20 危険な粘土
※大したことはありませんが、ちょっとだけ流血シーンがあります。
苦手な方は回避願います。
少年は何も言わずに懐から何かを取り出すと、道横の岩に向かって素早く投げつけた。
「不味い、降りろっ!」
アマンダが女性らしい取り繕いを忘れて低い声でそう叫ぶと、皆ほぼ同時に馬から飛び降りる。
アマンダは大きな身体を丸めてセレスティーヌを抱え込むと、受け身を取りながら素早く転がっては守るように覆いかぶさった。
セレスティーヌは出来る限り身体を小さく縮めながら、アマンダの胸にしがみ付く。
本来なら守るべきは一応侍女であるセレスティーヌ側なのだが、戦闘能力のせの字もない人間が勝手に飛び出しても迷惑なだけなのは流石に解る。
爆発の音と地響きがして、爆風と瓦礫が飛散した。
驚いた馬が興奮したように激しく嘶き、四方八方に逃げ惑う。
土煙が舞う中、男たちを追跡していた騎士たちが素早く加わっては視界を払いながら盗賊団を取り逃がさないようにと剣を交え始める。
生まれて初めてといってもいい、間近に聞こえる剣戟の音。意外に澄んだ音は激しくぶつかり合い幾多の音を奏でていた。
(怖い……!)
セレスティーヌは自らの笑う膝を叱咤して、力を込める。
「セレ、動ける?」
気遣わし気なアマンダに作り笑いを向けるが、多分顔は引きつっていることだろう。
自分を庇うだけで充分に足手纏いなのだから、せめて自分で動かなくてはと強く足を叩く。
「大丈夫です!」
小さく頷くとアマンダは前を向いて、ヴェッセルに向かうと決めてから携えていた剣を抜いた。
旅商人であり盗賊団である男たちは、かなりの腕前だった。
加えて非常に身軽であり、空を自由に歩けるのではないかと思わせる身のこなしだ。
型にはまらない戦いのスタイルは、実践で培うものなのだろう。
決して騎士達が劣っているという訳ではないのに。
少人数で全てを熟すという噂は伊達ではないのだ。
(傷つけるよりも、生きて捕らえる方が難しいって聞いたことがある)
彼らにはそれだけの力があるから今まで領民たちを傷つけずに、コトを済ませていたのだ。
少しずつ騎士団が押しているように見えるが、油断はならないだろう。
セレスティーヌを守る為に防戦一方のアマンダの動きに喰らいつくように、セレスティーヌは恐怖を押しやって手足を動かす。
「お嬢様、これ?」
「!!」
セレスティーヌの後ろ側に回り男の剣を受けながら、ジェイが小脇に抱えられるほどの壺をセレスティーヌに渡す。
すると、セレスティーヌは躊躇なく中へ手を突っ込んで、中身を握っては力いっぱい振りかぶった。
(今こそ出番だわ! 出来るだけ攪乱してやる!)
落ち着いた淑女らしい風貌からは予想しないような声が漏れ出る。
「……どぉっりゃぁぁぁぁっっ!」
思ったよりも早い速度で何かが真っすぐに飛んで行く。
枝から枝に飛び移りながら、ナイフを投げようとしていた少年が焦りながら避けると、後ろの盗賊団の顔面に命中した。
びちゃ。
水分を多く含んだ粘土は、形をなくして泥のように広がる。
「なっ……ぎ、ぎゃぁぁぁっ!」
びっくりしたように小さく声を上げた後、断末魔のような苦悶の声を上げてもんどり打って転がった。懸命に泥のような粘土を取ろうと藻搔いているが、水分が多いため袖で拭っても全ては落ちきれない。
それどころか腕の力に押された柔い粘土が隙間に入っては、粘膜を刺激する。
一瞬、全員の視線が集中したのを察して、セレスティーヌは素早い動きで壺に手を突っ込んでは盗賊団たちの顔に向かって粘土を投げつけた。
上手く命中するもの、頭上の木にぶつかって飛沫が跳ねるもの、難なく避けられるもの。
顔に当たったり飛沫が目に入ったものは、一様に叫び声をあげてうずくまる。
酸っぱいような匂いが漂うそれは、普通の粘土に比べてだいぶ赤い。
敵も味方も、全員が粘土は危険と横目で認識しながら剣を交える。
セレスティーヌは至極必死な顔をしたまま、大きなアマンダの背中から顔を出しては四方八方に投げつけ続けた。
「ぶっは! 雪合戦の陣地みたいですね?」
剣を握って仁王立ちするアマンダを指差して、緊張感のないジェイが笑って言う。
アンソニーは粘土を避けながら、倒れている盗賊たちを捕らえるように騎士に目配せを送った。
冒険者を装った男が仲間を助けるべく、庇う様に応戦に入るが、阻止するかのように騎士達も男に対峙する。
商会頭が危ないと見た少年は、騎士達に向かって爆薬を投げつけた。
「何度も同じ手は食わないですよ?」
ジェイは小さな投げナイフを飛ばすと、少年の方へと爆薬を弾き返した。
「くっ!」
少年は幹を蹴り飛びながら、味方の居ない方向へ爆薬を蹴り飛ばす。
飛んで行くと同時にそれが爆発し、激しい音が空中で鳴り響き、黒い煙が大きく広がった。
******
「大丈夫か!」
馬の嘶きとともに、呼びかける声がする。
港を捜査していた騎士達が、初めの爆発の音と煙を見て加勢にやって来たのだ。
聞こえて来た声に、アマンダが大きく肩を揺らす。
「逃げろ!」
騎士の重い剣を自らの剣で受け止めながら観念したらしい商会頭は、ギリギリと金属の擦れ合う音に合わせ、少年とまだ動けそうな男たちに向かって叫んだ。
本来は全員で逃げおおすことを計画していたのだろうが、無理だと悟ったのだろう。
少年は殊更小さな両刃の武器を幾つか掴み、粘土を投げつけるセレスティーヌに向かって渾身の力で飛ばした。
別の人間と剣を交えていたジェイは、急いで懐の投げナイフを飛ばす。
アンソニーは草の生える土を思い切り蹴り、自らの剣を少年の動く軌道を予測して薙ぎ払うように、動かした。
気を取られ反応が遅れたアマンダは、万が一にもセレスティーヌが怪我をしないよう、避けるのを観念して小さな身体を抱き込む。
セレスティーヌの手から、小さな壺が滑り落ちる。
ジェイのナイフで飛ばしきれなかった両刃が一本、アマンダの肩を裂いた。
セレスティーヌの目の前で、黒い両刃が肉を裂いた。生きているかのように紅く飛び散る血に、銀色の瞳を大きく瞠る。
アマンダは後続の攻撃に備え、少しも彼女が傷つかないように有無を言わさず腕の中の後頭部を掴むと、セレスティーヌの顔を自分の胸に押し付けた。
セレスティーヌの視界は閉ざされる。
激しく剣がぶつかり合い、多くの人間が入り乱れ、身を打つ音がする。
恐怖なのか後悔なのか。はたまた自責の念なのか。
セレスティーヌは良くわからない感情のうねりに、自分の瞳が涙に揺れるのを感じた。
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