4 団欒
遅くなりまして申し訳ございませんでした。
まるで嵐のようなジュリエッタの後ろ姿を見送ったあと、全員が顔を見合わせた。
「……随分元気な子ねぇ」
感心したように呟くアマンダの声に、セレスティーヌが苦笑いをする。
「ちょっと話し好きで……」
「ちょっと?」
姉の言葉にライアンが渋い顔と声を発した。異論があると言いたげな様子である。
「まあ、少々元気過ぎると申しますか……悪い娘ではないのですが」
裏表のないさっぱりした人柄だという子爵夫人の説明に、なるほどどアマンダは頷いた。確かに含むところなど全くないほどにあっけらかんとしているように見える。
「お食事は召し上がりましたか?」
子爵夫人がおっとりとアマンダに確認する。
大したものはないがという母の言葉に、ライアンが王太子殿下にあんなものやそんなものを食べさせていいのかという考えがよぎり、内心ハラハラしながら見つめていた。
「ありがとうございます、子爵夫人。どうぞお構いなく。セレは久しぶりなんだし、数日泊まって行ったら?」
『セレ』という呼び名に子爵夫人とライアンが瞳を瞬かせた。
勿論セレスティーヌのことであろう。
身上調査と事情説明に訪れたジェイから、侍女兼話し相手として旅に同行していると聞いた時には耳を疑ったものだが、なかなかどうして。数か月一緒に旅そしているからなのか、それとも事件や問題を解決しているからなのか……お互いの視線に信頼や労りといった感情が透けて見える。
「いえ、旅の途中ですし……」
「あら、別に大丈夫よ?」
コリンを人質に、彫師を仲間に引き入れた犯罪集団は今も逃走を続けている。
オステン領かディバイン領に向かっているのではないかという話であるが、捕縛したという声は聞こえて来ない。
自分が出向いたからといって何がどう変わるでもないことは承知しているが、少しとはいえ関わった身としては居ても立っても居られないという気持ちもある。
「先程ジュリエッタが言っていた『物騒』とはどういうことですか?」
「……噂なのだけれど、攫われた人が増えていると噂されているのよ。それ以外にもゴロツキに絡まれたとか、違法な品々を買わせられたという話も聞こえて来ているわ」
セレスティーヌとアマンダが顔を見合わせた。
アマンダの肩の上で腕を組んでいるキャロを、ライアンがまじまじと見つめている。
「例の事件と関連があるのでしょうか」
「うーん……ディバイン領は経済規模も人口も大きい領地だから、元々他の領地に比べて犯罪件数は多くなりがちなのよ。全てを奴らに結び付けるのは何とも言えないけど、時期が時期だけにねぇ」
子爵夫人は、難しい表情のセレスティーヌを見て内心苦笑いをした。
以前から非常に仕事熱心な娘である。時折様子を伝えてくれるジェイやアンソニーの話では、侍女というよりは文官の方が近い手伝いをしているのだという。
先日も娘が『さる重大なこと』を発見し、内密に中央の人間が動いているのだ。その仕事に自分の夫である子爵も巻き込まれていることは、子爵夫人も承知している。機密事項であるため夫人にも内容は知らされてはいないが、何らかの犯罪に関連しているということは察せられた。
(……殿下は私たちを気遣って、セレスティーヌを滞在させようと思っていらっしゃるのね)
先に進みたいセレスティーヌと、家族の時間をと考えているアマンダ。
家族を思い、黙って屋敷を飛び出したセレスティーヌ。悪漢に絡まれているところをアマンダに助けられたとジェイから聞いて肝が冷えた。
王太子殿下の侍女という破格の待遇であるが、男女がふたりきりで旅をすると聞いて複雑な心境であったが、勿論立場上否といえる筈もない。
しかし目の前で実際に見て見れば、アマンダがセレスティーヌを大事に思っていることが解り過ぎるほどに感じられた。無体なことなどされよう筈もなく、身分差など関係なく尊重し合った関係なのであろう。
(……殿下がなぜ女装されているのかは解りませんが……世を忍ぶ仮の姿とジェイ様はおっしゃっていましたが、逆効果のような気がしますが……)
並みの男性より大柄で逞しいアマンダが女装をしていると、喜劇かコメディエンヌかという風貌に感じられた。忍びようにも忍ばないと思うのは自分だけなのだろうかと首を傾げた。
「それでは、お弁当を用意いたしますわ」
そう言って壁に控えるハンナに目配せをする。了解したと頷いて部屋を出て行った。
アマンダとセレスティーヌが子爵夫人の顔を見る。
「あなたはお仕事に夢中になると、他のことに目は向かないのですものね?」
くすくすと笑う。
久々の家族との再会よりも仕事なのかと言われているようで、セレスティーヌは複雑そうな仕事人間な父親たちと同じような表情をした。
「アマ……ンダ様。かように視野が狭くなりがちな娘ではありますが、仕事に対して並々ならぬ責任と意欲を持っております。真面目で一生懸命取り組める人間であることは確かでございますので、どうぞよろしくお願いいたします」
子爵夫人が深々と頭を下げた。アマンダが背筋を伸ばす。
「こちらこそ、いつも新しい視点に助けられています。お嬢様をお借りいたします」
王太子とは思えない程に深く頭を下げた。
(なるほど……殿下は姉さまを好いているのか)
ライアンはアマンダをしみじみと観察する。
姉も憎からず想っているようであるが、アマンダの気持ちの方が大きいように見える。
王太子なのだから尊大にも勝手にも振舞って問題ないだろうに。貴族とは名ばかりの弱小貴族である姉にも母にも丁寧に対応する姿に、惚れた男の誠実さを感じる。
……顔立ちは男らしい美丈夫と言って問題ないだろう。あちこちに掲げられている肖像画などを見た時の印象とはだいぶ違った風貌であるが。
(女装は取り敢えずどっかに置いておいて、もっと華奢で優し気な姿だった気がするけどな)
肖像画は『見せたい姿』が描かれているともいえる。
数年前に描かれた肖像画は、即位したばかりの新王を強く大きく見せたいが為に、王妃は優し気な表情に、アマンダはもっと華奢で中性的に描かれていた。
誇張せずとも王も大柄であるのだが、アマンダがそれに輪をかけて逞しかったのだ。
(どっちにしろ前途多難だなぁ)
そう考えていると、アマンダの肩から降りたキャロがちょこちょことライアンの下に近づいてくる。
「……可愛い……これは殿、いえ、アマンダ様のペットですか?」
思わず殿下と言おうとして誤魔化した。
「ううん。セレがマロニエアーブル領で懐かれたのよ、ね?」
自分を見上げる表情が呑気そうで、どことなくセレスティーヌに似ており、ライアンは思わず笑いそうになる。
「おやつあげてみる?」
そう言うとアマンダは懐からナッツを出し、ライアンに渡す。
「……食べるかな?」
手のひらのうえにおいてみると、ふんふんとライアンの手のひらをひとしきり嗅いでから、小さな手にとって口へ運んだ。
「うわぁ! 食べてる!」
普段は冷静でシニカルな子どもらしくない子どもであるライアンであるが、嬉しそうに頬を紅潮させる姿は年相応の男の子に見える。
可愛いと可愛いの共演である。全員が表情を緩ませた。
「そっと撫でても大丈夫だよ」
促されてそっと背中を撫でれば、滑るような毛並みと生き物の温かい体温が伝わってきた。
「……姉様をよろしくね」
小さく呟くと、キャロは食べる手を止め、つぶらな黒い瞳をライアンに向けた。