいですからね?」
アマンダとジェイは何ともいえない表情をしながら集団を見遣る。
ジェイに至っては、どこかニヤニヤしているのはデフォルトだ。
そんなジェイを見たチンチラは、警戒心を露に、ぎゅ、と小さく鳴き声をあげて後ずさった。
小枝を運ぶ村人たちが不憫なものを見るような瞳で仲間たちを見ていたが、どっこい明日は我が身である。
一応最終的には希望や適性を考慮して専門に分かれる予定ではいるが、基本的な知識はなるべく多くの人に叩き込む……いや、教授するつもりなのであった。
否が応にも知識を詰め込まれる運命なのである。
やはり青い顔をした村長が、ふたりの方へとやって来た。そして頭を掻く。
「……いやはや。セレスティーヌ様はなかなか手厳しいですね……」
無理な量を熟させる訳でも、解らないものをやらせる訳でもない。
ちゃんと出来る範囲、そして余力も残してはおくのだ。幾分。
勿論自分の仕事が出来るようにということと、復習が出来るようにとの配慮である。
「自信あるところよりちょっと上の辺りを、出来るギリギリの量で渡してくる感じ……」
「親切丁寧? 解るまで何度でも説明し、反復させるんですね?」
村長は苦笑いしながらふたりに頷く。
「彼女は非常に優秀な教官ですね。本当にしっかりと、領政のお仕事をなさっていたのでしょう。痒いところに届く説明は、長年村の運営に関わっていても勉強になることが多いです」
苦笑いをしながらも、宿題だと渡された木札に瞳を落とした。
「本当に、女性であるのが勿体ないですね。男性だったらもっともっと上を目指せるのでしょうに」
村長は気遣わし気に、鬼教官らしいセレスティーヌがいる事務所を見つめた。
「……これから更に、女性や平民などをもっと重要なポストに雇用できるよう上の方でも戦ってるところ、かな」
アマンダは父と各大臣たちの、微妙な均衡を保ちつつ未来のための変革を協議し、時に対立し、時に協力し合っている姿を思い描く。
相対的に見て、現在の治世はそう悪いものではないだろうと思う。
身びいきな訳でなく、冷静に見ても後の歴史では安定した治世であったと語られる筈だ。
そして、改革派と保守派の考え方の違いは、いつの時代も無くなることがない。
理想だけでも、古いままでも政は成立しないのだ。
それと並行して各陣営の覇権争いも加わる。……その覇権争いが、私利私欲だけのために行なわれている訳ではないことは既に身に染みて解っている。
現実は物語のようにわかり易いものではない。そして違法なことでもない限り、はっきりと善悪に別けられるものでもないのだ。
力を持たねば動かせないことがあるのは事実。時には力があっても敢えて引くときすらある。各々の思惑が何重にも螺旋のように絡まり合っているのだ。
「いつか、セレスティーヌ様の努力が報われるといいのですが」
恩義を感じているのか能力を認めたのか、それともその両方か。すっかりセレスティーヌに絆されたような村長に、アマンダとジェイは微笑む。
「確かに」
「……まあ、もっと上の役職につけば問題ないんですけどね?」
ジェイは独り言のように小さく呟いて、事務所となった民家の扉から顔を覗かせているセレスティーヌを見た。
様子を窺うような、ちょっと困った様子のご婦人方を見つけると、彼女は輝くような笑顔で扉を開いては、招き入れるべく頭を下げた。
******
セレスティーヌはご婦人方を招いて、木の削りカスを手縫いで作った袋に詰め込む。
中央のお役人と聞いているからなのか、はたまたおばあちゃんが孫を見守るような心境なのか。
集まった奥方たちは戸惑いながらも素直にセレスティーヌの話を聞き、指示に従う。
「こうして、同じ種類の木屑で纏めていただきたいのです」
ジェイに用意して貰った布で袋を縫ってほしいこと。木を切る際に出た木屑を種類ごとに分け、詰めてほしいことを説明する。
アマンダたちに木を切ったり整えたりするときに、ちょっと面倒ではあるが種類が変わる度に木屑を纏めてもらっていた。
