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33 行方・後編

本日2話目です。

前の話も合わせましてお読みいただけましたら嬉しいです。

※※※※※※


「隣の国の貴族の汚名が晴らされたらしいな」


 西の大陸には大小幾つもの国がある。

 やはり西の大陸のとある国の商船では、近隣国であるからだろう、過去に冤罪を着せられた貴族の潔白が証明されたという話で持ちきりであった。


 珍しい内容に、その国を知る者や出身者たちが港で聞いたうわさ話に花を咲かせていた。


 なんでも、何十年も前に汚名を着せられたとある貴族の事件を調べ直すようにと、東の大陸にあるエストラヴィーユ王国から要請されたらしい。


 なぜ今頃そんな事件をと思ったが、多くの国を騒がせていた犯罪集団に絡んでのことなのだという。

 そして調べてみれば、当時の調査はかなりずさんで、悪い大貴族に忖度したものであったそうだ。


「……案外あんたの出身国かもしれねぇな」


 若い船乗りが新入りの男に声をかける。

 声をかけられた男は、治りかけの怪我を庇うようにしながら荷物の選別をしていた。


「どうだろうな」

「まだなにも思い出さねぇのか?」

「……ああ」


 男は答えながら苦笑いをした。


 声をかけた若い船乗りは、いつも男を気にかけており、何だかんだと世話を焼いてくる。

 かつて海で亡くなった己の父親と、助けた男は同じような年回りらしく重ねて見ているのだ。


 男は数か月前に、ディバイン沖で波に浮いているところを通りかかった商船にみつけられ、船乗りたちに助けられた。怪我をしており微かな息をしていたのでそのまま治療することにした。……助けたものの、処遇をどうするかで揉めることになったのだが。


 実はその日、事件を取り締まるためにディバインの港が一斉封鎖されていたのだ。仕方なく別領の港を目指し沖に戻る途中、偶然波間に漂う男を見つけたのだ。


 こんなタイミングで怪我をし、封鎖されているはずの沖に流されていた――なにか事件に関りがあると考える方が自然だろう。面倒事を避けたい者たちはエストラヴィーユ王国に引き渡すことを進めた。当然の意見であろう。


 反面、船乗りたちの中には脛に傷を持つ者も多い。再び悪事に手を染めるものもいなくはないが、真っ当な人間になるために心を入れ替えて暮らしている者が大多数であった。


 背中や腕などに大怪我をしながら海に投げ出された人物。もしかしたら自ら飛び込んだのかもしれないが……仮に飛び込むしかなかったのだとしたら、どんな気持ちで飛び込んだのだろうか。

 そう考えると、船乗りたちは自分のことのようにやるせなく、哀しかった。


「……少し、せめて怪我が治るまで様子を見てやってはもらえませんか?」


 そう言って頭を下げる者たち。

 荒くれ者たちが頭を下げる様子に絆された船長は、助けた男がおかしな様子を見せればすぐさま引き渡すと宣言して反対する者たちを黙らせた。


 それに、船に引き上げた直後は虫の息で、到底引き渡せる状態ではなかったのである。

 生きるか死ぬか、本当に瀬戸際だったのだと、男はいろいろな人間から聞かされる羽目になった。


 看病の甲斐あってか、意識を取り戻した男であったが、全身の酷い打撲に加え背中から肩にかけて大きな裂傷と腕の骨折、そして記憶を全て失くしていた。



 休憩だと言って、リンゴを投げてよこした若い船乗りに男はついて行く。

 甲板の端に積まれた空箱に腰をおろしては、風に乗るカモメを見上げた。


「あんた、引き揚げた時に凄い臭いがしててなぁ。詳しい奴に聞いたらエストラヴィーユ王国の良く効くけどクソ不味いうえに酷い悪臭の薬のニオイだって」


 若い船乗りはおかしそうに笑った。

 臭いに関しては他の人間からも言われたので、本当に匂いの強い薬だったのであろうと男は思った。


「なんでそんなもの飲んでたのか知らねぇけど、それを飲んだお陰で助かったんじゃねぇかって言ってたんだぜ」

「悪臭の薬……?」


 かつての記憶なのだろうか。男の脳裏に一瞬、顔の前で何かが弾けたような断片が浮かんだ気がした。しかしすぐに靄がかかったようになり、頭がうっすらと痛むような気がする。


