13 早朝の馬車の中にて
朝日が昇ると同時に辻馬車に跳び乗った。
本来ならゆっくり徒歩で景色を楽しむところだが、今は一刻も早く状況を確認しなければならない。
何もなければそれでいい。盗賊団に備えて警備を強めればいいだけだ。
手がかりを掴みたいと思う反面、善良なサウザンリーフ領の人々が傷ついたり被害を受けたりしないことをふたりは祈りながら馬車に乗りこむ。
朝焼けと朝もやの立ち込める街道を、滑るように走る。
暫くすると市街地を抜け、自然豊かな景色が広がり始めた。徒歩なら数時間かかる道のりも、馬車に飛ばして貰えば二時間程で着くだろう。
何か考えていたのだろうか。ちょっとだけ難しい顔をしていたアマンダが、表情を緩めてセレスティーヌをみた。
優し気で慎まやかな、その癖に妙に主張がはっきりしていたりと、そんな素直なセレスティーヌを見ていると、心が穏やかになるのだ。
「お弁当を作って貰ったから食べましょう? 食べれるときに食べておかないとね」
昨夕、宿屋に帰った後に女将にお弁当をお願いしておいたのだ。
冒険者や旅の途中の人間も多いため、宿屋では別途支払いをすると弁当を作って持たせてくれるサービスがある。
早い時間で大変申し訳ないがと言うと、何てことはないと笑って請け負ってくれた。
朝早くに出発する冒険者もいるので珍しいことではないとはいえ、有難いことである。
ほのかに温かい包みを受け取ると、セレスティーヌは眉を下げてアマンダを見上げた。
「……アマンダ様、何だかアマンダ様を振り回してしまいまして、申し訳ございません」
「ちょっと、お止めなさいよ……!」
続いて深々と頭を下げた姿に、アマンダはギョッとする。
そして何だか情けない顔をしたセレスティーヌに、苦笑いを向けた。
「……解ってるわよ。アタシが騎士かお役人だと思ったんでしょ?」
セレスティーヌはこっくりと首を縦に振る。
「セレの安全を確保するために対応が遅れて、万一、サウザンリーフの領民に余計な被害が及んだらって思ったのよね」
自分が居るせいでアマンダが自由に身動きがとれなかったらとか。
逆に、傷心旅行中なのに気持ちも考えず、首を突っ込ませてしまったら、とか。
挙句、危険な目に合わせてしまったら、とか。
目の前の事件の被害を何とか最小限にしたいと思うばかりに、よくよく考えなくても余計なことをしたのではないかと後になって青褪めた。
そして冷静になって考えたときに押し寄せる後悔と恥ずかしさ、申し訳なさとでなかなか眠れなかったのだった。
「ついつい、一生懸命になるとその事に集中してしまいがちで……」
アマンダは困った表情のセレスティーヌに、くすくすと笑った。
「普段は落ち着いているのに、時折年相応になるのねぇ」
「申し訳ございません」
「ううん、大丈夫よ。でも、全部誰かのためね」
アマンダが。領民が。
セレスティーヌの行動理由は全て他者への心配りが根底に根付いている。
もしかすると、放って置くと気持ちが悪いということもあるのかもしれないが。貴族の、それもご令嬢が、他領の平民にまで気持ちを割いたり、危険を顧みずに出向いたりということは少ないのが正直なところだ。
「……まぁ、危険なことはしないでほしいっていうのが正直なところだけど。それでも誰かを思いやって行動できるのはステキなことだと思うわ」
アマンダが否と言ったら、宿を飛び出して行きそうな勢いだったが。
再び、懸命な表情のセレスティーヌを思い起こして苦笑いをした。
「でも、本当に危険なことをしちゃ駄目よ。それだけは約束して?」
「はい」
優しく言い含めるアマンダに、セレスティーヌは素直に頷いた。
「アタシは騎士でも役人でもないけど。まあ、どっちにしろ何かあったら関係機関に連絡する役目は負ってるから、そんなに気にしないでも大丈夫よ」
