8 夢の国 前編
慣れない場所だからか、早く目が覚めた。
薄いカーテンは朝日を殆ど遮ることなく、その柔らかなドレープを壁へ床へと写し込んでいた。
ふたりは急いで身支度をすると、朝食を平らげては早々に宿屋を後にする。
元気な様子で朝の挨拶をするアマンダを見て、ホッとしたのは言うまでもない。
そしてドリームランドの近くの宿屋に出向き、夜の空き部屋をきちんと二つ確保しては、荷物を預けてドリームランドの真ん前にやって来た。
「ほわ~~~~~~っ!」
大きな門を開け放たれた中に、回廊のような白いアーチ型の柱と壁が見える。
くぐって前を向けば、煌びやかな、作りとしては小さな劇場が幾つかと沢山のお土産売り場が広がっていた。
「劇場はコンサート、ダンス、劇があるそうよ」
三十分ほどの演目を数種類、交代で公開しているらしい。
パンフレットを見ながら説明するアマンダに、物珍しいからか、きょろきょろと周りを見回すセレスティーヌは完全にお上りさん状態である。
「買い物は荷物になるから後でにしましょう? 何せ広いから気合入れて動かないと、回り切れないわよ!」
「はいっ!」
引率の保護者のようなアマンダの言葉に、セレスティーヌが鼻息荒く応えた。
年相応にはしゃぐ様子のセレスティーヌを見て、アマンダが考えるように小さく首を傾げた。
「アナタっていうのも味気ないし、セレスティーヌは長いから『セレ』って呼んでもいい?」
セレ。
極親しい人が呼ぶような愛称に、なぜだかセレスティーヌの頬が朱を掃く。
「……はい、大丈夫です」
ちょっとどぎまぎする心臓を隠すように、何度も頷く。
「じゃあ行きましょう、セレ」
そう言うと微笑んで、金の縦ロールのカツラを風に靡かせた。
少し離れた場所にはサーカスのテントが見える。その周辺にはアトラクションなのだろう、大きな船型のブランコや、籠がついた大きなシーソー、やたら大きな円を太い縄で釣り上げたものが並んでいた。
道の至る所で、曲芸をする大道芸人や見たこともない外国の楽器を演奏する人々、煌びやかな衣装で踊る踊り子、思い出にと言いながら筆を走らせる似顔絵描きが、思い思いに自らの芸を披露している。
「トロッコの乗り物が大人気なのよ。早く乗らないとすっっっごく並ぶから、先に乗っちゃいましょう!」
指差した方をみれば、かなりの傾斜がついた細い鉄製の道のようなものがうねっている。
(乗る……。あれを?)
岩山を模したのだろう、山の周りにうねうねとうねる鉄の道。
呆然とそれらを見遣った。
「ええ……?」
開園と同時に駆け込んだため、そこまで人は並んではいなかった。それでも数十人の人がすでに並んでおり、上へ上へと階段を上って行く。
現在乗っている人からは歓声と叫び声が入り混じって、周囲に響き渡っているではないか。
「だ、大丈夫なのですか?」
「うん。設計士だとか数学者だとか、色んな人が計算してギリギリに見えても安全に作られているのよ。何度も試運転をして毎日点検も厳重にされているの」
なので今まで無事故だとは言われたが……
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
轟音と共にすさまじい叫び声がこだました。思わず表情が固まる。
トロッコの側面に描かれたドリームランドのシンボルともいえる赤いイヌの絵の不釣り合いな程のにこやかな笑顔が、轟音と共に走り去って行く。
(ひぃぃぃぃっ!)