「そんな高そうなものを飲んだり、身のこなしが変に上品だったりして。本当に、その行方不明の元貴族なのかもしれないなぁ」


 どこか淋しそうに若い船乗りは言った。


「上品?」


 男は不思議そうに呟いて眉を寄せる。

 記憶はないが穏やかなうえ様々なことを器用に熟す男は、船乗りの間で重宝がられることになった。

 もちろん身体の傷は癒えきってはいないため出来ることは限られているが、調理から掃除、ちょっとした交渉事から雑用まで、何でも平均以上に熟すことが出来た。


 言葉遣いも多様に使いこなす。……船乗りたちから浮かないように威勢のいい言葉を使っているが、丁寧な言葉もするすると口からついて出るのは確かであった。

 知識としてあるのではなく、普段からどちらも使っていたのであろうことを本人も察している。


「一番は食べ方だな。食事の仕方は育ちが出るからな」

「食べ方……」


 環境に慣れねばいけない焦りと身体の痛み、そして何も思い出せない苛立ちからそこまで気が回っていなかった。

 ――初歩的なミスだ。そんなことも取り繕えないなんてらしくない――そう思って、ハッとする。


「あんた、食べ方が綺麗だ。貴族かどうかは別として、きっと元はいいところの出なんだろうな」

「…………」


 自分は本当に、噂になっている冤罪で没落した貴族の出なのだろうか。そう男は自分に問いかける。

 しかし過去についても自分についても、全くこれっぽっちも思い出せないのだ。


 小ぶりなリンゴを持つ手に視線を落とせば、ゴツゴツと節くれだった厚い手があった。若い船乗りも男の手を見る。


「……だけど苦労したんだろうな。働き者の手だ」


 そう言って若い船乗りは、自分も持っていたリンゴを齧る。


「そんな手になるくらい育ちに合わない苦労をして、死ぬような目に合って。……あのままだったら、ちょっとタイミングが違ったら、あんた死んでたんだよ」


 若い船乗りが言いたいことが見えず、男は顔を上げる。


「仮に何か悪いことをやって死んだのだとしても、生まれ変わったら悪人じゃあないだろう?」 

「いや、しかし……」


 男の口からは否定の言葉が出そうになる。


 生きるため、頼る者がいないとはいえ、元貴族の男は様々な悪事をして来たのだと噂が流れていた。

 その噂がどこまで本当でどこまでが嘘なのかは解らない。

 仮にそうなのだとしたら、記憶があろうがなかろうが、罪は償わなくてはならないだろう。


 どこかできちんと確認しなくてはならないと、男は思っていた。


「第一記憶が無いんだ。しなくていいはずの苦労をして、大怪我をして死ぬ思いをして、過去を一切なくして。それって生まれ変わったと同じじゃないのか?」


 そんなのは破綻した言い訳だと思うものの、真剣で懸命な、どこか哀しそうな顔をした若い船乗りを見ては何も言い出せずに口を噤んだ。


「今のあんたは真っ当に生きて行こうとしてる!」

「だが」


 そうじゃないと男が言おうとすることを止めるように、食い気味に言葉を被せてくる。


「じゃあ、せめてあんたがその元貴族だって解るまでは名乗り出るべきじゃない。仮に違っても、これ幸いと罪を被せられるだけだぜ」


 男がどうすべきか揺れていることを感じ取っていたのだろう。

 万が一にも自分が追われる立場の人間だとして、命を救ってくれた船乗りたちを巻き込むようなことになるのは本意ではなかった。

 そう思い、今後の身の振り方を考えていたのは確かである。


「……本当に生まれ変わったのかな」


 ぽつりと男は呟くように言った。

 若い船乗りは唇を引き結んで頷く。


「だって、俺が生まれ変わる前に悪人だったか善人だったかなんて覚えていない。……古い生を終えて、今新しい生を生きている。過去にとんでもない罪を犯したとして、俺が裁かれるのはおかしいだろ?」

「そりゃ、おかしいだろう。全然違うだろう」


 あんまりな理論に苦笑いをすると、若い船乗りは大きく首を振った。


「違わない! あんたはあの日、生まれ変わったんだ!」

「…………」


 男は困ったような顔をして、若い船乗りの顔を見た。

 冷たい潮風がふたりの髪を靡かせ、頬を軽く打ち付ける。


 なぜだか理由は解らないが、男は目頭が熱くなっては視界が揺れるのを感じて、急いで唇を噛み締めた。 


お読みいただきましてありがとうございます。

次回は火曜・金曜日更新となります。


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少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

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