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20 対決・後編

 砕けた丸薬が顔にかかった紳士は、顔を歪めながら素早く袖で顔を拭った。酷い臭いにえずきそうであるが、悠長に顔を拭っている余裕もない。


 アマンダがどうすべきか考えるような素振りをしながら、崖側へと紳士を追い詰めて行く。


(せっかくセレが頑張ってくれたけど……安易には切れない)


 どんな武器を仕掛けているか判別がつかない。

 万一の場合には、自分自身を使ってとんでもない仕掛けを発動させる可能性も残っているのだ。


 そして意外にも紳士の剣さばきは鋭い。

 身を護るために鍛錬を欠かしていないことが想像できた。


「……大人しく投降しろ」

「くそっ」


 紳士が小さく呪詛の言葉を吐く。


(予想外に忌々しい女だ)


 横目でセレスティーヌを見ては舌打ちする。


 身体検査の時に薬の認識はしていたのに。

 ……万が一持病があって面倒なことになったら困るので、薬を持たせたままにしていたのが間違いであった。ささやかな小瓶ゆえ、例えぶつけられたところで危険はないと踏んだからだが、まさかこのような武器として使用するとは。


(平和ボケをした国だと言った奴らは誰だったんだか)


 それなりに下調べをし関わってみて、お人好しな国民だと思っていたのに。

 長いこと人間の裏側を見て生きてきた自負のある紳士だが、見誤り侮り過ぎたのであろうか。


 大したことは出来ないであろうと踏み、人質にした没落貴族のご令嬢が気合の入った表情で紳士を見ては、薬瓶を投げてきた。


 ……いささか変わった髪飾りだと思ってはいたが、まさか投石機だったとは。

 今まで使用しなかったのは、そこそこに距離がないと利用価値がないからだ。更に怪しまれないように小型化してあるため、武器としてはそう大した威力もなく、致命傷にはならない。せいぜい隙を作って周囲をアシストするか、逃げるかするための武器だ。

 最大限に生かす場面を狙っていたのだ。


(馬鹿馬鹿しい……! なんなんだ、これは)


 こんなところで終わってしまうのかと、紳士は自問自答する。


 紳士はアマンダの剣を躱わしながら、一瞬空を仰いだ。

 柔らかな明るい色が重なり合う朝の空に、いまだ鳴り響く教会と見張り台の鐘の音。


 きっと仲間は来ない。


 この鐘の音は、そういうことなのだろう。


 そして鐘の音に混じって蹄の音がだんだん大きく響いてくる。

 土煙がどんどん大きくなって、あっという間にカルロたち選抜隊が向かってきていた。


(……ここまでか)


 見た目に似合わず、なかなか堅実なことだと紳士はふたりを評価した。

 セレスティーヌの奮闘虚しくもアマンダたちが安易に紳士へ切りかからない理由を、紳士もわかっている。

 周囲への危険がないようにアマンダもジェイも攻めあぐねているのだ。


 ましてや、やっと取り戻したセレスティーヌがいる。腕に覚えのあるふたりを狙うよりもセレスティーヌを傷つける方が簡単なことは言うまでもないので、ジェイは安易に離れることも出来ないのだ。


 このまま持久戦になればアマンダたちの有利になる。


 見えている急所を突いて、もしくは掻っ切って息の根を止めにこないのは、生け捕りにしたいからであろう。

 今まで犯した罪について詳しく調べ上げたいのか、それともセレスティーヌに残酷な場面を見せたくないのか。両方か。


(そこが甘いんだと知らしめてやる)


 紳士が最後の足掻きと、袖の隠しから手のひらへ小さな塊を幾つか移動させ、倉庫に向かって素早く投げ入れる。


 『しかめっ面』に貰った火薬玉だ。

 しかめっ面の故郷は隠密行動を生業とする者が多い珍しい地域だという。この火薬玉もそこで、子どもの頃に覚えたものだという。どういう仕掛けなのかは紳士には解らないが、強く衝撃を与えるとしばらくの間火を噴く仕掛けになっている。


 セレスティーヌを背に守るジェイが急いで紳士へ走り寄る。

 しかし、幾ら優れた身体能力だとしても届かない。隠しナイフを出す時間も惜しく、足元の小石を掴むと火薬玉に向かって投げつけた。


 幾つかが空中で弾ける。

 小さく爆ぜる乾いた音と煙が広がった。


 すり抜けた火薬玉が幾つか倉庫の破れた窓に吸い込まれて行き、同時に破裂音が聞こえてくる。

 倉庫の中には火薬が積まれている。誰にも気取られないよう、事前に運び込んでおいたものだ。そして縛られ見張られていたセレスティーヌからは見えない場所に油も撒いてある。


