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2 先ずは酒場でちょいと一杯

「ちょっと気分直しに一杯引っ掛けましょうよ」


 デカいその人は、セレスティーヌに当然のように言う。

 言われたセレスティーヌは静かに、光るような銀色の瞳を瞬かせた。


(これって)

「ええっと……?」


 まさか。助けたお礼というヤツだろうか、と思う。


 ちょっと飲み食いする代金を奢るくらいならまだしも、何処に連れていかれるのか、金品は要求されるのか。はたまた本当はさっきの輩と仲間で、打合せ通りというやつなのだろうかと次々に考えが溢れて出る。


 ひ弱な女性であり、末端とはいえ一応貴族の娘の端くれであるセレスティーヌは再び自分に危機が訪れているのかと訝しがった。


 ダラダラと冷汗をかきながら断りの言葉を考えるセレスティーヌを見遣って、可愛らしい仕草で――だが残念ながらイカツ過ぎて全く可愛くないのだが――大きな人はコテンと首を傾げた。


「違う違う! アタシ旅をしているんだけど、丁度ごはんを食べようと思っていたところなの。見ればアナタも旅行中みたいじゃない? 

 袖触れ合うも他生の縁。まだアイツがうろついているかもしれないし、もしよかったら一緒に食事でもしないってことよ」


 嫌だぁ! と笑いながら手をパタパタさせる大男みたいな大女みたいな人を見上げる。


 確かに。

 いまださっきの放蕩息子が近くをうろついている可能性はあるだろう。

 自分一人で対処できないだろうと容易に行き着いたセレスティーヌは、上目遣いでおずおずと頷いたのであった。


 賑やかな往来を笑いながら歩き、なにを食べようかと店先を冷かしながら散策する。


「やっぱりお肉よねぇ。脂の乗った美味しいお肉が食べたいわぁ!」

「暑いので、さっぱりしたものが食べたいですねぇ」


 全く正反対のことをいいながら、あれやこれやとかしましく口を動かす。


 ずっと一人で悶々と歩いていた挙句、変な男の人に絡まれて気分は最悪であったが。

 いつの間にか肩の力が抜けて、顔には自然な微笑みが浮かんでいたことに気づく。

 

 頼れる人と一緒にいるというだけで、心はこんなに安心するものなんだと驚いた。どうやら自分は思ったよりもかなり思いつめていたらしいと認識しては苦笑いを浮かべた。



 結局、肉々しい肉料理とさっぱりしたサラダ、そしてお酒におつまみ、定食と、いろいろなものが楽しめる食堂に入ることにした。


 子爵位とはいえ貴族のご令嬢であるセレスティーヌは、街中の食堂に入るのは初めての体験だ。


 そこそこ賑わっているらしく、賑やかな声が大通りまで聞こえて来るその店を見て、セレスティーヌは気圧されるようにごくりと唾を飲み込んだ。

 これから午後の仕事へ行くのだろう、仕事着を来た三人組が腹をさすりながら店から出て来たのを横目で見送る。 


「……あら、緊張しているの? 大丈夫よ、アタシがついてるわよ!」

 彼なのか彼女なのか判らないその人が豪快に笑うと、バシバシと背中を叩く。


「は、はははは……」

(痛い……!)


 セレスティーヌは乾いた笑いを張り付けながら苦笑いをして頷いて、暴漢から助けてくれた人物と共に食堂に足を踏み入れたのであった。



「アナタ、成人してるの?」


 メニューのお酒のページに目を釘付けながら、セレスティーヌに尋ねる。


 ……酒は飲めるのか、ということなのであろう。

 ここエストラヴィーユ王国の成人は十六歳。


 セレスティーヌは十七歳であるので飲酒は問題ないが、大して飲めるという訳でもない……というか、殆ど飲んだことがないと言ったほうがよい。セレスティーヌは瞳を左右に動かしては、ちょっとだけ眉にしわを寄せた。


「昨年成人しましたが、そんなに強くはないかもしれません」

「昨年? じゃあ今は十七歳ね、可愛いわ~♪ じゃあ、サングリアにでもしておこうかしらね?」


 サングリアは果物や甘味料、果汁、スパイスなどを赤ワインに混ぜて一晩寝かせた飲み物だ。甘くて飲みやすいので若い女の子でも飲みやすいだろうという配慮らしい。


 ちなみに白ワインで作れば『サングリア・ブランカ』。桃やネクタリンが香る女性好みの『スーラ』、赤ワインをソーダで割った『ティント・デ・ベラーノ』ものど越しが爽やかで夏場には特に好まれる。


