19 港町ヴェッセル 前編
『作戦失敗』の黒蝶が飛んできた。
商隊というか窃盗団というか、表と裏どちらの顔も持つスワロー商会は、様々な国と領地、身分や年齢、職歴の寄せ集めだ。よって珍しい特技を持っている人間がそれなりに在籍している。
動物やら虫やらをある程度自由に扱う『術』を使える人間達がいるということだ。伝書鳩は騎士団などに捕獲される可能性もあるため、警戒されて身動きできない時にはもっぱら虫が重宝されると聞いた。
蝶が飛んでいるということは、状況が良くないのであろう。
いまだ少年といえるような見た目の旅商人の目の前を、商会の人間だけに知らされた目印を付けた蝶が、ひらひらと朝日に照らされて舞っている。
「黒と言っても模様があるんだな。綺麗だ」
透かし模様のような等間隔に並ぶ濃い筋と、陽の光に薄く見える羽根を眺めながら独り言ちる。
特技を聞いて面白いと『商会頭』が雇ったのだが、本当に役に立つことがあろうとは。
船に残されてメンテナンスをしながら留守番をしているのは、たった四名。
小回りの利く小型のキャラベル船とはいえ、たった四名で進めることは無理だろう。
次のターゲットを襲撃して戻って来るのか、それとも中止してすぐにここを離れるのか解らないが、早急に出港の準備をしておくに限る。
もしくは敵を出迎える用意をすべきなのか。
いつの間にかいなくなった蝶を探すように青い空を見上げるが、白い入道雲が目に入るだけだった。
「おーい、何か面倒なことになったっぽいよ」
少年は残りの三人に報告すべく、甲板を滑るように歩いて行った。
******
カルロは報告通り、スワロー商会の船へとやって来た。
商船と聞いて来たが、思ったよりも小さな船体を見回しては何か異常がないか確認する。
小型の貿易船は速度が速く、操舵性能が良いのが利点だとアンソニーに聞いたことがある。
沿岸海域から河川上流まで使用することの出来る船は大海原の航海向きではないが、近々を細かく回るという面においては優れた乗り物であった。
声をかけてみるが、乗組員が顔を出すでも声が聞こえるでもない。
波に揺れる船のロープが軋む音しか聞こえない。
「……人影が全く見えないな」
「気乗りしないが、『王太子命令』という強権発令で踏み込むか」
何もなかったら謝るしかないのだが。緊急だったと言って平謝りするしかないだろう。
連れ立つ同僚騎士たちは、お互いに顔を見合わせて頷いた。
「すみませーん。緊急なので入りますよ~?」
伯爵家の令息である筈のカルロは、貴族とは思えぬような腰の低さで船に乗りこんで行く。燃えるような赤毛も、冬の湖を思わせる青い瞳もはっきりした色合いで、長身でがっしりした体躯は大層立派であるが、本人の気質は基本穏やかである。
船の中には、誰もいなかった。
「飯か?」
「サボりか」
「それにしてもおかしいだろう」
「クロなんか」
それぞれが思ったことを好き勝手に言う。言いながらも人の気配を探すが、人どころかネズミの気配すら感じない。
「……罠かもしれない」
「トラップか?」
「爆薬か?」
「同じトラップなら、俺は断固としてハニー・トラップを希望する!」
緊張感のない面々が、五感どころか第六感までも駆使して船内を探る。
潮風に混じって微かな火薬の匂いを感じると、それぞれ目配せして素早く走り出す。
「自ら足を潰すのか?」
小型船とはいえ安いものでもない。
上手く逃げおおせた時に他領なり隣国なりに逃げる為に、是非とも確保して置きたいものなのではないのか。
「万が一に備えて、別名義で他に船を用意しているのかもしれんなぁ」
「用意周到だな」
「……乗りこむのを予見して、我々みたいなのを消すつもりなのかもしれん」
「緊急脱出するか?」
「合図かもしれんし」
遠く離れた仲間にも、爆音と狼煙は大変にわかり易いであろう。
「我々を木っ端微塵かもしれんし」
四人はちょっと想像して、揃って首を振った。
「ノーサンキューだな」
「それ同意」
「異議なし」
「暴力反対」
とにかく木っ端微塵を採用している場合、どのような規模を想定しているのか解らない。
船体に穴が開くとかちょっと吹っ飛ぶ程度ならまだしも、阿呆のように火薬を詰め込んで港ごと吹っ飛ぶような状況なら、民を守る為にも木っ端微塵になる前にどうにかしなくてはならない。
「時間がない可能性があるから、バラけるぞ」
本来は二人一組で動くものだが、そうも言っていられないだろう。
四人は頷いてそれぞれの方向へ走って行く。
カルロは船底へ走って行く。
爆発の音は上部の方が拡散しやすかもしれないが、自分達を確実に仕留めるつもりなら、徹底的にやるのではないかと思ったからだ。
荷物置き場らしい扉を開けると、大きな氷が――だいぶ溶けているけど――括りつけられたロープと、その反対側に括りつけられた蠟燭を見て目を見開いた。
おちょくっているような簡単な仕掛けだ。
「なにこれ!? まさか二重トラップじゃないよね?」
見えない犯人に確認するが、答えがある筈もなく。間もなく導火線に着火しそうな蝋燭を掴んでは、溶けかけの氷を押し付けて火を消した。
蝋燭とロープを握ったまま周囲を見回す。
他に火や衝撃物がない事を確認すると、導火線の先に積まれている木箱を開けた。
「火薬……」
本気だったらしい。
心底困ったような表情で、積まれた箱を見る。
「おーい」
「こっちに爆薬が」
「こっちにもあるぞー!」
「「「「…………」」」」
それぞれの方向から声がする。そして暫しの沈黙。
……敵はえらく本気だったらしい。
「他にもあるかもしれん!」
至急応援を呼んで、船外に運び出す必要があるだろう。遠隔で火を放たれたらとんでもないことになる。
「しらみ潰しに探すぞ!」
「「「お~!」」」