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馬に乗るともヒモに乗るな。3

 はりきる樟陽(しょうよう)は私の止める声も聞かず、早々に約束をいくつか取り付けてきた。


 その内の一つ、本日樟陽に連れてこられたのは、美壽見(みすみ)伯爵家の若奥様が主催する、新しい詩作を温室の花と一緒に楽しむ会だった。


「まあ! なかなか美しい(しつら)えね。小さな噴水まであるわ」


 硝子から入る陽光で、噴水から飛び出る水の大玉がキラキラと輝き、温室の花々を彩っている。


「温室には“水乃気(みずのけ)“の者を専用に雇い入れていますの」


 わざわざ異能力者を雇用しているだけあって、それは立派な温室である。

 私の感嘆の声に応えるように、美壽見伯爵家の若奥様が教えてくれた。


 私とはそう大きく歳が離れているわけではないが、結婚という一大事を済ませているだけあって落ち着いた物腰のご婦人だ。

 招待客の皆さんも品のいい訪問着に身を包み、詩の朗読が始まるまで花々の香りを堪能している。


 若奥様方の好みそうな新進気鋭の詩人とやらならば、多分甘甘な詩作に違いない。

 古典文学でないのならば芸術に疎い私でもなんとかついていける。

 後は感想会という名のお茶会で「悪役令嬢」とやらの噂を否定していけばいいだろう。


 少しだけ気を楽にして案内された一番後ろの隅っこの席に着くと、隣の椅子から早速声が掛かった。


「はじめまして、ごきげんよう。私、八坂辻(やさかつじ)と申しますの。あの、お名前を伺っても?」


 下がり眉をさらにへにょりと下げ、おっとりとした口調で尋ねてきたのは、若奥様と言うには少しばかり年齢がいった奥様だった。


「八坂辻様、ごきげんよう。華妙院家の苺子と申します」


「随分とお若いお嬢様ね。本日はご一緒に楽しみましょう」


 私の挨拶に、にこにこと笑顔で言葉を返す。

 少しも値踏みするような態度も見せないということは、意外と噂は浸透していないということなのだろうか。

 それともわかっていてのこの態度だろうか?

 もしそうだとしたらそのあたりが祝賀会の時に一方的に糾弾してきた若いお嬢様たちとの経験の差といったところだけれども。


 しかし、私……楽しむほど詩に興味がないのよね。


 さてどうやって会話を続けようかしらと首を捻っていると、遅れてきた樟陽がさりげなく私の隣の椅子に座った。


「八坂辻男爵の奥様。今日は風緑くんが新しい恋の詩を披露するようですよ?」


「あらあら、まあまあ! 生天目(なまため)様もいらっしゃっていたのね。それは楽しみが増えましたわ! ……でも、生天目様の朗読はございませんの?」


 八坂辻奥様の瞳がキラリと輝き、先ほどまでの優しげな顔が一瞬で肉食獣に変わった。


「あはは。今日の所は一聴衆としておとなしくしています。……ねえ?」


 そう言うと樟陽は私を上目遣いで見上げた。

 奥様といえば「まあ、本当に? 勿体ないわ」と、未だ納得のいっていない様子で何度も樟陽に視線を送っていた。


 ……いったいこの樟陽は、普段どこで何しているのよ⁉ 勉強をしなさいよ、勉強を!


 また今年も留年か? という頭の痛くなるような状況に溜息を吐く。

 そんな私のことなど全く意に介さず、樟陽は伝え聞いたことを私の耳元でへらへらと話し出した。


「ところで、この美壽見伯爵家には華族学院に通われているご令嬢がいるという話ですが、これがまた義理姉妹となる若奥様と大変仲が悪いそうです! 笑えますね。苺子お嬢様、これは好機ですよ!」


「笑えないわよっ!」


 とはいえ、敵の敵は味方という言葉は大概正しい。


 本日の主催を上手く味方につけて、奥様方から私のちゃんとした様子を見せることができれば「悪役令嬢」などというふざけた噂も一笑できるかもしれない。


 うーん。これならなんとかいけそうかも?


