5 旅立とう
子爵夫人がセレスティーヌに荷物を持たせようと共に席を外した際、ライアンが膝をついて正式な礼をとった。
「我が王国の未来の太陽たる王太子殿下に、タリス子爵家嫡男ライアン・タリスがご挨拶申し上げます」
年齢に似合わず落ち着いた、堂々たる口上だ。
打って変わってアマンダは、やっぱりと言いたげな、何とも言えない表情でライアン少年を見つめている。
「……正体を知っているのね」
子爵夫人も知っているのだろう。先程アマンダに呼びかける際、妙な間があったのは気のせいではないはずだ。
「すぐにご挨拶をせず失礼いたしました。……姉に正体を明かしていらっしゃらないとのことですので、ご無礼をいたしました」
「いいえ……こちらこそ不甲斐なくて申し訳ない……」
ジェイなのかアンソニーなのかが言ったのだろう。ふたりに向かって呪詛の言葉を念じながら、ライアンに気にしないようにと首と手を振る。
「…………なに故そのようなお姿を?」
市井に紛れるはずもなく却って目立つであろうに、そう言いたげだ。
互いに長い間を取りながら、どう言えばいいのか考えあぐねながら口を開いている。
「…………ちょっと混み入った事情があって」
そうでしょうね、と言わんばかりの視線で力強く頷かれた。
子どもに説明できるはずもなく、そう言ってアマンダはキュッと口を固く閉じた。
「……そうなのですね。失礼いたしました」
姉と一緒に旅をする人間がどういった人間なのか、気になるのであろう。
素性は判っていても、中身がどういう人間かまでは解らないのだ。
蓋を開けたら女装をして現れたので、その格好はどうしたんだと言いたいのであろうが。
しかし立場上根掘り葉掘り聞くわけにも行かず、ライアンは胡散臭そうな視線を隠さないまま、取り敢えず一歩引いた。
気になるだろうに、ちゃんと空気を読んで疑問を呑み込んだ。
(弟君の気持ちは理解出来るわ……)
そう思いながらアマンダは小さく頷いた。
とはいえ、ツッ込まれても正直困る。
「姉がいろいろとご面倒をお掛けするかと思いますが……しっかりしているのですが、変なところがズレておりますので……殿下にお願いをするなどというのは畏れ多いのですが、どうぞよろしくお願いいたします」
生真面目な表情で小さな頭を下げた。
中に何歳の人間が入っているのだと言いたいほどにしっかりしている。
「いえいえ。こちらこそよろしくお願いします」
アマンダは、余計なことを口走ると墓穴を掘りそうだと思い、王子とは思えない程の腰の低さで頭を下げた。
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「本当に良かったの? 久々に帰ったんだし、もう少しゆっくりしたらよかったのに……」
アマンダは気遣わしげな表情でセレスティーヌの表情を窺った。
セレスティーヌを屋敷に送った後、近隣の宿屋に宿泊する予定でいたのだ。
「お気遣いありがとうございます。ディバイン領に早く向かいたいですし……それに、長居をするとレイトン伯爵家の方々に遭遇しかねないので」
レイトン伯爵はユイットの町を収める管理代官である。その息子はセレスティーヌの元婚約者だ。全く仕事をしない放蕩息子だったが、管理代官の職は数年に一度の試験制度をクリアしなければ任を解かれることに変わったため、猛勉強をさせられているらしい。
管理代官はほぼ世襲制であったが、能力が高い人間に管理させるために制度を変えたのだ。
管理代官の職(補佐も含む)に関わる貴族で一定以上の年数を経たものは、全員試験を受けることになったのだ。成績優秀者――つまり管理・運営する知識と実務を兼ね備えた人間が管理代官に任命されるということに変わった。
ちゃんと仕事をしていれば、基本的には管理代官が有利なはずなのだそうであるが……
レイトン伯爵は手取り足取り、放蕩息子の訓練に明け暮れているのである。
そんな状況に加え、かつてその右腕を務めていたセレスティーヌの父が王宮で働くことになり、仕事を熟す人間が減り、なんだか大変なことになっているらしい。セレスティーヌが父親の仕事を手伝っていたことを知っているので、これ幸いと変に仕事を振られても困るのである。
それだけではない。
母に連れられてかつての自分の部屋に行けば、文机の上になぜだか多数の縁談の釣書が山のようにそびえ立っていたのだ。
セレスティーヌは我が目を疑った。
並べられている釣書を手に取れば、宛名には確かに自分の名が記されていた。
(……どういうこと?)
釣書と肖像画の山を見て首を傾げる。
とりあえず、そっとそれらを机の上の山に戻し、今はそれどころでないのですべて断ってもらうように母である子爵夫人にお願いをして、再び家を後にしたのだ。
アマンダが子爵夫人に、ジェイもしくはアンソニーに伝えればすぐに連絡が取れる旨を伝え、セレスティーヌは何やら弟のライアンから小包を渡されて、子爵家の人々に見送られて再び旅に戻ることになったのはつい先程だ。
「アマンダ様こそお屋敷に戻らなくていいのですか?」
久しぶりであることはお互い様である。アマンダの両親とて心配しているであろうというもの。
ところが、食い気味に口を開きながら首を振った。
「いーのいーの。帰ってもどうせ碌なことがないから」
本来ならもっと根気よく説得をするところであるが、セレスティーヌもさっきまでの自分の家でのあれこれを思えば、なるほど、そういうこともあるのかもしれないと納得をしたのである。
「それでは、次の宿場町まで急ぎましょう!」
「そうしましょ!」
ふたりは頷き合いながら、歩調を速めることにした。
日が暮れるまでに隣町に移動しなければならない。
『うきゅきゅ……』
アマンダの肩の上で、キャロが小さく首を振った。