朝の面々 後編
何も言わずに離れたジェイの後ろ姿をふたりで見遣って、何かを指示したらしいセレスティーヌを見た。
視線に気づいたセレスティーヌが、やっと確認のために口を開く。
「私はこちらで炊き出しや手当のお手伝いをさせていただいてもよいでしょうか? それとも宿へ帰っていた方が……?」
元々何か手伝えればと思ってはいたのだが。
先ほど自己紹介をしてくれたジェイは、ふたりが話し始めた途端セレスティーヌを守るように近くにいてくれた。万が一に備え、警護していてくれたのに違いない。
誰かの役に立ちたいとは思うが、もしも自分がいることで足手まといになってしまうようなら、自分がどうしたいかということよりも、心配をかけない場所で待っているのが一番の仕事になるのだろう。
「おや、それは困りますねぇ? あの荷物の指揮官はお嬢様ですから?」
「ジェイさん!?」
数種類の品物を頼んだのに、あっという間に戻って来たジェイ。面喰って思わず大きな声が出る。そんな様子に面白そうにニヤニヤしてるではないか。
主だけでなく、部下もまた仕事が早いようだ。
アマンダがどうすべきか、珍しく躊躇しているような素振りを見せた。
「一緒に行ったらいいのではないか?」
さらりとアンソニーが言う。
「えっ!?」
思わずセレスティーヌが驚きの声を上げた。一番反対しそうなのがアンソニーだと思ったからだ。
「先ほどのような人間もいるので、君をひとりでここに置いておくのには賛成できない。勿論移動先で危険がないとも言い切れないので、気乗りしないなら宿へ帰って待機してくれて構わないが」
少し前にジェイによって自警団員が引きずられていった方向を見遣った。
「……足手纏いになりませんか?」
身長差で自然と上目遣いになってしまう。
『待て』と言われて様子をうかがう子犬のような瞳を見て、アンソニーはちょっとだけ口の端を上げた。
(理由があるとはいえ、自ら家を飛び出して来た無鉄砲なご令嬢だというが。自分の立ち位置というか能力というべきか、その辺はきちんと理解しているんだな……)
「不用意に勝手なことをしなければ大丈夫だろう。私もそこそこ剣は扱えるし、ジェイもいる」
うんうん頷くジェイと、心配なのか、何とも言えない表情をしたアマンダを見遣って、アンソニーが意地の悪い微笑みを浮かべた。
「それにそいつは筋肉が歩いているようなものだけあって、その辺の騎士より強い。君のことくらいはしっかり守り切れるだろう」
「大丈夫ですよ? 『アマンダ様』は強いですからね?」
ジェイがアマンダの名前を呼ぶと、アンソニーとアマンダがそれぞれ眉間にしわを寄せた。
「取り敢えず、あれはどうすればいいですか?」
小樽が数個と、籠に入れられたセレスティーヌの所望品を指差す。
「あ、全て混ぜておいてください。できたら、粘土は少し経ってから混ぜていただければ嬉しいです」
「了解です?」
セレスティーヌが本当にいいのか躊躇している間に、ジェイがどんどん話を進めて行く。
心配そうにセレスティーヌを見ているアマンダに、アンソニーが追い打ちをかける。
「カルロが酷く心配をしていた。元気なその酷い顔を見せてやれ」
全然悪びれた様子もなく、淡々とした悪態が口から飛び出してくる。
そんなふたりを見比べながら、ニヤニヤしているジェイが耳打ちにしては大きな声で宣う。
「まあ、同じくらいかそれ以上に心配していたのは、アンソニー様ですけどね?」
アンソニーが心底嫌そうに仏頂面をしては、小さく呟いた。
「……余計なことを」
アマンダはアマンダで、ちょっと困ったようにツンとして横を向いた。
「……一・二年遊学することなんて、よくあることじゃない」
「いきなりいなくなる奴があるか」
「父上が言い出したのよ」
それに、と思う。
通常通り申請して会議にかけ、決議をし、はたまた行き先を選別して……なんて悠長なことを踏んでいる時間など、心情的になかったのである。
アマンダの父なりの思惑もあるのだ。どうせなら出来得る限りの結果を得るという、あの人らしい皮算用が。
