37 雲海を見る
こちらのお話で第三章完結です。
お付き合いいただきましてありがとうございました。
最終章は3月12日開始予定です。
そちらも合わせまして宜しくお願いいたします!
一行は早朝……いや、夜明け前の山道を登っていた。
標高はそれなりに高そうだが、思ったよりも道は緩やかなカーブを描いている。
「……セレ、大丈夫?」
気遣わし気にアマンダが顔を覗き込んだ。
普段から剣を振り回す体力自慢達は、セレスティーヌを心配してゆっくりとしたペースで上って行く。
「大丈夫です」
やや息を切らしながら返事をする。
緩いとはいえ長い坂を上っているため全くきつく無いと言えば嘘になるが、しんどいと言うほどでもない。
元々貴族とは名ばかりで使用人に混じり家の仕事なども行ない、普通のご令嬢に比べれば体力はあるほうだ。更にアマンダと旅をするにあたり徒歩で移動することも多く、より体力がついたようだとセレスティーヌは考えている。
「本来はかなり高い標高じゃないと見えないらしいんだけど、地形と気象条件さえ揃えばそこまで高くなくても見えるんだそうよ」
晩秋の山は冷える。秋というよりは冬と言った方がいいような空気の冷たさだ。
常緑樹や草の緑、そして土の匂いが濃密な空気と共深く満ちている。秋が深まるにつれ湿度が低くなりがちだが、天気によっては湿度が高くなる。湿度が高い故に山の香りは濃密に感じた。
「高い湿度の夜、放射冷却によって地表面が冷え、それによって空気が冷やされていく。更に風の流れがない場合、冷えた空気はその場に留まり、さらに冷却され続ける。……やがて空気中の水分が飽和し霧となって発生する。雲が出来るわけだ」
アンソニーの説明に、へえ~、と相槌を打つのはカルロだ。
「条件さえそろえば一年中見れるらしいけど、秋から春にかけてが多いらしいの。せっかくフォルトゥナに来たんだから是非とも見て行かないとね!」
アマンダはそう言ってセレスティーヌに笑顔を向けた。
この旅行で、アマンダはセレスティーヌに沢山の美しい景色を見て、美味しいものを食べて、楽しい体験をして欲しいと思っている。
見るまでに山を登るという、なかなかにハードな条件を熟さないといけないのだが、その土地ならではの景色を一緒に見たいと思っていたのだ。
(……本当はふたりきりで見る筈だったのだけどね……)
加えてキャロであるが。
更にどういう訳か、隠密と護衛騎士と副官まで一緒に同行する羽目になったのである。
暫く行けば、急に視界が開けた。
小高い山の頂上に出たのだ。
薄暗い夜明け前の山肌から雲が立ち上り、視界の下には真っ白な雲が広がっている。
(……なるほど。裾野を覆い隠すような一面の雲は、確かに海みたいだわ)
全員が並んで眼下を見下ろした時、空が白み始めた。
先程まで瞬いていた星は空に溶け、山脈に沿うように空が柔らかな東雲色に変わっていく。そして朝の空を切り裂くかのように、眩しい日の光が力強く周囲を照らし出した。
山と雲の間から姿を現した太陽が、ゆっくりと昇っていく。
夜が明けた。
夜の欠片を溶かしたかのような薄紫に、陽の金色。先の春を思わせる桃色。
波打つような白い雲が空の色を写し取るかのように、刻々と色を変化させていく様を、全員がそれぞれに無言で目に焼き付けた。
******
彫師はコリンを起こさぬよう、そっと起き上がった。
年齢のせいなのか慣れない環境のせいか、最近は早く目が覚めることが多い。
まだ痛みが残る足を注意深く庇いながら道具の手入れを行う。
ふと窓の外を見上げれば、薄明かりが洩れる部屋の窓が目に入る。王の執務室だ。
(また徹夜なさったのか……)
明るく人を食ったような振る舞いとは裏腹に、本来は生真面目で努力家な人物らしい。そう思いながら彫師は、姿勢を正し、ゆっくりと頭を下げて祈りを捧げる。この国の人々と、そんな民を守る人々のために。
最近の朝の日課である。
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旅装束を纏った男がひとり、街道を歩いていた。