炭以外の商品を作るためだ。
おずおずと質問のための手があがる。
「木屑を袋になんか詰めて、何かに使えるんですか?」
「はい。木の種類によっては、虫よけになったりカビを防いだりする効果があるのです。なのでサシェのようにして使えるのではないかと思いまして」
セレスティーヌの回答に、納得するような空気が流れた。
「それなら確かに。冬服なんかを保管する時には、杉や檜の切れ端を一緒にいれたりするわね」
「そうなんです。同じ木から出るものですから、形状が違っても同じ効果があると思いまして」
檜やヒバ、杉やクスノキなどが防虫効果があると言われており、爽やかな香気がある。その香りが虫を遠ざける元なのだという。合わせて消臭効果や防カビ効果があるものもあり、オークやアッシュ程ではないにしろ、クローゼットなどを作る際の木材として使用されることも多い。
とはいえどんなものでも永久的に効果がある訳ではなく、経年劣化などによって効果は減少して行く。消耗品として木屑のサシェが売れるのではないかと考えたのだ。
「袋の布地を替えれば、入浴剤にもなると思うのです」
着想は宿屋のお風呂だ。
普通はバスタブにお湯を張って身を清めるが、温泉などがひかれている宿屋では大きな風呂が備わっていることがある。石で出来たものが多いものの、時折木の風呂があり、お湯の熱で熱せられてか、香りに歩き疲れた心身が深く癒されたのを思い出したのだ。
「バラやオレンジなど、良い香りのものは沢山ありますが。時にはスッキリした香りのものを使いたい時もあるかと思うのです」
森林浴と入浴を同時にしているような感覚とでもいうか。
特に男性は、甘い香りよりも木の香りの方を好むかもしれない。
「なるほどねぇ」
端の方で聞いていたアマンダが、訳知り顔で納得する。
やはり、ラヴァーレ・グロッソの宿屋にあった檜風呂を思い出していた。
自室ではなく大衆浴場のように宿泊客が自由に入れる浴場があったのだが、檜で出来ており良い香気を放っていたのだ。
何かの文献で、木の香りが昂った気持ちを落ち着かせたりリラックスさせると読んだことがあるのも思い出す。
セレスティーヌも女風呂を利用していた筈なので、きっと香りとお湯とを満喫したのであろう。
「香りが無くなった中身や、入浴剤として使い終わった物は乾かして、着火剤としても使えると思うのです」
「何だったかしら……東の大陸の言葉でいう、『一石三鳥』?」
「それを言うなら『一石二鳥』ですけどね?」
――使い終わった(?)筈のものも、とことん利用する。
慎ましく暮らす事を身上とするセレスティーヌらしい商品だとアマンダとジェイは思った。
「……それじゃあ、主な顧客は富裕層でしょうから、クローゼットに入れる方は数か月は使うでしょうし、見た目がいいように刺繍入りにしたらいいかもしれませんね」
「わかり易いように、木屑の種類によって袋やリボンの色を統一すると良いかもしれないね」
話を聞いていたおかみさん達が、意見を出し始めた。
「木屑を商品にするって聞いて、家畜小屋の床敷きにでもするのかと思ったけど、まさかそんな風に使うなんて思ってもみなかったわ」
感心したように頷くおかみさん達の視線を受け、セレスティーヌは視線を左右に動かし、言い難そうに口を開いた。
「……長さ調整などで出た大きめの端材は、防虫ブロックとしたり、薄いものや樹皮などは、雑草除けのチップとしても売れるのではないかと思うのですが……」
全員がセレスティーヌをみて瞳を瞬かせた。
「一石三鳥どころか、五鳥、六鳥じゃない!」
しっかりしてるわね! と、思わず男装をしているのを忘れたアマンダが、つい、いつもの口調でツッコミを入れた。
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次回は火曜・金曜日更新となります。
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