勘定合ってヒモ足らず。3
お久しぶりです。
一年ぶりに再開です。とはいえ、不定期でのんびり書いていきますので、ゆっくりお付き合いしてくださると嬉しいです。
変装の出来具合に感心していたものの、あの祝賀会で出会った華族学院の令嬢たちに対面した場合、バレはしないかと少しばかりは気になっていた。だからできる限り静かに、目立たないようにと樟陽の後に続いて教室へと入る。
けれどもその心配は全くの杞憂だった。
「エリギラードの美術様式についてざっくりとお話しましたが、何か質問はございますか?」
樟陽が言葉を発すると、教室内のところどころで「きゃあ」と黄色い声が上がる。
そこに樟陽は、少し困ったような、それで照れたようにはにかんだ顔を見せる。すると女生徒たちはさらに喜んだ。
相も変わらず女性の扱いが上手いわね。中身は変態なのに、よくもまあ皆騙されるものだわ……。
この程度ではにかむような男ではないが、こういった気質の方が今時の女性に受けるのだと、樟陽が自慢げに言っていた事を思い出す。しかし、それに反して、男子生徒は随分と附子くれている。
華族学院の芸術授業は普通とは違い、男女七歳にして席を同じうせずの原則から外れるのか、男女同室で授業が進められていた。
おそらくこの授業くらいがまともに異性と机を並べて受けられるのだろう。本来なら自分たちが受けるはずの視線をひとりじめにする樟陽がわずらわしくて仕方がないといった様子だ。
……確かに鼻の下を伸ばしている樟陽の顔は人を苛つかせるわね。
なぜだか軽いムカつきを覚えた。しかし、樟陽にはこのまま彼女たちから「悪役令嬢」の噂の元を聞き出してもらわなければならない。
私は彼らの方をあえて無視して、樟陽が女学生にいいようにからかわれている姿を眺めていた。
「まいー……いや、花山さん。申し訳ありませんが、少々お待ちいただけますか?僕は彼女たちと少し話がありますので」
「いいえ、沼田先生。私はその間にこちらを図書室へ返してきますわ」
授業が終わると早速まとわりつく女学生の間を掻き分け、樟陽の手から資料の分厚い本を受け取る。慌てる樟陽を振り切り、私はそのまま教室を出た。
雨が本格的に降り出してしまう前に帰りたいので、ここは二手に分かれて片付ける方が効率的だ。
それに、こうして彼女たちの樟陽に向ける黄色い声を聞いているだけでなんとなくモヤモヤする。
……はあ、なんだろう。年なのかしら?
不快な気持ちを払い捨てるように、足早に廊下を進み図書室を目指す。
華族学院の敷地は広く、教室と各施設は別棟になっているので、一度一階の渡り廊下まで出なければならなかった。
ぽつぽつと雨音が聞こえ始めるなか、さて図書室はどこだったかしら? と思い出しながらきょろきょろ見回していたところ、ふいに腕を取られた。
「きゃっ!」
驚き、声をあげたがすぐに手を摑まれ渡り廊下から外へと引きずり出される。
そのまま庭木の陰にまで連れていかれると固い塀に押しつけられた。背中にピリッとした痛みが走る。
「……あなたたち、これは一体何なのかしら?」
目の前に並ぶのは、華族学院の制服を身に着けた少年たち。ネクタイにジャケットというハイカラな制服は、今し方まで樟陽が教えていた生徒たちだ。後方の席で彼らの姿を見た覚えがある。
「お、結構生意気じゃない?」
「平民が、俺たち華族に向かって『あなたたち』とはなあ。驚きだ」
じりじりと間合いを詰めながら薄笑いを私に向ける。どうやら彼らは臨時講師が連れてきた平民の手伝いをからかおうとしているようだった。
確かに、こんなこと普通は華族子女がするような仕事ではない。私だって樟陽がこんな手を使って入り込む真似をしなければ髪を染めてまでしなかっただろう。
けれども、たとえ私が華族でなく平民だったとしても、こんなふうに一人対多人数で、しかも男性に囲まれるいわれはない。
「……こちらは勉学の場と心得ております。“——身分にかかわらず、学問の徒は須く平等であるべし”とは、今上帝の学令発布のお言葉にもございますから」
皇太孫殿下が通う華族学院で巫山戯たことをしているんじゃないわよ。という私なりの皮肉なのだが伝わっただろうか。
これが樟陽ならば「では平等ですね」と言いながら、へらへら笑って手を握りにくるくらいのことはしそうだけれど……。
いえ、そもそも彼は人を肩書きでは差別はしない。明確な区別はしても、蔑みいたぶるような真似はしないだろう。むしろ……。
私の言葉に決まりが悪くなったのだろう。少年たちは横を向いたり口を尖らしたりと、もうすっかりとやる気をなくしたらしい。
よかった。彼らは馬鹿でもなければ無謀でもなかった。ほっと息をつくと、図書室へ資料を返さなければならないことを思い出す。
「あら、本はどこに……」
いつの間にか落としてしまった本を捜すために後を振り向いた。すると——。
「……しょ、樟陽?」
大きく口を開け、犬歯をむき出しにして笑う樟陽の姿がそこにあった。
……あ、駄目。この笑顔は、まずーいっ!!