 一杯ずつかと思いきや、笑顔でやって来たおかみさんが大きなピッチャーでドン! とテーブルに置いていった。セレスティーヌは思わず銀の瞳を白黒させる。


 乾杯の前に、礼を言っておかねばならないだろう。セレスティーヌは佇まいを直して座礼をとった。


「先ほどは助けていただきましてありがとうございます。私は……セレスティーヌと申します」


 敢えて家名は名乗らなかった。

 元の名前はセレスティーヌ・タリス。タリス子爵家の長女だった。

 

 だが、もう自分は貴族ではなく平民だ。

 両親には除籍してくれるように書置きをおいてきたのだから。そうした方が問題が軽減する筈であったので、申請して貰うように願い出たのだ。

 

 それに元々社交にはそう熱心な性格でもないし、父の仕事の手伝いをしている方が性に合っていたのだ。仕事の内容が変われど、身体を動かしていた方がきっと楽しく暮らせるであろう。



 礼と名を告げられた彼だか彼女だかは、かすかに小首を傾げた。


『セレ』でも『セレス』でもなく、『セレスティーヌ』


 雅な長い名前はどう考えても貴族令嬢の名前であるが、言いたくないのであろうことを悟って、大きな人はにっこり笑って頷く。


「綺麗な名前ねぇ。夜空色の黒髪に銀色の瞳。天空におわす月星の女神というところかしら?」

「……お恥ずかしいことです……」

 

 思わず語尾が小さくなる。

 初めての子どもに正気をなくした娘フィーバーの父親が、深い闇のような黒髪と銀色の瞳を見ては、夜空に輝く月の女神のようではないかと言って名づけた名前。見苦しいという程ではないものの、たいして美しくもないであろう自分にはどうにも名前負けのようで、口に出すのがかなり恥ずかしかった。


「アタシはアマデ……『アマンダ』よ♡ピッチピチの二十三歳!」

「…………」 


 アマンダと名乗った彼女(?)は、『アマデ……』と口篭もった。


 十六~ニ十歳が結婚適齢期である世の中で、二十三歳の女性が果たしてピッチピチなのかはさておき。セレスティーヌは綺麗に手入れされているものの、剣だこのある大きな手や、ドレスの立襟の中に隠れているであろう喉仏を認め、紅の中の引き締まった口元、長いつけまつげの下にある涼し気な目元を確認した。


 ……多分本名は『アマデウス』なのであろう。立派な『男性』の名前である。


 エストラヴィーユ王国には現在、アマデウスという名前の青年は多数存在している。セレスティーヌの住んでいた町にも、大小合わせて六人はいただろうか。


 なぜなら王国唯一の王子殿下が『アマデウス』という御名なので、あやかって同じ名前にした人々が沢山いるからなのだが……とにかくそのくらい珍しくもなんともない名前なのであった。


 男性である筈が女性の格好をしたアマデウスは、女性として生きているのだろうか。

 セレスティーヌの周りにそんな人間はいまだかつて一人もいなかったが、色々と事情や理由があるのであろうと察する。……まあ、事情がなければこのような格好はしないだろうとも思う訳で……


 立派なガタイと金色の縦ロールに、派手な青いアイシャドウ。そしてピンク色のドレスは全くもってちぐはぐに見えるが、本人が好んでいるのならよしとした。


「……アマンダ様ですね。どうぞよろしくお願いいたします」

「アマンダ姐さんって呼んでもいいのよ?」


 ウフフフ♡とアマンダはゴツい右手をテラテラと赤い紅の乗った唇にあてては、左手を団扇のようにして高速でブンブンと動かした。


(アマンダ『オネエ』さん……)


「堅苦しいのもなんだしね?」

「はぁ……」 



 香りのよいサングリアをガバガバと飲みながらも、ちょっとした所作や視線の動き、優雅におつまみのナッツを口に入れる様をみては、自分なんかよりも余程高位の人間であると悟った。多分彼女は、高位貴族の元(?)令息であると結論付ける。


 年下の小娘にも気さくに接してくれて、そのうえ暴漢の放蕩息子(多分)からも助けてくれる程に強い。世間話をしつつも先ほど攫われそうになったばかりである令嬢が怖がってはいないか気遣ってくれる様子は、セレスティーヌをどうこうしてやろうという下心があるようには見えなかった。


(気を許すのはまだ早いだろうけど、きっと悪い人ではないわ)

 

 多分世間知らずの心許ない娘を見て、放って置くのがどうにも憚られたのであろう。

 陽気に飲み食いしつつも、つけまつげの下の優しくこちらを窺っている黒い瞳を確認して、セレスティーヌは小さく息を吐きながら、細い身体から力を抜いたのであった。


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