12 キャロの大冒険・後編
キャロを乗せたレトリバーは、闇の中を滑るように走り抜ける。
まるで風と一体になっているかのようだ。
『大丈夫かい?』
『……はい、何とか』
風圧で飛ばされないか、レトリバーは定期的に背中を振り返って確認した。キャロはキャロで振り落とされないようにしっかりと背中にしがみついている。
『さすがにずっと全速力とは行かないからねぇ。ちょっとでも時間を稼げるよう、近道を通るよ』
『お願いします!』
一刻も早くアマンダの下にたどり着くべきなのは明らかであるため、どんな道なのかも聞かずにふたつ返事で了承した。
『よく掴まっていておくれよ』
レトリバーは遠吠えをひと吠えすると、大きく踏み込んで直角に曲がる。そして再度大きく踏み込むと、まるで空中を飛んでいるかのように高くジャンプした。
(え、そっちは……)
確認する間もなく大きな家、お屋敷と言って良さそうな邸宅の塀を飛び越えた。
着地の衝撃に備えキャロは身体を低くして、殊更しっかりとレトリバーにしがみついた。
まるで我が物顔で広い庭を突っ切ると、侵入者に気づいた番犬が大きく吠える。その何声に呼応するかのように次々と大きな身体のグレートデンとシェパード、ボクサー犬が凄まじい勢いで吠えながら追ってくる。
総勢五頭だ。
『す、すみません~~~~! ちょっと通るだけですぅ!!』
キャロが大声で謝りながら後ろを向くと、大きな口が牙をむき出しで迫って来ていた。
(ひ~~~~~~!!)
ガチン、キャロの頭の上を堅いものがぶつかる音と共にボクサー犬の唾液が飛び散る。
思わず目を瞑って頭をレトリバーに押し付けると、ふわっと身体が浮き、再び空中を飛んでいるのだと気づく。
音も無く着地すると、スピードを緩めるでもなく再び走り出した。
『ははは! 奴ら塀の外には出れないから大丈夫だ』
レトリバーは楽しそうに笑う。
(笑いごとじゃないよ……)
薄く目を開けば、今度は山道に入って行く気配がした。
木の枝が容赦なく身体を叩いてくるので、再びキャロは身体を低くした。
しばらく走ると、今度は暗い湿ったほら穴を通り抜ける。
かなり湿度が高いのだろう、濃密な空気で満たされているのを感じる。そして何かが蠢く気配。
嫌な予感がしてキャロが薄目を開ければ、暗闇の中に赤く光る瞳が無数に浮かんで見えた。程なくして高い声を発しながら多数のコウモリが突然の侵入者に驚いて混乱するように羽ばたき始めた。
耳障りな鳴き声とバサバサという羽ばたき、大小様々なコウモリたちが至るところを縦横無尽に飛び回る。
(ぎゃぁあああぁぁ!)
鋭いかぎ爪に引っ搔かれないように身体を固くする。しばらく走ると清浄な空気を感じ目を開けた。ほら穴は貫通していたようで外へ抜けたのだ。
そしてそれからも猫の集会を突っ切って追いかけられたり、ぬるぬると緑色の何かで溢れる川べりを走り抜けた。
『大丈夫かい?』
途中休憩を挟みながらも、レトリバーは走り続けた。
『レトリバーさん、体力が凄いんですね……』
若干恨みがましそうな声でキャロが脚を讃える。
ずっとキャロを乗せたまま走り続けているのだ。きっと疲れていることだろう。
『まだまだ若いモンには負けんよ。老犬には老犬なりの戦い方があるのさ』
『……はぁ……』
納得が行かないような声で相槌を打つと、レトリバーは楽しそうに笑った。
『さぁ、ここを抜けたらリジエールだよ』
関所の門には太い閂が掛かっているため、少し遠回りをして山道を抜けた。
堅牢な城壁ではなく太い木の冊に替わる場所へキャロを案内した。人は通り抜けられないが、猫や小型犬であれば難なく通り抜けられるだろう。
レトリバーもちょっと苦労しながら大きな身体を無理やり押し込み、やっとのことでお尻を引き抜いた。
『イタタタ……さすがに大型犬には難儀だねぇ。ここからは私には案内出来ないが、飼い主の匂いは解りそうかい?』
今までの無茶が嘘だったように至極穏やかに、常識的な心配を口にした。
『はい、多分大丈夫だと思います』
チンチラもかなり鼻が利く。猫や犬と同等に匂いをかぎ分けられるといっていいだろう。
『よろしい』
レトリバーは満足気に頷くと、キャロの後ろにピタリとついた。
『元の街へ道案内が必要だろうからね。乗り掛かった舟だ、最後まで付き合うよ。さ、急ごうか』
骨付き肉の恩もあるしねぇと付け加えると、匂いに集中するように促した。
キャロは礼を言ってからフンフンと鼻を動かす。
アマンダの匂いはすぐに見つかった。焦っているのだろう、汗のにおいが混じっている。
(きっとセレスティーヌを心配して、街中走り回ったんだな……)
大きな身体で力も強く、ついでに奇怪な格好をしているアマンダだが、キャロはアマンダが嫌いではない。
どんなに心配しているかを想像しながら匂いを辿っていく。途中で彼の友人であるアンソニーとカルロの匂いも加わった。
『いそうかい?』
『はい。きっと飼い主の友人も合流して、もうひとりの飼い主を探しているかと。馬がいるはずなので……馬留に上等な馬がいる宿に滞在していると思います』
『なるほど、飼い主は貴族か裕福な平民なのだね』
『そうですね。あまり貴族っぽくない貴族ですが』
アマンダとセレスティーヌのふたりを思い起こしてキャロは苦笑いをした。
しばらくしてジェイの匂いも感じ、宿を順番にまわる。幾つか目の馬留をのぞいた時、見たことがある馬が目に入った。ジェイへの目印なのだろう、頭絡部にアンソニーの髪紐が結んでいるのが目に入る。
髪紐を確認したと同じくして、目を瞑って休んでいた馬がキャロに気づいて顔を上げた。そして小さく嘶く。
『キャロ! 無事だったのか!』
『ご心配かけました。攫われたセレスティーヌについて行ったのです』
『して、セレスティーヌ嬢は?』
もう一頭がセレスティーヌの姿を確認するように首を振った。
『無事ですが、悪人に捕まって閉じ込められているのです。逃げ出せないのでアマンダたちを案内するために僕だけ帰ってきました』
『そうか……おや、その御仁は?』
立ち去らず、ずっと静かにやり取りを見守っているレトリバーに気づいて三頭は長い首を傾げた。
『道が解らず困っているところを助けていただいて、ここまで連れて来てくださいました』
『おお、これはこれは。連れがご迷惑をかけました』
『いえいえ、年寄りのお節介ですよ』
丁寧に頭を下げる馬たちに、レトリバーは穏やかに笑って首を振った。
『さあ、一刻も早く殿下に報せて差し上げてくれ。見ていられない程に憔悴されている』
ジェイの馬が優しくキャロの身体を押しやった。
『わかった!』
キャロは小さく頭を下げると、小さな隙間を見つけては宿屋の中へと入って行った。
馬の言葉を聞いて、レトリバーが目を丸くした。
『殿下って……』
『あの子の飼い主のひとりはこの国の王太子殿下なのだよ』
ヒヒヒン、小さく笑った。
『……まあ、ちょっと奇抜な格好をしているがねぇ』
もう二頭も顔を見合わせては小さく苦笑した。