(まぁ、近からず遠からずなのだが……)
アマンダはそう言うと、弁当の包みを開けた。ローストしたチキンとチーズ、そして葉野菜が挟み込まれたバゲットだった。
大きな手でバゲットを持つと、大きな口を開けてかぶり付く。
セレスティーヌは包みを持て余すように撫でながら、真面目な顔で口を開いた。
「私、アマンダ様と旅行が出来て、本当に楽しくて。心から良かったと思っています」
「アタシもそう思ってるわよ」
「まだ出会って日の浅い私でも、アマンダ様が大好きです」
真っすぐ過ぎる言葉がこそばゆい。
だが、一生懸命に何かを伝えようとしている様子のセレスティーヌに、アマンダは表情を取り繕いながら、急いでバゲットを咀嚼しては飲み込んだ。
「ひとりで放浪していたら、きっと悪い人間に連れ去られてしまっていたかもしれません。無事だったとしても、婚約破棄を引きずって、投げつけられた言葉や家のことを嘆いたり憤ったりしていたに違いありません。
そんなことを吹き飛ばして、明るく楽しくこうして過ごせているのはアマンダ様のお陰です」
おべっかでも綺麗事でもない。本当に感謝と友情をひしひしと感じているのだった。
――伝わるだろうか。この気持ちが。
伝わり難かったとしても、少しでも伝わるように、心を込めて言わなくては。
そうセレスティーヌは思った。
「ご友人も、アマンダ様のことを絶対に大切に想っていると思います」
セレスティーヌの銀色の瞳が、アマンダの黒い瞳を真っ直ぐに見据えている。
「……アマンダ様の大切とは、ちょっと違うのかもしれません。お会いしたこともない上に、おふたりの気持ちを、さも知ったように言うのは厚かましいかもしれません。でも」
でも。
長い間、友人として過ごして来た時間と気持ちは、どちらにとってもかけがえのないものである筈。混乱と戸惑いが入り混じっているだけで、それは変わりようのない本当のことだろう。
「当たり前過ぎることですが、大切な存在は恋人だけとは限らない……ご友人にとって、アマンダ様が大切な存在であることは確かだと思うのです。――いつか、心の傷が癒えて伝えられる時が来たら。その方の為にも、何よりもご自分が後悔しない為にも、どうぞ祝って差し上げてくださいませ」
……差し出口を申し訳ございません、といって潤みそうになっている瞳を隠すように頭を下げた。必死過ぎて、なぜだか自然と涙が出そうになっているのだ。
(余計なことでしかないけど、私に出来る事なんて殆ど無いのだもの。アマンダ様が少しでも後悔しないように、差し出口と知りつつも伝えることくらいしかできない)
今更言われるまでもなく、親友同士の友情が本物であることも、祝いの言葉を伝えた方が良いことも解っていることだろう。
何を知ったかぶりを。そう自分に向かって唇を噛み締める。
十年、二十年という年月は、そんな薄っぺらいものではない筈だ。
だが、何かが邪魔をして一歩踏み出せない時には、敢えて言われたことで踏み出さざるを得ないというか、きっかけになることもあるのではないか。
(アタシのため、か)
確かに。
今も祝いの言葉を伝えられなかった自分が、今でもジクジクと苛ませるのだ。
受け入れられない恋心よりも、凍り付くようなあいつの表情が。そして事実を受け入れられない矮小な自分が、自分を苛ませる。
言い難いだろうに、何だか悶々と色々考えているらしい年下の少女がいじましくも可愛らしかった。
「アタシも、セレのことが大好きよ」
アマンダはいまだ困った表情をしているセレスティーヌに向かって、黒い瞳を細めた。
日が昇り霧が晴れた空は、濃く青く澄み渡り、濃い緑の葉陰が馬車の窓辺に落ちた。
遠くには、まるで街々を見下ろすかのような荘厳な教会が見えて来た。