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ヒモにひかれて婚約破棄。3

樟陽(しょうよう)ぉ……私が何に怒っているか、あんた当然わかっているでしょうね」


 引っ張られたタイを直す樟陽を後ろに従えて、私は人気のない露台(バルコニー)へと向かった。そうしてグッと睨みつける。ただでさえ怖がられる目つきがよりいっそう細められ、人相が悪くなるのが気になるが、樟陽相手にはこれくらいしなければわからない。


「ええー、そうですねえ。……あ、俺が勝手に入り込んだと思ってます? 違いますよ。先ほどの高田井子爵夫人に同伴役がいないからどうしてもと粘られまして」


「どうせまた、未亡人にいい顔してお小遣いでももらっているんでしょう? そうではなくて……」


「だったら? ああ、ドレスの件でしょうか? いや、俺もびっくりしました。流行というものは恐ろしいものです。つい先年までは、ドレスでダンスなど恥ずかしいなどと皆さんおしゃっていられたのに……ねえ、苺子(まいこ)お嬢様?」


 グッと息を詰める。

 流行を売る立場の商人としては間違っているのを知っていながら、コルセットを必要とするドレスなど着たいとは全く思っていなかった。

 そもそも私は洋装が苦手なのだ。だからこそ樟陽の助言にこれ幸いとほいほい乗り、振り袖姿で参加した。


「まあね、んっん。それもいいのよ、それはね。いえ、だから」


「ではなんでしょう? あれ、これ、さて、んん?」


 ひい、ふう、みい、とわざとらしく指折り数を数える樟陽にイラつきキレた私は、帯から末広を引き抜くと思いっきり樟陽の頭をひっぱたいてやった。


「だから、あんた、再来週は、帝皇大の前期試験でしょう! 遊んでいる暇はないはずよ。また留年する気じゃないでしょうね? いつまでうちに学費を払わせるつもりなのっ!?」


「ははは、やっぱり? それですかあ」


「早く帰って勉強しなさいよ! そして今度こそ卒業しなさい!」


「大丈夫ですって。もうね、ばっちりです! 目を瞑って試験受けてもかまいませんよ」


「目は開けて受けなさーいっ!」


 ああもう、頭から湯気が出そうだ。

 末広であと三発叩いてやったが、痛い、痛いと全く痛くもなさそうな顔で頭を撫でる樟陽。


「痛た、た……あ、そうそう。随分ご令嬢方とお話が弾んでいたようですが、お友達増えましたか? 苺子お嬢様。見たところ、ちょっとばかしお嬢様にはお若いご令嬢のような気もしましたが」


「え、んん? 弾んで……というのかしらね、あれを? なんといえば……ねえ、樟陽。悪役令嬢って、知っている?」


「悪役令嬢、ですか? いいえ、知りませんが。またなんとも芝居がかった言葉ですねえ」


「そうなのよ。しかも彼女たち、私に向かってそう言ってきたの」


 悪役と冠がついているのならばあまり良い意味でないことはわかるが、初めて聞いた言葉が気にはなっていた。


「まだ金貸し令嬢と言われた方がわかるのだけれど」


 三つ子の魂どころか、十の歳まで金貸しの娘として育ってきたため、ついそちらのほうへと考えがいってしまう。


「お嬢様……さすがに金貸しは廃業したんで。それにほら、今はさすがに華妙院家をそう呼ぶ者はそういませんよ」


 私の生家、華妙院家は男爵位を叙爵してからまだ日が浅い。ほんの十二、三年ほど前までは主に金貸し業を生業としていた。


 ――金座銀座の蔵よりも 小判ザクザク荷妙院(かみょういん)


 などと、市井の子どもが節にのせて歌うほどには金貸し荷妙院家は有名だった。

 有り余る資金を元手に、そこからありとあらゆる商売に進出して成功を収め、十年前に男爵に叙爵されることとなり、華妙院と名を変えた。典型的な成金華族様である。


 小学校に上がる前から荒っぽい言葉で怒鳴りながら取り立てに走る手代や、泣きつき門扉に張りつきすがる債務者たち、人力車を追い回し人でなしと罵る母子を見てきた私には、自分が華族令嬢だという自覚がいま一つ足りていない。

