001 ご馳走
ーー愛してるわーー
暗闇。そして静寂。
そこで初めて触れたのは、この言葉だった。
何、今の声。
う~ん、もうちょっと寝てたいのになぁ。
そんなことを思いながら、重い瞼を開けた私は、ある強烈な感覚に襲われた。
飢餓感。
とにかくお腹が空いていた。
何でもいい、食べたい。
何かないの? このままだと私、死んじゃうよ。
口の中にたまる唾液。もうひと時も我慢出来ない。
今すぐこの欲求を満たしたい。
うつぶせになっていた私は、体を起こそうとした。
その時何かに、体を押さえつけられた。
何?
と言うかこの感触。ひょっとして、誰か乗ってる?
重みに耐えて体を起こすと、少しだけど状況がつかめた。
目の前に広がる光景。
それは何かに群がっている、たくさんの私たちだった。
私の上に乗っていた彼らも、次々と進んでいく。
何があるんだろう。
私は体を起こし、彼らに続いた。
彼らと同じく、まだ眠っている私たちをかき分けて。
そして私は辿り着いた。
食べ物に。
たくさんの私たちは、巨大な肉に群がっていた。
耳に聞こえる咀嚼音。
そう。みんな、肉にむさぼりついていた。
牙を立て、噛みちぎる。
噴き出した血が、彼らの体を赤く染める。
まるでゾンビ映画だ。
結構ドン引きなんだけど。この光景。
でも私は、気が付けば彼らと行動を共にしていた。
何でこんなことをしてるのか、思考が追い付かない。
だけどひとつだけ、分かってることがあった。
これを食べないと、私は死ぬということ。
私は口を限界まで開き、肉に噛みついた。
プチッと肉のちぎれる音と共に、口内に血と肉の味が広がる。
――何これ! 無茶苦茶美味しいんだけど!
一口サイズの肉を飲み込むと、もう止まらなかった。
私は夢中で、目の前の肉をむさぼった。
途中、後ろからやってきた私たちが、場所を譲れとばかりに割り込んで来た。
私は威嚇し、払いのけ、ただひたすらにむさぼった。
だって美味しいんだもん。
こんな美味しい肉、初めてなんだから。
押し寄せて来る彼らと戦いながら、私は最高のご馳走を心ゆくまで味わった。
充分に満たされた私は、そこで初めて自分の場所を譲った。
後に続く私たちが、その場所を巡って争う。
そりゃそうだよね。
こんなご馳走、そうそう食べられるものじゃないんだから。
ほんと、美味しかった。
みんなも食べられるといいね。
ついさっきまで、誰にも譲る気なんてなかったのに。
単純だな、私って。
そう思いながら、そこで初めて、今の状況について考えた。
――ここって一体、何なんだろう。
暗くてよく見えないけど、どうやら私は、洞窟の様な場所で目覚めたようだった。
遥か向こうに光が見える。
あそこまで行けば、ここがどこなのか分かるかも知れない。
でも、今じゃない気がした。
よく分からないけど、それが正解だと思った。
少し離れた場所に陣取った私は、ご馳走に群がっている私たちを見つめた。
……私たち?
さっきから私、何を言ってるんだろう。
私、誰?
と言うか、ここって何? どこなの?
巨大なご馳走に群がる私たち。
私って、彼らと同じなの?
薄暗い洞窟の中、鏡なんて立派な物はなさそうだ。
私は彼らを観察した。
改めて見ると本当、すごい光景だな。
ゾンビ映画でも、流石にここまではしないんじゃないかな。絶対規制がかかりそう。
肉をむさぼる彼らの姿は、正に獣そのものだ。
でもついさっきまで、私もあの場所にいたんだ。
そして彼らのように、狂ったように肉を食べていた。
全身血に塗れながら。
恍惚な笑みを浮かべながら。
彼らはまるで、芋虫のような姿をしていた。
私、虫は苦手なんだよね。
触ったこともないし。
しかも幼虫だなんて、見ただけで悲鳴ものだよ。
でも多分、今の私は芋虫なんだ。
彼らの姿を見つめながら、私はちょっとだけ憂鬱な気分になった。
食事を終えた私たちが、次々と壁際に移動して来る。
まだ食べられていない私たちが、たくさんいる。
ご馳走は……ああ、流石に小さくなってきたな。
ちゃんと全員行き届くのかな。
壁に着いた彼らは、一人ずつ寄り掛かり動きを止めていった。
何が始まるんだろう。
しばらくすると、彼らの体から糸のような物が出て来た。
細くて白い糸。
それは薄暗い洞窟の中でも、凄く綺麗な物だと分かった。
キラキラと輝いている。
糸はゆっくりと、彼らの体を包んでいった。
ああ、そうか。
そうすればいいんだな。
私も彼らに倣い、壁に寄り掛かった。
何も考えなくてよかった。
体から出て来た糸は、ゆっくりと、そして優しく私を包んでいった。
意識が遠のいていく。
でも今、とても穏やかな気持ちだ。
お母さんに抱きしめられてるみたい。
絶望の悲鳴が聞こえる。
まだ食事にありつけていない、彼らの叫びだ。
お腹が空き過ぎて、変になっちゃったのかな。
でもそれも、まあいっかって思った。
私じゃなくてよかった。
お腹いっぱい食べられてよかった。
目が覚めた場所が、ご馳走の近くでよかった。
そんなことを思っている内に、私の意識は薄れていった。