15 友人その一との再会 前編
金色に薄茶色を溶かし込んだような癖のない長い髪は、飾り紐で緩く纏められている。萌えいづる若葉を思わせる柔らかな緑色の瞳は、温かな色合いだった。
彼は生まれ持った色合いに随分と助けられているのだろう。
優しい春の色合い。
セレスティーヌは、見たこともないくらいに美しい顔立ちをした男性の顔を、驚いた顔で口を開けたまま見つめた。
色味とは逆の、冷たくて硬質な彫刻か何かを連想させる顔の造り。何でも見通してしまいそうな切れ長の瞳、真っすぐに通った鼻梁。そして神経質そうに引き結ばれた口元。
アマンダも素顔は綺麗な顔をしているが、彼の男らしいがどこか温かみを感じる表情とは対照的で、目の前の男性は鋼や氷といったものを想像させる人物である。
「げっ! アンソニー!?」
何でいるのよ!? そう小さく言葉を漏らす。
資料を片手に持ったまま、アンソニーと呼ばれた男が鬼の形相でこちらへやって来ると、長身の彼をもっても尚、頭一つ程高いところにあるアマンダの顔を素早く鷲掴みにしては、思いっきり握りつぶそうかと言わんばかりに力を込めた。
ぐぎぎぎぎぎぎ。
先ほどのアマンダの首とは、似て非なる音が聞こえてくるようだ。
手の甲の筋の入り方と指の形状から、容赦ない力が込められていることが見て取れる。
「い、痛だだだだだだぃっ! アンソニー、顔が潰れる!!」
「こんなおかしな顔など、木っ端みじんに潰れてしまえ!」
呪詛を吐くような声と表情に、セレスティーヌは戦慄した。
先ほど自警団員を引きずって行ったジェイが戻って来ると、ふたりのやり取りと、セレスティーヌの反応を含めたところまでをひとまとめにして、ニヤニヤと楽しんでいる。
「流石にアンソニー様はご存じですか?」
ジェイが固まったままのセレスティーヌに問いかける。
現財務大臣を父に持ち、将来の宰相候補といわれている若き秀才、アンソニー・フォレット。
名門侯爵家の嫡男である。
「いえ……ですが流石にフォレット大臣のお噂と、ご子息様のお話しは伺ったことがございます……」
というのも、王国で一番美しいと言われている男性がアンソニーだからだ。
老いも若きも女性であるのなら、ひと目見ると心奪われるという見た目らしいが。
勿論今までセレスティーヌが、実際に彼を目にしたことはない。
何度か王都の社交界でニアミスをしたことはあるのだが、もの凄い数の淑女と貴婦人に囲まれていて、ドレスの塊しか見えなかったから実物を見たのは初めてである。
誰が描いたのか、彼の姿絵が阿呆のように売れまくっているのは知っている。
数少ない社交界の友人たちにも、嬉々として見せられたことがあった。
残念ながらロケットの中に入れられたミニアチュールは、小さい上に、煌びやかな背景(見事な薔薇の花)と豪華な衣装(キラキラの上着とフリフリのクラバット)に目が行ってしまい、全くもって顔を覚えていなかったのだが。
更には頭脳明晰・文武両道にして、お家柄も良く。
当たり前だが、仕事もすこぶる『出来る』人らしい。
その上王子殿下――ひとりしかいないので事実上王太子殿下でもあるのだが――王太子殿下とも親しく、側近の一人である(らしい)。
社交の場やカフェなどに行けば、彼の話を聞かないことはないと言ってもいいくらいだ。
自分を見たことがないというご令嬢に、おや、という顔をして向き直った。
今もアマンダの顔を潰さんとすべく、右手に渾身の力を込めたままで。
「……タリス子爵令嬢ですね?」
「!?」
名門侯爵令息に、無駄にいい声で家名を言われて酷く驚く。
なぜ、都下に住むしがない子爵令嬢の正体を知っているのか。
セレスティーヌは緊張した面持ちで、とにかく出来うる限り優雅にカーテシーをする。
……気に入られるためではない。ちゃんとしないと絶対零度の瞳で吐き捨てられそうだからだ。
「ご挨拶が遅れ失礼いたしました。セレスティーヌ・タリスにございます」
顔を握りつぶされて藻搔いていたいたアマンダも、貴族らしい様子のセレスティーヌを珍しそうに指の間から見ている。
「アンソニー・フォレットです。愚友がお世話になっています」
愚友。意味は解るが初めて聞く言葉だ。
器用にも、資料を持ったままの片手で実に優雅な礼を返される。
言うまでもなく、右手はアマンダの顔面を鷲掴みしたままである。
「フォレット大臣の御著書、拝読させていただいております。特に『社会経済における宗教と戦争の関係』は面白くて何度も読ませていただきました!」
大臣の書いた本の中でも、一・二を争う程分厚くて手厳しい内容の著書である。
目の前にいる美貌の令息には頬を染めることもないのに、本の話をする彼女は心なしか両頬を上気させ、嬉しそうに微笑んでいた。
「「…………」」
「随分硬派なご本をお読みですねぇ?」
ジェイが面白そうに言う。
アンソニーの目に留まりたい女性はごまんといるため、父親を褒められようが自分を褒められようが全くもって意に返さない。いちいち意に返していたら、それだけで一生が終わりかねないから。
実際に周囲から攻略しようと考える令嬢も多いのが現状だ。
だがアンソニーを目の前にして、まず父親の著書を褒める人間は初めて見た。
それも父の著書の中でも一・二を争う程クソつまらん経済書である。
「……ふむ」
アンソニーは汚いものでも払うように、ペッとアマンダの顔を放すと、自らの顎を親指と人差し指で挟み込んでは、まじまじとセレスティーヌをのぞき込んだ。
既にアンソニーの方でも、セレスティーヌのことは報告を受けているし調査済みである。
先日上役の伯爵家令息に婚約破棄された少女。
勤勉で慎ましやかな、それでいて芯の強いご令嬢。社交よりもおしゃれよりも仕事が好きな、年頃のご令嬢としては変わり種。
至近距離でアンソニーにのぞき込まれても、セレスティーヌは頬を染めるどころか、微かに首を傾げて大きな瞳を瞬かせているばかりだ。
(……ハムスター……)
銀の毛並みが美しく、そのくせどこかとぼけた顔をした、人懐っこいジャンガリアンハムスターを連想しては確認するかのようにアマンダを、そして再びセレスティーヌを見て、ひとり頷いた。
「なるほど」
「…………」
「????」