7 忍び寄る手・前編
セレスティーヌは後ろ手に縛られたままでため息をついた。
大人しくしていたためか、目隠しの布は外されたのはありがたい。
(もしかすると、知っていると思しき場所を抜けたからかもしれないけれど)
馬車から見える景色は暗い。既に日が暮れ、窓の向こうの空には星たちが瞬き始めていた。
(どの辺りを走っているのかしら……)
暗い夜道に目を凝らしてみるが、どこまでも続く樹々が見えるだけだ。
宿場町を繋ぐような街道ではない、細い道を通っているのであろう。
走行距離はそこそその長さであるが、距離としてはそこまでではないと考えている。大きな街には検問のような場所が設けられ、時に念入りに、時に形ばかりに確認されるのだ。その辺りは管理代官や領主の性格によるところが大きいのであるが……特に領を出入りする際には門番のいる関所を通過することになっているが、そこを通ったのは一回だけである。足で越えるなら山道もなくはないが、馬車では流石に厳しい。
(念には念を入れて、移送経路を解らなくしようとしているのね)
万が一にも移動した道を覚えていられないようにと、真っすぐに移動せずにあちらこちらへと走っているのだと思われた。
(アマンダ様、きっと心配していらっしゃるはずだわ……)
きっと周辺を探し回っているに違いないと思い、申し訳なさにもう一度ため息をついた。
******
ジェイと別れた翌日、アマンダとセレスティーヌはオステンとディバインの境にある町へとやって来た。
本来ならその土地の名物や郷土料理に舌鼓を打つのであるが、ふたりは生まれ育った町が違うだけでオステンの出身である。名物と呼ばれるものがないわけではないが、離れてたった数か月。故郷の味が恋しいというには早すぎる帰還であった。
「この辺りでアンソニーたちを待ちましょうか」
「はい」
仕方ないと言わんばかりのアマンダへ、セレスティーヌが苦笑いをしながら頷いた。
何日後にやって来るのか解らない人間を待つのもどうなのかと思うが、珍しいほどにジェイが念を押すので、無視するのも大人気なく感じて従うことにしたのだ。
「その髪型も可愛らしいわね!」
いつもは肩と背中で揺れる黒髪が、すっきりと纏められていた。
セレスティーヌの弟ライアンから渡された包みを開けば、木を削って作った紐のついた小さな簪らしきものが出てきた。
器用に模様が彫り込まれており、ちゃんと先に丸みがつけていた。素朴ではあるものの皮膚を傷つけないように丁寧に作られており、愛情を感じられる髪飾りであった。
セレスティーヌはなぜだか微妙そうな表情で簪を見つめては、納得したように何かを呑み込み、黙って髪を纏めたのだった。
「寒くない?」
「大丈夫です」
そう言って微笑む表情も髪型が違うせいか新鮮で、アマンダは年甲斐もなく耳が熱く感じ、気づかれないように誤魔化し笑いをした。
クラウドホース領とフォルトゥナ領を跨いでの国宝(……を飾ってある額縁であるが)を狙った事件に関わったふたり。窃盗ばかりか、国宝に近づくためと盗むために、国宝の修復係であった彫師に目をつけた犯罪者たち。彫師のたった一人の家族である幼い孫息子を盾に脅し、仕事をさせた。
自分たちが安全に逃げるために彫師に怪我を負わせ、孫息子と一緒に建物へ放置し爆破し炎上させたのだ。
……今まで遭遇した問題とは違って一筋縄ではいかず、捕まえることは叶わなかった。そんな犯罪集団が相手ということで、周囲も心配していることが見てとれた。
「ちょっと飲み物でも買ってくるわ」
「私が参りますよ?」
アンソニーやカルロたちが王都を出る目途がついたなら、事前に知らせて来ることだろう。しかしなんの素振りも前触れもない。
時間はまだまだ、充分にあることだろう。
「いいわよ。どこか座るところでも探しておいて? ないようなら戻って来てね」
近くにベンチや広場があるかもしれない。
行く先々で、その地の領民たちが和やかに過ごす様子を確認するのは、ふたりのちょっとした楽しみのひとつであった。
「わかりました」
そんな、いつもの何気ないやり取りを交わしたのが最後になるとは。
アマンダを見送って、周囲に座れるような場所があるか確認していたセレスティーヌ。
あまり遠くに行き過ぎてもアマンダが困るので、遠目にわかる範囲で探すのが暗黙の了解になっていた。
なにやらムズがるような子どもの声がして振り返ると、路地に連れ込まれようとしている。一見親に叱られるか用事でも言いつけられて抵抗しているのかと思ったが、ふと服装が違うことに気が付いた。
人攫い、そう頭を過る。
周囲を見渡したがあいにくと近くに人はおらず、少し離れたところにいる人にはみな視界に入らないのか、素知らぬ振りであった。
咄嗟に助けに走ろうと身体が動くが、思いとどまる。アマンダの姿を探すが、かなり遠い。
(戻っていらっしゃるまで待っていたら連れていかれてしまう……!)
勢い任せに助けに入るのは簡単であるが、どう考えても男の力にはかなわないであろう。
押されるくらいで済めばいいが、自分を危険に晒したせいでアマンダまで危険が及ぶことは避けたい。
周囲を見回して武器になるようなものを捜すが、それも見当たらなかった。
(大声を出せば、誰か気づいてくれるに違いない)
怒鳴りながら近づいて行ったのなら、もしかしたらそのまま逃げて行くかも知れないし、近くの人間が取り押さえてくれるかもしれない。
腹に力を入れ大きく息を吸い込んだとき、後ろから手が伸び、口を塞がれた。
「……!?」
節くれだった指は、男の手だ。
「……おっと、声は出さないでもらおうか」
声を出そうとしたところをそれより早く断られる。セレスティーヌは後ろを振り向こうとするが、がっちりと身体を押えられている。
耳もとで低くも高くもない、これといった特徴のない男性の声が発せられた。
せめて顔を見ようと視線を後ろへと流すが、無駄な抵抗であった。
小柄なセレスティーヌはすっぽりと男の陰に隠れてしまうだろう。
「……手荒なことをしたくないんでね。大人しくついて来てもらおうか?」
言葉は疑問の形をとっているが、命令も同義であった。
子どもの無事な姿を確認しようと前を見ればとっくにいなくなっている。
「残念だったな。正義感の強いお嬢さん」
面白がるような素振りで鼻で笑う男に、苦い感情が胸いっぱいに広がっていく。
(……やられた……!)
連れ去りを装い、セレスティーヌをおびき寄せるための罠だったのだろう。
「さ、後ろを振り返らずに前に進め。妙な気は起こすな」
……物陰に隠れ男の身体に隠れ、街道から見えない状態で、離れた場所からは気づきようもない。
目印になるものを道に落とそうにも、手は後ろ手に纏めて握られている。
「……んん……!」
指の隙間から声を漏らそうと試みるが、更に強く力を込められただけであった。
「騒ぐな」
「…………」
セレスティーヌは素直に足を前に動かすことしか出来なかった。