「じゃあ、その箱型の台車に乗ってくださいね。念の為に防具をつけてください」
係員に促されてトロッコと呼ばれている車輪のようなものがついたものに乗りこむ。真ん中にはレバーのようなハンドルのようなものが鎮座していた。
「早くしたい時にはこれを漕ぐといいですよ」
キコキコと音をたてながらそれを上下させた。車輪と連動しているのだそうで、速度があがるとのこと。
言い終わると、係員が手で台車の後方を押して動き出す。歩きから早歩き、そして走り出して次第にスピードがついて来る。
固い顔をしたセレスティーヌに笑顔を向けて帽子を取り、振った。手が離れたのだ。
「いってらっしゃい!」
緩い坂道になっている鉄の道――係員曰く『レール』というらしい――を、少しずつ速度を上げて走って行く。
「うわぁ……」
馬車のように軽快にレールの上を走るトロッコは、ガタゴトと音をたてながら動く。額に風を受けながら、建物の中に作られた凝ったセットを見遣った。
「岩窟とか採掘場の、荷物を運ぶ道具を乗り物にしたんですって。だから周りもそんなイメージにしてあるのねぇ」
「そうなのですね……」
感心したところで、屋外のむき出しになった場所に差し掛かる。午前中の爽やかな夏の風を受けて、清々しい青空にまるで飛んでいるかのような気分になった。
勢いがついたトロッコはその速度を打ち消すかのように、緩やかな登り坂になっている。
「気持ちいいですね、アマンダ様!」
「あら、怖くなさそうね?」
「はい!」
楽しそうなセレスティーヌにくすりと笑うと、アマンダはハンドルを漕ぎだした。セレスティーヌも反対側を持って一緒に漕ぐ。
波打つ様に登りと下りを繰り返すトロッコは結構高い。
「ここからは危ないので、漕がないでくださいね」
「はーい♡」
監視塔を模した小部屋に、さっきとは違う係員の人が待機していてそう言ってきた。アマンダが楽しそうに返答する。
「舌を嚙まないように口を閉じてください」
(え……)
そう言われて前を向いたとき。
目の前には真っ青な空が。
遠くに見渡せるドリームランドのシンボルだというお城、その周りの庭園。その他施設の全てと、その向こうでキラキラと光を反射する海が見えた。
出来れば、と続いた係員の声があっという間に後方に流れて行った。
「ぎぃゃぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
凄まじい風と重力、車輪が滑る轟音が聞こえる。そして叫び声。
トロッコは縦に横にと大きく揺れながら、先ほどまでとはまるで違う角度の坂を降下している。その勢いで再び高くまで勝手に続く坂を上り、一瞬止まると再び急降下する。
「ぎょぇぇぇぇぇぇぇっっ!!!!」
涙目になって奇声を発したセレスティーヌが、ギュッと瞳を閉じた。
「あはははは!」
大きく口を開けたアマンダが、楽しそうに笑っている。
『オネエ』は女性より女性らしいと聞くが、意外にも平気なのだろうか……とは、後で落ち着いてから考えたことであるが。
(こ、怖い……っ!)
多分安全なのだろうが、本当に!? と思う程の高さとスピードだ。
ごく一般的なご令嬢であるセレスティーヌは、固まったまま奇声を発するのみだ。
思わず何かに縋るようにやっと動いた手を宙に伸ばすと、アマンダが腕を引き寄せ、抱きかかえてくれる。
「そんなに怖いの?」
笑いを含んだ声にコクコクと頷くと、再び勢いよく急降下を始め、アマンダはひゅ~と口笛を吹いて笑った。
左手にセレスティーヌを抱え、右手で金のカツラを押える姿でトロッコの空の旅を楽しむと、片や恐怖で凍り付いた表情で、片や満足そうにご機嫌で降り口に到着した。
「大丈夫? 立てそう?」
「多分……」
生まれたての小鹿のようにフルフルと足が震える。
苦笑いをしたアマンダは手慣れたように膝裏に腕を入れると、あっという間に横抱きにした。
「お、姐さん力持ちだな!」
係員が囃し立てるようにそう言ってアマンダに笑いかける。
「アマンダ様、恥ずかしいです!」
焦ってじたばたするセレスティーヌに苦笑いをした。
「落としちゃうと危ないからじっとしてて。取り敢えず階段を下りるまで、ね」
自分で降りれないでしょう? と念を押される。
確かに、この状態で自力で階段を降りれるとは思わない。
後ろには降りる人が続いており、少しだけ離れたロープの張られた先には、これから乗り物を楽しむために並ぶ人が列をなしているのだ。素早くこの場を退く必要があるのである。
「スミマセン……」
そう言うと真っ赤な顔を隠すように、セレスティーヌは手のひらで顔を隠した。