珍しいと言いたいところであるが、寝床へ向かう獣を狙う狩人や急ぎで荷物を配達する者など、それなりに薄暗い道を急ぐ者は存在する。……そう見せかけて、脛に傷を持つ者たちなのかもしれない。男と同じように。
誰も彼もが足早に、無言で道を通り過ぎて行く。
力強い日の光を立ち止まって見上げた男は帽子を深く被り直すと、前を見据えしっかりとした足取りで再び歩き始めた。
行き先はディバイン領。先に到着しているであろう仲間と落ち合うためである。
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「本当にここで大丈夫なのか?」
アンソニーが眉を寄せながら確認する。
「街道へ出れば滅多な事は出来ないから大丈夫よ」
アマンダは旅行カバンを手に頷いた。
カルロも心配そうにアマンダとセレスティーヌを交互に見遣る。
報告と状況の確認のため一度職場へ戻るのだが、関わった犯罪者たちが狡猾なため、友人兼側近としては心配が絶えないのであろう。
一度王宮へ戻ってはどうかと提言されたが、戻ったが最後、アマンダは再び外へ出れないような気がするのは気のせいなのか。
それに犯罪集団の者たちの動向も気にかかる。
「アマンダ様は早くお嬢様とふたりで旅がしたいんですよ、ね?」
ジェイが揶揄うように言う。
「なっ!?」
表情を尖らせたアマンダに、アンソニーとカルロが生温かい視線を送る。
「これからオステン領に入るのに、アンソニーと一緒にいたら目立つでしょ!」
「お前のその格好の方が目立つぞ」
「……まあまあ」
睨み合う幼馴染たちの間に入ったカルロが、苦笑いをしながらやんわりと止めた。
子どもの頃からの関係性をみるようで微笑ましいと思いながら、セレスティーヌは三人を見た。
「……せっかくの綺麗な景色なのに、ゴツイ野郎ばっかりになっちゃってゴメンね」
決して粗雑に扱ったつもりはないが、たった一人女の子ということと、高位貴族に挟まれて気苦労だったことだろうとカルロがセレスティーヌを気遣う。
「本当よ……」
ぼやいたアマンダ。それを受けてニヤニヤとするジェイと無表情なアンソニーが並んでいる。
「いいえ。皆さんと見れて嬉しかったです!」
綺麗なものや美味しいものを誰かと共有するのは嬉しいことだ。
本心からの言葉を口にしてにこにこするセレスティーヌに、アマンダ以外がこれまた生温かい視線を送った。
「……だそうだ」
フン、と鼻で笑いながらアンソニーが言う。
鼻で笑われたアマンダはアンソニーを睨みながら、恨めしそうに口を開く。
「本当にセレはいい子よ」
うんうん、とジェイとカルロ、そしてキャロが頷いた。
セレスティーヌは首を傾げる。
「取り敢えず、お前は男の格好に戻った方が目立たないぞ」
「余計なお世話よ」
相変わらずのふたりに、ジェイが口を開いた。
「アンソニー様も心配なら素直にそう言ったらいいんですよ? アマンダ様も解ってるんだから素直に聞いてあげればいいじゃないですか?」
カルロとセレスティーヌは苦笑いをした。
「タリス嬢はいい子みたいだね」
カルロがアンソニーに微笑む。
ふたりして先程見送ったご令嬢の姿と友人の姿を思い起こす。
「そうだな。……国中の貴族令嬢を城に呼んで、奴と顔合わせをするべきだった」
もう少し早く出会っていたならば、友人兼主である幼馴染が迷走することも無かったであろうと思う。
「……まあ、人間タイミングがあるからねぇ」
仮に出会っていたとして、同じような気持ちを持つかどうかは解らない。
(とは言え、やっぱり気に入って友人になって互いの人となりを知って、同じような気持ちに行きつくのかなぁ……)
そう思いながらカルロは首を傾げた。
「…………。早いところ報告その他を片付けて合流するぞ。放っておくとあのふたりは、どんな厄介事に引っ掛かるか解らんからな」
何だかんだで面倒見のいいアンソニーが、仏頂面で素直ではない言葉を放つ。
カルロは内心、確かにと同意した。
遠くへ行く前に追い付いた方が心労も労働も少ないであろうと納得し、ふたりは帰城を急ぐことにした。
お読みいただきましてありがとうございます。
次回は3/12予定となります。
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