「気をつけろ!」


 アマンダが叫ぶ。


 セレスティーヌとジェイを気にかけつつも、どう動くか解らない紳士から目を離さずに打ち合う。

 紳士はギリギリとレイピアの柄で剣を受けながら、ニヤリと笑った。

 アマンダは眉を顰める。――まさか、と思うがそのまさかであろう。


「マズい、離れろ!」


 アマンダが言うや否や、ジェイが後ろへ戻り、セレスティーヌを強く引っ張って走り出す。


 一気にカタをつけようとアマンダが構え直した僅かな身体のズレを付くように紳士は足払いをし、同時に先ほどの危険な液体の入った瓶を勢いよくふたり、セレスティーヌとジェイの背に向かって投げつけた。


 アマンダは握っていた剣を投げてぶつけ、瓶を壊す。

 ジュッ! と耳障りな音をたてて大きな煙が発生した。


 その時、それがまるで合図であるかのように同時に倉庫から大きな爆発が起こる。


 爆発の地響きと爆風と共に、倉庫の壊れた荷物や木材が飛来して鈍い音をたてながら落ちては転がった。


 顔に破片が当たるのも構わずアマンダが顔を上げると、セレスティーヌを庇うように伏せるジェイの肩に、大きく赤い色が広がっているのが見えた。怪我をしたのだろう。

 アマンダは走り寄り、再び起こった爆発からふたりを守るように覆いかぶさった。


 紳士はその隙に海に向かって走り出した。崖から飛び降りるつもりだ。


 爆風に晒されながら、大きく足を踏み出す。

 ポケットから金貨が零れ、爆風に僅かに舞い上がり、キラキラと光りながら落ちて行く。


「させるか……っ!」


 全く勢いを緩めることなく駆けてきた馬から飛び降りたカルロが、紳士の腕に掴みかかる。勢いよく飛びかかったため、カルロの大きな身体も滑り落ちて行く。


『うきゅっ!!』


 同時にカルロの懐にいたキャロが大きくダイブし、手綱を握り締め大きく横へそれるように力いっぱい引っ張った。 

 馬は嘶きながら前脚を上げ勢いを削ぐ。

 振り落とされないように手綱にしがみつきながら、後方へと馬を誘導した。



 崖下へ吸い込まれて行く紳士の片手を掴んだカルロだが、捕まるものがないのでズルズルと滑り落ちそうになる。


「くっ!」


 爪が土と僅かな草を掴むが、指の間をじりじりと滑り抜けて行く。

 その近くを爆発で吹き飛ばされた幾つもの木っ端と小石が打ち付けた。


「マジか!」


 三人の騎士は、紳士を追いかけるように崖から落ちて行くカルロを見ては、次々に急いで馬上から飛び降りた。


 ひとりは急いで走り寄り、僅かに崖の縁を掴むカルロの腕を掴む。成人男性ふたり分の重さに、歯を食いしばる。


「ふたりを引き揚げろ! 爆風で目をやられんように気をつけろ!」


 ふたりも頷いて加勢する。


 崖の下には岩に叩きつけ白く泡立った波が生き物のように動いていた。

 黒い岩の上に小さな音を立てながら、金貨が吸い込まれるかのように落ちて行く。


「離せ!」


 がなるように紳士が叫ぶ。

 カルロの握る手を離させようと、紳士は藻搔く。


「嫌だ!」


 言い切るように叫ぶカルロは苦しそうだ。

 腕一本で成人男性を支えているのだ。挙句暴れられ、今にも腕が抜けそうであった。


 三人も唸り声をあげながらふたりを引き揚げて行く。


 再び小さく爆発が起こり風圧と熱風に目を瞑った時、紳士は隠しナイフでカルロの腕を深く刺した。


「ああっ!」


 悲痛な叫び声が響く。

 己の命を繋ぎ止めるために伸ばされた腕。紳士には自分を蝕み絡みつく鎖のように感じたのだろうか。握られた腕をまるで仇であるかのように深く突き刺す。


 カルロは歯を食いしばりながら離すまいと力を込めるが、どんどん感覚がなくなって行く。

 どう握ろうともカルロの腕に力が入らなくなった頃、紳士は再び渾身の力で振り払い、そのまま下へと落ちた。


「なっ!」


 もうひとりの騎士が素早く手を伸ばしたが、間に合わない。僅かに掠めることすら出来ずに指は空を握り、紳士は落ちて行った。


 ポケットに入っていた金貨が零れ舞うように朝日を浴び光る。

 それを掴むかのように、空中を掻くようにして紳士は落ちて行く。


 鈍い音がして、岩に叩きつけられた紳士が見えた。


 黒い岩の上に横たわる紳士。散らばる金貨。赤い血。

 それらをさらって行こうとする白い波。


 騎士たちは息を詰めて見つめた。

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