馬に乗るともヒモに乗るな。1
「本当にとんでもない噂になったことだね、苺子様」
華妙院家へやってきた、皇都女学院の同窓生であり親友でもある神無月琉卯子が口を開くや否やそう言い出した。
「……樟陽よ。言っとくけど、半分はあいつのせいだから」
私がそう答えると「相変わらずだねえ」と、いつもと同じような少しすましたような声で笑う。
そこに「え、本当ですか?」とでも言いたげな樟陽が、目をぱちくりとさせながらお茶を差し出した。
私からすると、今回の婚約破棄に限って言えば、ほぼ樟陽のせいだと思っている。
がしかし、いくら樟陽の背中の炎を消さなければと慌てたとしても、踏みつけるべきではなかったのも事実だ。
仮にも華族と言う肩書を持つ、それもいい歳をした娘がすることではなかったと、そこだけはいたく反省している。
……だから半分は受け持ったというのに、張本人の樟陽が全く気にかけていないってどういうことよ!
「お客様にお茶を出したくらいで反省しているつもり? 樟陽のせいで私の婚約がなくなったんでしょうに。あと、噂! どうせ私が暴力を振るったとか、そんな話になっているんでしょう?」
なんといっても、あれだけ大勢の前で婚約破棄を宣言されたのだ。多少の噂は仕方がない。
あの後私は早々に祝賀会を退出し、以来自戒の意味で経営している商店にも顔を出すことを止めている。
けれども、噂は私の斜め上を今もなお暴走中らしい。
「確かにひどいね。『苺子様は稀代の悪役令嬢だ。飼っているヒモに首輪を付けて足蹴にして喜んでいる』と、あの中身なしの瓢箪男が吹聴していると聞いたよ」
「ぶぁっ⁉」
琉卯子の言葉に、私はお茶を吹き出した。中性的な見た目に少年のような言葉遣いの琉卯子は、飄々と子爵家の三男を瓢箪などと切って捨てた。
そして樟陽は本当にどうでもいいことにだけ引っ掛かっている。
「苺子お嬢様……飼っているヒモってなんでしょうねえ」
「いやそれはあんた以外いないでしょ、樟陽」
私のヒモではないけれど。ヒモのような書生なのでそこは大して間違っていない。踏みつけたのも事実であるし、タイも引っ張った。
……けど絶対に喜んではない。むしろ、喜んだのは樟陽だって!
「え、ちょっと待って。また、その悪役令嬢? 何なの? 祝賀会でも私にそう言ってきた令嬢がいたけど……。結局あのまま急いで帰ってしまったせいで、全くわからずじまいだわ」
「最近少女小説の雑誌がいくつか発刊されて流行だしているだろう? 女学院の生徒たちは勿論のこと、華族のご令嬢方にも人気を博しているそうだよ。そこからじゃないかな? なんでも、愛し合う主人公をしつこく邪魔して回る令嬢のことを指しているとか」
「……よく知っているわね」
「少し前に女学院の子たちに聞いたことがあったんだよ」
琉卯子は女学院を卒業後、師範学校にて教師になるための勉強をしているので、女学院の生徒たちと未だに交流があるそうだ。
そうでなくとも在学中も年下の女学生から、よく待ち伏せされ手紙をもらっていたっけ。
「少女小説、ね……。そういえば桃子の部屋にもあったような気がするわ。でもどう考えても私は誰の恋路も邪魔はしたことはないけれど?」
尋常小学校は別として女学院へ入学してからというもの、私が婚約者の鉤狛玲人や華妙院家の奉公人以外の男性と顔を合わせることは非常に稀であった。
一体、誰を、どう、邪魔するというのだろうか。
「あれじゃないですか? 親王殿下と桃子様、華族学院内でもかなり雰囲気がいいらしいって、最近なにかと話題になり始めたみたいです。まあ他にも、大臣のご令孫とか、将校のご子息なんかの話もちらほらあったらしいですけど」
「ああ、私も聞いたよ。桃子様が皇太孫親王殿下のお后候補だと」
「はっ⁉ え、待ってちょうだい。話題に、って……そんな、あれこれ? 本当に? しかも私が殿下に横恋慕をしていると? まさかそんな、考えるだけでも恐れ多いことを」
「苺子お嬢様が帰った後で、ちゃっかり桃子様が殿下とダンスを踊ったことがまた噂に勢いづけたようですね。そうでなくても桃子様は”風乃気”をお持ちですから」
手のひらからじわりと汗がにじみ出る。あの思い出すだけで頭の痛くなる婚約破棄の後で、そんなことになっていたなど知らなかった。
「う、嘘……。桃子が……殿下と……まさか、ねえ?」