 などとつい楽観し始めたが、そうは簡単に問屋が卸さないのが世の常だった。……いや、樟陽の通常というべきか。


 パリッと仕立てた礼装姿の若き詩人に続き、いつの間にか主催の美壽見伯爵若奥様に最前列まで連れ出された樟陽。

 彼によって花の戯れのように朗読される外国の愛の詩に、若奥様達の目が色めきだした。

 勿論お隣に座る八坂辻の奥様など「こっち向いて!」と視線をばしばし送っている。


 なんだか樟陽の背中に薔薇が見えるんだけど気のせいだろうか?

 うん。あれも一つの才能なんだろうなー……。


 などと感心しながら、私はこっそりとお茶請けの花ぼうろを口にした。


 そんな朗読が終わると、きゃあきゃあと女学生のようにはしゃぐ彼女たちに目もくれず、樟陽は私の側に走り寄り手を取った。


「苺子お嬢様。俺の朗読、いかがでしたか? 失敗しませんでしたよ。今日こそは褒めてくださいね」


「んはっ⁉」


 褒めるも何も、初めて聞いたよ。樟陽の朗読なんて。


「あ、そうだ! ご褒美をください。どうせなら新しいコレが欲しいんです」


 そう言って、樟陽は首元のタイをするりとほどいて伸ばす。

 左手で首元をぎゅっと摘まみ、右手でタイの端を掴む姿は首輪とヒモだ。どう見ても誤解を招く。


「え……なんか、やだ……」


「ええー、そんなあ。俺もいつまでもシロさんのお古っていうのはねえ。随分型も崩れてきましたし、第一シロさんの白い毛並みには似合うけれど、俺にはちょっと色味が合わないと思うんですよ。だから、ね」


 可愛くコテンと首を傾けているがちょっと待ってほしい。

 それではまるで私が樟陽の首に本当にヒモを付けているみたいではないか。


「あの……生天目様、そのシロというのは?」


「もしかして……」


 明らかに誤解した若奥様たちが、おそるおそる樟陽に尋ねる。隣の八坂辻の奥様の目が怖い。


「ああ、シロさんはですね、華妙院家にお世話になっていて、白い毛並みとヒゲが自慢なんです。凜々しくて、とても格好いいんですよ」


 ヒュンっと場の気温が一気に下がる。若奥様方の視線が氷のように冷え冷えになって私に突き刺ささった。


 違う、違う! シロさんこと城山(しろやま)耕作(こうさく)六十三歳は、白髪とヒゲを綺麗になでつけ、粋に洋装を着こなす華妙院家直営の洋食店料理長だ。犬じゃないっ!


「あの、ですね……」


 私が急いで訂正しようとするも、誰も顔を見合わせてくれない。


「……犬」「首輪……」「ヒモ……」「やっぱり……噂の」などという不穏な言葉が漏れ出すとともに、皆草履の音をずりずりずりっと立てながら後ろに下がっていく。


「ですから、ね」


「……ええと、本日の詩作の会は、これにて解散といたしますわ。その、皆様……おひきとりいただけますでしょう、か?」


 誤解を解く間も与えられず、美壽見の若奥様に追いだされてしまった……。




 帰りの路面電車の中、「残念でしたね」と下手くそな慰めの言葉を吐く樟陽にぶち切れた私は、思いっきりその頭をひっぱたいた。


「樟陽ー……。あんた、今日の趣旨忘れてない? 一体、何してくれるのよっ⁉」


「おかしいな。上手に朗読できた俺にご褒美をくださる、お優しい苺子お嬢様を演出したはずだったんですが……」


「嘘をつくな! 嘘をーっ!」


 そう叫ぶ私の姿がまた人目に晒され、「ヒモを罵る悪役令嬢」と噂が回ったことは言うまでもない。少し泣いた。


 そして後日、美壽見伯爵家では若奥様とご令嬢の冷戦が「悪役令嬢」への悪口という共通の話題を介し、少しずつ改善されていったという話を聞き、また泣いた。


 悔しいが、敵の敵は味方というのは本当に正しい。つくづくそう思った。


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