1 ネブリナ湖で帆引き船に乗る
本日より2章が始まりました!
どうぞよろしくお願いいたします。
「うわ~……!」
普段は生真面目な淑女セレスティーヌが、らしくなく、ぱっかりと口を開いて目の前の景色に見入っていた。
目の前には何艘もの帆引き船が悠々と水面を進む。
青い空に碧の湖。横長の白い帆が大きく風をはらんでは広がって、弧を描いている。
雄大な湖と凛とした白い帆の取り合わせは、真っ青な夏空に良く似合う勇壮な姿であった。
口だけでなく、特徴的な銀色の丸い目を一層まん丸にしている姿は、驚いたリスのような顔をしている。
(……全部まん丸ね。可愛い)
アマンダは満足げに笑みを浮かべた。
「ここ、湖なのですよね? まるで海みたいです!」
「そうね。昔は余りにも大きいから、入り江だと思われていたみたいよ」
「大陸で二番目に大きい湖なのでしたか」
エストラヴィーユ王国は、幾つかの国がひしめく大陸の東側に位置する国だ。
西の方のとある国にある、一番大きいと言われている『リュートレイク』に次いで大きいと言われる湖、ネブリナ湖。
勿論エストラヴィーユ王国では一番の面積を誇り、近くの河川や湖などが流れ込む大きな湖である。
真面目で清貧を重んじるかのような環境で過ごして来たセレスティーヌは、父親も同じような性格であると見えて、娯楽には不慣れな家庭に育った慎ましやかなご令嬢である。
仕事熱心で、上司の替わりに多くの仕事を引き受けていた彼女の父は、貴族らしくバカンスを楽しむといった人間ではなかったらしい。日々粛々と業務に明け暮れていたようだ。かと言って家族を大切にしなかった訳でもなく……比較的家族仲は良く、そこまで裕福な家とは言えない子爵家を、家族みんなで盛り立て過ごしていたそうであった。
そんなこともあり、初めての景色や珍しい事々に対して、素直な反応を見せるセレスティーヌは可愛らしくもあり面白くもあった。
――もっと色々な体験をさせてやりたいと思うのは、多分アマンダだけではないであろう。
ひょんなことから出会い、一緒に旅をすることになったアマンダとセレスティーヌ。
そんなふたりが一緒に旅をする事となり、先日はサウザンリーフ領で盗賊団騒動に巻き込まれた。一応の解決にこぎつけ、次なる行き先が国の北東部に位置するローゼブルク領だ。
先出のサウザンリーフ領の北側、グランヴァリ川を挟んですぐに位置する領地である。
「船に乗るのですか?」
「せっかくだもの、そうしましょうよ」
見た目は楚々としたセレスティーヌだが、意外に好奇心が旺盛で度胸も据わっている。見るからにワクワクしているのが丸わかりな様子をみて、アマンダは更に笑みを深めた。
船に乗り込む際、大きな手にその手を握りこまれたセレスティーヌは、思わず胸が高鳴るようにドキッとする。
先日、余りにも暑すぎて化粧が剥がれ落ちるのを見て、アマンダのお化粧係の仕事をGETしたセレスティーヌだが。
勿論それ以前にアマンダの素顔を知っている。
『彼女』の素顔は、非常に端正で綺麗な顔をした『男性』なのだ。
そして先日の盗賊団捕獲の対応から、仕事や問題対応への能力も高いことがうかがえた。
仕事が出来ない上にしないという元婚約者の尻拭いをすることも多かった為、仕事の出来る男性というだけで好意的にポイントが増えるのは仕方がないだろう。
更にはふたりの出会いからして、セレスティーヌを悪漢から守ってくれたのが始まりなのである。
ドクズな元婚約者のせいで若干男性不信に陥っているとはいえ、年若い男性慣れしていないご令嬢なのだ。出来過ぎともいえる年上男性に(女装はしているが)多少ドキドキしてしまうのは仕方がないであろうというもの。
――ただ、ドキドキするだけである。アマンダが傷心旅行をしている事を承知しており、ギラギラした女性に散々言い寄られ、女性に恐怖心を抱いていることを知っているから、彼女がアマンダに恋をすることはないし、逆も然り。そう思っている。
一方、足場の揺れる船に安全に乗りこめるよう、セレスティーヌの手をとったアマンダは、その小ささと柔らかさに、ギューンと心臓が引き絞られた。
危うく心臓発作を起こすところである。
ドクズな元婚約者とその歴代の彼女達に嫌味と蔑みの言葉を言われまくったせいで勘違いをしているようだが、セレスティーヌは清楚な見目のとても可愛らしい少女だ。
働き者で家族想いで、思慮深い。その上いざという時には結構豪胆で、なかなかに頼りがいのある一面も持ち合わせている。
男性なのに男性を想う……挙句女装をしているアマンダに奇異の瞳を向けるでもなく、個性と認め、極々普通に接してくれる上に、彼女なりの真摯な言葉と気持ちを示してくれるのだ。
お陰で片思いの相手であるカルロに、きちんとお祝いを伝えることが出来た。
……全て綺麗すっぱりとまでは行かないが、心の痛みもやり過ごせるくらいにはなったと思う。それも彼女のお陰である。
ほんの少し前まで、この世の終わりのような気持ちで日々過ごしていたアマンダであったが、セレスティーヌとの毎日が、確実に彼(彼女)を、癒していることは確かである。
家柄も性格も、見た目も良いために子どもの頃から女性にぐいぐいと言い寄られることばかりで、多分に女性嫌いの気のあるアマンダだが、なぜだかセレスティーヌにはその悪感情が湧いてこない。
勿論彼女が言い寄って来ようという気配すらないというのもあるが……クルクルと変わる表情や、心遣いにあふれる言葉。そして守ってあげたい程に小さな身体や柔らかさに、内心ぎゅんぎゅん・ドキドキ・あわあわとしているのだった。
アマンダのもうひとりの幼馴染兼悪友のアンソニーは、ふむふむと生暖かい瞳で。
アマンダの密偵を務めるジェイも、これでもかと言わんばかりにニヤニヤとふたりを眺めているのだが。全くもってアマンダの与り知らぬところである。
「湖上は結構な風があるのですね!」
帆引き船のヘリに手をかけ、セレスティーヌは大きな帆を見上げる。
心地よい風が髪を揺らしつつ、船は小さな波しぶきを立てながら水面を突っ切って行く。
「あ……!」
水面を小さな魚が跳ねた。
驚いたような嬉しいような表情をしたセレスティーヌが、なんの魚だろうかと銀色の瞳を瞬かせた。
離れたところには水鳥たちが、ゆったりと羽を休めている姿が見える。
「あまり顔を寄せると、落っこちちゃうわよ」
「はぁい」
泳ぐ魚を見ようと乗り出しているセレスティーヌに苦笑いすると、輝くような笑顔を向けられ、心臓に本日二度目の打撃を与えられた。
思わず、……うぐぅ、と声が漏れる。
帆引き船を操る船員たちが、若干ドン引きながら心配そうな表情で、苦悶するアマンダを見ていた。
(すんごいキラキラしてるわ……セレの生命力と湖面の物理的な反射で、アタシ、目をヤられるかもしれない……)
そんな馬鹿なことを考えながら、アマンダはこれからの行程を頭の中でなぞっていた。
仕事人間らしいセレスティーヌに、今までの分も合わせて、目一杯の楽しいことや美味しいことを味合わせてあげたい。
人生の喜びを教えてあげるのは、なかなかに楽しいことだとほくそ笑むアマンダであった。