3 ジュリエッタ
ジュリエッタ、そう呼ばれた彼女はセレスティーヌの親友だ。
セレスティーヌとは違い、オシャレと恋愛に命を懸ける女性であるが、それ程趣味嗜好に共通点が見いだせないながらも仲の良いふたりであった。
「セレスティーヌが歩いているって聞いて、馬車から飛び降りて来たのよ!」
まるで淑女とは思えない表情と大きな声とでそう言うと、勢いよく抱きしめる。
「……馬車から飛び降りて来たの? 大丈夫なの?」
ひとりで乗っていたのか、誰かと乗っていたのか……願わくばひとりでありますようにと祈るセレスティーヌだ。
田舎町はプライベートなんてないに等しい。
先日婚約を破棄され家を出たご令嬢が出戻って(旅の途中で立ち寄っただけであるが)道を歩いているとなれば、すぐに情報は広がる。
特に広い情報網を持つ彼女ならばあっという間であろう。
「あのクソ野郎、今じゃ泣きながら仕事させられてるわよ!」
全く悪びれる様子もなく淑女とは思えない言葉を発しては、楽しそうに笑った。
「……『ダニエル様』よ」
子爵夫人がジュリエッタに釘を刺す。セレスティーヌと同じ家格である彼女の身分は子爵令嬢である。
……言っても無駄であろうことは子爵夫人も充分理解しているが、ライアンとアマンダの手前、言わずにはいられなかったのであろう。
「あの手紙読んでめっちゃ腹立ったから、周りにぜーんぶぶちまけてやったわ!」
セレスティーヌが家を出る時に詳細を記した手紙を二通出したのだが、そのうちのひとつがジュリエッタ宛てだ。
流石にドン引いた良識あるご令嬢・ご令息の面々は、ダニエルから一線を引いたのだという。更には親世代の人々にも悪行が一から十まで知られることとなり、表面上は変わりなく過ごしているものの、苦言を呈されることが増えた。
なかなかに居心地の悪いことになっているのだという。
更に先日行われた試験で、本来ならばセレスティーヌの父であるタリス子爵が管理代官に任命されるべきところを、優秀だったので王宮に召し抱えられることになった。
仕方がないとはいえ、レイトン伯爵もダニエルも面目丸つぶれな状態といっていいだろう。
「……ありがとう。お陰でダニエルも心を入れ替えることが出来たみたいね」
「お安い御用よ! でもいきなり家を出て行ってびっくりしたのよ」
「ごめんなさいね……レイトン伯爵はお人柄自体は悪い方ではないのだけれど、ダニエルに甘いから……」
婚約者がありながら不貞を働いたダニエルだったが、色々と外聞が悪いということで事を大きくせず、有耶無耶な感じ――しばらく親戚の屋敷で静養したらどうだろうかと勧められたのだ。つまりは静かに身を引き、自分達の前から消えるように提案されたので、否を突き付けたのである。
その後は公証役人を呼び、更には社交に余念のないジュリエッタと、もうひとり平民の情報網と顔の広さは半端でない雑貨店のおばさんに託したのだ。
「いい気味よね……って、そう言えばあなた大出世じゃない!」
話が飛ぶのはいつものことだが、流石に話がつながらないので首を傾げた。
(…………。アマンダ様の侍女をしているって意味かしら)
行儀見習いを兼ねて、王宮や超高位貴族の家へ働きに出ることはままある。
「春からは伯爵令嬢でしょう? もうアイツに家格がどうとか言われる筋合いないわね」
「……え?」
伯爵令嬢。
思ってもみない言葉にセレスティーヌは、母と弟を見た。
ふたりは何とも言えない表情で頷く。
……ついでにライアンはアマンダの顔を見るのも忘れなかった。多分、この人が働きかけたに違いない、と思っている。実際はそれ以外に王と王妃、更にはフォレット侯爵夫妻にグレンヴィル伯爵夫人といった面々の猛プッシュがあったりなかったりするのだが、ライアン少年がそんな事を知る由もない。
アマンダはニコニコしながら、キャロと共に我関せずという表情で壁、ないしピンク色の柱と化している。
「どうしてそのようなことに……」
「無自覚なのですね」
ライアンがじっとりした瞳で姉を見遣る。
「あなたが盗賊団捕獲の手助けや地方活性化、その他(国宝の件)の働きを認められたことに加えお父様が身を粉にして尽力されてることを鑑みて、陞爵されることになったのよ」
怪訝そうなセレスティーヌに、子爵夫人は困ったような様子で答えた。
「当たり前のことをしただけで、特にそのようなご配慮を賜るのはとお断りしたのですけどねぇ」
ならば金銀領地をと言いながらとんでもない書類を渡されたので、子爵が震えながら陞爵を受けることにしたのである。
「そんな……」
「評価されることをしたんだから、貰っておけばいいわよ」
気後れるセレスティーヌに、当然だとアマンダが口を開く。
「働きに対してちゃんと正当に評価しないと、後の人が困るわよ。頑張ってもご褒美も評価もなかったらモチベーションなくなっちゃうわ」
「うわ、デッカッ!」
ジュリエッタが大声で叫びながらたじろいだ。
これまた全く淑女らしくない言葉遣いと動きに、セレスティーヌとは別の意味で縁遠そうなご令嬢だったりする。
「…………うん?」
ジュリエッタは青い目を眇めると、食い入るようにまじまじとアマンダの顔を眺めている。
「……どこかで見たことがあるような気が……?」
アマンダは慌てて視線を斜め上に向けながら鼻の下を伸ばし、顔が解らないように(?)誤魔化す。肩に乗っていたキャロが、慌ててプリッとしたおしりで口元を隠す。
「ジュリ姉、馬車は大丈夫なのですか?」
すかさずライアンが合いの手を入れる。もうひとりの姉ともいえる関係性を現すかのように、ライアンは彼女を『ジュリ姉』と呼ぶのだ。
「どちらかに向かう予定だったのでは?」
おっとりと子爵夫人が訊ねる。
「マズい! そうだったわ!」
バタバタと走り出しながら後ろを振り返った。
「セレスティーヌはいつまでいるの?」
「すぐにディバインに発つと思うわ」
眉を下げるセレスティーヌに明るく笑いかける。
「そう! ゆっくり話せないのは残念だけど、元気そうな顔が見れてよかった!」
「……わたしもよ」
「ディバインでも存分に暴れちゃって! 最近いろいろ物騒だって聞くから気をつけてね!」
そう言って何か小さな包みを放って寄越した。
セレスティーヌがキャッチすると、大きく手を振って走って行く。
「バイバイ! またね!」
「ありがとう」
手を振り返しながら、相変わらずの親友の様子に苦笑いをするセレスティーヌ。
何とか正体がバレなかった(?)アマンダと、誤魔化せた子爵夫人とライアン、そしてキャロが大きく息を吐いたのであった。