9 夕焼け空 前編
『当牧場で飼育された、質の良い牛肉を使用』
そう書かれた貼り紙を見て、あらぁ……とアマンダはこんがりと焼かれる分厚いステーキ肉を見遣った。
にんにくソースと肉の焼ける匂いが鼻腔を刺激する。
セレスティーヌのトレイに乗っていたチキンを思い出し、先ほど鳴き喚いていたふわふわのヒヨコとふてぶてしい顔のニワトリを連想する。
(うん。余計なことは言わない方がイイわね)
お行儀よく座って待っていたセレスティーヌは、ステーキというよりは塊と言ったほうが近いようなお肉と、シードルを手にしたアマンダを見上げる。
「凄いですね」
「沢山動いたからお腹が空いちゃって。さ、食べましょう!」
そう言うとステーキを切り分け、セレスティーヌの皿へと乗せた。そしてパンも。
「はい。これも食べてね?」
「ありがとうございます! チキンもシェアいたしましょう!」
「もちろん。いっぱい頂戴♡」
アマンダの言葉にセレスティーヌが面白そうに笑みを零した。
程よく疲れた身体を休ませるべく、サーカスと芝居、ダンスにコンサートと続けざまに観賞三昧だ。三十分ほどの演目は意外にもしっかりと練られたもので、充分に楽しめる内容であった。特に観劇をするよりも領地の手伝いに精を出していたセレスティーヌにとっては、非常に新鮮であったのだ。
(自分が好きでお手伝いをしていたのだけど、もっと色々と楽しんだら良かったのね)
両親にも、自由にするようにと度々指摘を受けていた。
――勤勉なことが美徳であり、父や目上の人、ひいては夫を立てるのが『良いこと』だと思い過ぎていたのだろう。清貧の精神こそが最上であると、何だか頑なに自分に課していたのだ。
(人にまでそれを無理強いしてはいなかったと思うけど。きっと周りの人には心配をかけたのかもしれないわね……)
両親や幼い弟、親友たちの顔を思い浮かべる。
放蕩者であるダニエルにとっては非常に鼻につく、当てつけのような態度に感じたのかもしれない。
(だから私に対して、あんなに否定的だったのかもしれないわ。無意識にしていることが、人に嫌われたり傷つけたりすることもあるのね)
勝手な言い分であったり、一般的にはそうは思わないにしても、受け取り方や感じ方は人それぞれかもしれないのだ。自分がその時その意見に賛同するかは別にしても、色々な価値観があることは心に留めおく必要があるだろう。
アマンダと出会ってから、多様性とか個性とか、とにかく自分とは違うということにも耳を傾けたり考えたりする必要があるのだなと、より強く思うようになった。
無理をせず、自分も相手も上手く尊重しつつ思いやりつつ共存するという世界。
異国風の衣装を着た踊り子たちの舞い踊る姿を見て、色々な世界があるのだなと、当たり前の事を再度強く認識したのだった。
劇場の外に出ると、日は西に傾き空が茜色に染まっていた。
「どうせなら何か乗りましょうよ!」
アマンダがアトラクションを指さす。
舟形の大きなブランコや大きなシーソーに籠がついたような乗り物などが見える。
「あれ、アマンダ様が好きそうですね」
大きなリング状のブランコのようなものが、何本もの太い縄に吊り下げられて回転していた。係員の人達がタイミングよくぶら下がったり押したりしながら大きく揺らし、遠心力で回っているものだ。
沢山の笑い声と歓声が辺りに響いている。
「そうねぇ。あれくらいならセレも怖くないかしら」
一応思いやっているらしく、首を傾げるアマンダに苦笑いをしながら頷いた。
日暮れが近づき遊ぶ人も減ったのか、並べば程なくして順番が回ってくる。促されるままに腰をおろすと、一人ずつ安全のために革のベルトがつけられた。
「係員が参りますので、それまでは金具を取らないようにお願いいたします!」
はきはきとした若い係員が声を張り上げる。それを合図に、回転ブランコは円を描き始めた。あっという間に大きな弧を描きながら空中を動くそれに乗りながら、遠くに見える景色を見た。
遠くに見える海の水面が金色に光っている。
茜色の空と蒼さが増した海の沖、浜辺を縁取るように白く泡立つ波。暮れなずむ浜辺の空を海鳥が流れるように滑るように、空を突っ切って行く。
「…………」
普段は気にも留めなかった一日の時間の流れ。
ごく当たり前な、だけどもこんなにも綺麗な自然の営みを、移り変わりを、いつから自分は何とも思わなくなったのだろうか。
目に染みるような茜色の空を、セレスティーヌは生涯忘れないだろうと思った。