それでも最低限、言わなければならない人間には事前に話をしてから出て来た。
国の運営などに関わるお偉方だ。
急な上、酷く驚いてはいたが、色々考えた末に了承してくれたのだ。
彼らに言わないよう、口止めをお願いしたのである。
――そう心の中で思う。
説明せずとも既にアンソニーも解っていることだろう。
若いとはいえ大人なのに。
お互い素直になれない子どものような様子に、セレスティーヌは頬を緩めた。
「仕事は、全て父上に申し送って来たわ!」
「そういう問題でもないだろう!」
ジェイは相変わらずニヤニヤしている。
お互いの気持ちをちゃんと解っているのだろうに。
セレスティーヌはくすくすと小さく笑い声をあげた。
「とっても仲良しなんですね」
「「…………」」
デカい男ととってもデカい男なのか女なのかが、揃って苦虫を噛み潰したような顔をする。
「憎まれ口くらい、甘んじて受けておいたらいいですよ?」
知ったかぶりした隠密と、いまだ肩を揺らすセレスティーヌに、アマンダは小さく苦笑いをした。
心配も面倒もかけただろうことは先刻・重々承知だ。
内心申し訳ないとも思っている。
(……確かにねぇ)
いまだ不機嫌そうな親友を見遣って、息を吐く。
「……ため息をつきたいのはこっちだぞ」
アンソニーは仏頂面のお手本のような顔でそう言った。
和むような和まないようなやり取りの後、すぐさま港町ヴェッセルに向かうことにした。
何気なく、四人は地面を掻く馬に視線をやる。
「なるべく早くに合流したい。タリス嬢には馬車で来てもらうか?」
「いえ、大丈夫です!」
セレスティーヌはそれ程乗馬が得意ではないが、急ぐとあらば背に腹は代えられない。
意気込む少女を見て、三人三様にほっこりとする。
そんなことはおくびにも出さず、用意された馬に跨る男性陣だが。
自分の馬がない事に首を傾げたセレスティーヌの目の前に、手が差し伸べられる。
アマンダだ。
「大丈夫よ、セレのことはちゃんと守るから」
重くないのかと迷ったものの、セレスティーヌは伸ばされた大きな手に自分の手を重ねた。
横座りで鞍の上に収まるセレスティーヌは、必然的に逞しい腕の中に抱え込まれる事になる。
厚い胸板と鍛えられた腕が視界に入る。どうしたものかと困って上を見れば、安心させるかのように微笑んだアマンダの顔が銀の瞳に飛び込んで来た。
何故だかセレスティーヌの心臓が跳ねる。
同時に、鞍の上に引き上げたセレスティーヌはとても軽く、落ちないように抱き込む形になる彼女は思った以上に華奢で小さく、アマンダは小さく目を瞠った。
ドレスを隔てて感じる体温と、香水とはまた違う甘いような香りがして、耳に熱を感じては誤魔化すように黒い瞳を瞬かせた。
何とも言えない斜め前から漂う空気感に晒されながら、アンソニーとジェイがふたりを眺めていた。
ジェイは相変わらずニヤニヤしている。
「……何なんだ、あのふたりは」
「なんでしょうねぇ?」
呆れたようなアンソニーに、まったりとジェイが返す。
彼は彼で、セレスティーヌが所望した荷物たちを自分の馬に括りつけている。相変わらず飄々として何を考えているのか解らない男だが、とにかく楽しそうではある。
アンソニーは鼻歌まじりの隠密を見て、諦めたように首を振った。
(……大体アマデウスの奴は、カルロに失恋して傷心旅行に出てるんじゃなかったのか?)
親友の失恋と、もうひとりの親友の驚愕と激動の感情のあれこれに、何と言って良いものか。
絶句していたカルロにも、純粋な愛情が実らなかったアマンダことアマデウスにも若干の同情をするが。
何はともあれ、かなり思いつめていた親友が意外に元気そうで、ホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
偶然とはいえ、セレスティーヌとの出会いに感謝をするアンソニーであった。
「妙な取り合わせだな」
「面白いですけどね?」
無責任な返答を聞き流しながら、アンソニーはため息をつく。あっちを向いてもこっちを向いても、頭が痛いことだらけだ。
まあ、セレスティーヌが良いなら問題はない。
(……多分)