34 父と家族と・前編
珍しく夕暮れ時に官舎の扉が閉まる音がした。
「父上?」
スティーブよりもハンナよりも早くその音を聞きつけたライアンが、小走りにタリス伯爵の出迎えに出る。
普段大人顔負けな発言をするライアンであるが、多忙なために父と語らいが減ったのは淋しいのであろう。
「ライアン、今帰ったよ」
タリス伯爵は目を細めると、息子の頭を優しく撫でた。
元々貧乏子爵家ということもあり、どちらかと言えば平民に近い感覚であるタリス家の面々。子どもへの対応もあまり貴族らしくなく、時間があればほとんどを一緒に過ごす。
セレスティーヌもライアンも、乳母にではなく両親の手で育てられた。
文字通り両親の愛情を沢山受けて育ったと言える。
「今日は早いですね! 姉上かと思いました」
「この数か月、ずっと忙しかったからなぁ……殿下がお帰りになったことでアンソニー様が地方へ出向かれることも少なくなったから、段々余裕が出てきたみたいだ」
アマデウスとセレスティーヌが新しい問題やら事件やらを掘り起こすことがなくなったため、それらに振り回されることが無くなり、現在ある仕事に集中出来るということもあるだろう。
更にアマデウスとセレスティーヌだ。
アンソニーは別次元におり、もはや同じ人間なのか解らない精度とスピードで仕事を熟すのはもう解っていたが、アマデウスも筋肉隆々の見掛けからは(失礼ながら)想像も出来ないくらいに仕事が早かった。更に決裁者でもあるため、物事が決まる速さが段違いに早くなったのである。
セレスティーヌに関しては、自ら管理代官の補佐を出来るよう将来を見据えて仕込んだともいえる。元々頭がよく覚えが早い子ではあったが、応用力に優れているらしく、アンソニーやアマデウスに直接鍛えられて今では立派な文官であるといえるであろう。
そう思ったところでライアンに向き直る。
「姉様はまだ帰っていないのか?」
「お茶会にご招待いただいたようですよ。……もう間もなく帰って来るのではないですか」
お茶会、そう聞いてタリス伯爵は苦笑いをした。
自分も社交はあまり得意ではないが、それ以上に苦手にしていたセレスティーヌ。
高位貴族となり手習いの一種と考えて出掛けているようであるが、誘ってくださる方々がかなり配慮をしてくれているのは明白で、相手の立場に緊張はするものの、過去の社交に比べるとかなり楽しい時間を過ごしている様子であった。
そう話していると、何やら足音と話し声が聞こえて来る。
端とは言え王宮の中で安全ではあるのだが、薄暗くなった時などは騎士や王宮の侍女などをつけ、安全に帰れるように配慮してくれることも多い。今日も誰かに送っていただいたのであろうと思い、ライアンに頷く。
勝手知ったるライアンは扉を開ければ、送ってもらった礼を言っているセレスティーヌの姿が目に入った。
と同時に、銀髪の青年の長身が目に入る。
「わざわざ申し訳ございません」
「全然。遅くまで母たちが引き留めちゃったみたいだしね……それよりもあの人たちが変なことを言っていないかの方が心配かもだよ」
話していたふたりが扉が開いた音に振り向いた。
「で、でででで殿下!?」
タリス伯爵がぴょーん! と後ろに飛んで頭を下げた。
「ああ、タリス伯爵……! どうかそんなに畏まらないで、大丈夫ですよ?」
アマデウスが取りなすように両腕を上げ、手のひらを横へ振った。
「わざわざ送ってくださるなど……! お、お茶をっ!? それとも共をお付けいたしますか!?」
挙動不審になっている父親と、気を使わせてしまいあわあわしている王子を見比べて、セレスティーヌとライアンが視線を左右交互に行き来させていた。
「王宮の中ですから、問題ありません。多少の賊であれば対応可能ですし、その辺を騎士が見回っておりますので」
共と言ってもタリス伯爵か老家令のスティーブであろう。何かあったら守らねば真っ先にやられてしまうのは必須であり、却って足手纏いである。
「今日は伯爵も早く帰られたのですね。それでしたらお気になさらず、家族水入らずで楽しい時間をお過ごしください」
そういって笑うと、小さく会釈をした。
伯爵が変な気を回さない内に退散すべく続けざまに口を開く。
「じゃあ、また明日ね。良い夜を」
「アマデウス様も」
数か月一緒に旅を続けていたからか、ふたりは隣の部屋へ戻るような気楽さで挨拶をした。
振り返り際手を振るアマデウスに、セレスティーヌとライアンが振り返し、タリス伯爵が深く頭を下げた。
好青年だ、とタリス伯爵は思う。
……女装の件は度肝を抜いたが、何やらいろいろあってのことらしい。それを証拠に、城へ戻ってからはごく普通の執務服を着用していた。普段からドレスを愛用しているというわけではなさそうであった。
その後久々に家族四人でテーブルを囲んで食事を摂った。
最近あった出来事、王宮での暮らし。差し障りのない範囲の仕事のこと。回廊の柱の陰から、なにやら見守っているらしい国王。ライアンの勉強のこと。夫人のお茶会の様子。
四人は互いの近況を聞き、時に笑い時に頷いた。
一時期はセレスティーヌが家を出、タリス伯爵が王都へ出ずっぱりでふたりきりの食卓だったこともあり、ライアンも夫人も楽しそうである。
食事も終わりお茶を飲む。柔らかなお茶の香りが優しく四人を包み込んだ。
タリス伯爵が夫人を見ると、小さく微笑んだ。
タリス伯爵はその穏やかな笑顔に勇気づけられるように口を開いた。