 ものごころつく頃から華族令嬢として育てられてきた妹の桃子(ももこ)とは違い、未だ金貸しの娘という気持ちの方が大きかった。


 私は二人姉妹の長女であるが、そもそも華妙院男爵家を継ぐのは妹の桃子とすでに決まっている。

 だが、商売のほうは違う。桃子は広告塔になりえても商才はない。だから私は適当な三男坊を婚約者に据えて分家におさまり、桃子を支えていく心づもりなのだ。


「そうね。家には()()()()()から、わざわざ家を貶めるようなことは言わないわよね」


 桃子の名を口にすれば、自然と可愛い妹のふんわりとした笑顔が浮かぶ。

 姉様、姉様と、私を慕う桃子は今年十四になり先日社交のお披露目を果したばかりだ。そして、華妙院男爵家を正しく継ぐべき跡取り娘でもある。


 だから今日も一緒にこの祝賀会へ参加しに来たのだが――。


「嫌だわ……そういえば、桃子が化粧室から戻ってきていないわね」


「桃子様? どうせご友人方につかまってお喋りをしているのでしょう。あんまり気にしなくて大丈夫じゃないですか?」


「それでもあまりにも遅いもの。急いで探さないと」


 樟陽が言うように、桃子はその愛らしい様子と人当たりの良い性格で、非常に人気者であると知っていた。

 しかも平民の為の女学院に通っていた私とは違い、小等部から華族学院に籍を置く桃子の友人ならば、この場にも多く参加しているだろう。

 けれどもまだまだ十四歳という若さだ。なにか間違いでもあってはいけないと、父親の華妙院男爵からも特にと念を押されていた。


「仕方がないですねえ。苺子お嬢様がそうおっしゃるのならば、俺もお手伝いいたしますよ」


「当たり前でしょう。樟陽、あなたどこの誰のお陰でその年まで大学へ通えていると思っているの?」


「ええー、それは勿論……おや、なんだか騒がしくなっていますよ」


「え?」


 耳を澄ますまでもなく、大広間のざわめきの広がりが露台(バルコニー)にまで伝わってきた。

 何事が起ったのかと硝子(ガラス)へ張りついたものの、大広間側に立つ背の高い紳士たちが邪魔で中が見えない。

 声をかけてどいてもらおうにも、硝子越しの上に皆が大広間の真ん中に視線を向けたまま話に夢中で、露台から中をうかがうに私には一切気がつく様子もない。

 ぴょんぴょんと、踵を上げて背伸びしてみても同じだ。


「なにやってるんですか? 狐みたいですよ。まあ可愛らしいことですが」


「私の目が細いからって、いちいち嫌味を言うんじゃないわよ。仕方がないでしょう、見えないのだから」


 私の華族令嬢らしからぬ答えに樟陽は、ぷはっと笑うとその場に膝をついた。


「苺子お嬢様、ほら」


 そう言うと、そのまま両手をついて突然四つん這いの格好になる。


「……なにをしているの、樟陽⁉」


「なにって……見えないんでしょう? 俺に乗ったらいいじゃないですか、昔みたいに。せっかくお嬢様の為に踏み台になったんだから」


 確かに私は樟陽が華妙院家に来たばかりの頃に一度、手の届かない柿の実を取ろうとして踏み台になってもらったことがあった。しかし十歳の時に一度きりだ。


「やらないわよ。この歳になってまで」


「ええー……どうせほら、もうこうして膝も汚れちゃいましたから、思う存分踏みつけてください。ぎゅっ、ぎゅっと、ねえ」


「いやよ。絶対に乗らないからっ……て、この変態!」


 それは嬉しそうに、踏んでくれとのたまう樟陽。

 私が当然のように断ると、なぜか四つん這いになっていた樟陽がぶるりと震え、その背中から炎がパフっと立ち上がった。


「なっ…………」


「あ、興奮しちゃった」


「な、な、なにをやってるの? こんな場所で、なんで自分に“火乃気(ひのけ)”使っちゃっているのよ⁉ あんた馬鹿なの? え、え、あっ!」


 続けてパフ、パフと礼服の背中に増える炎。

 いくらこの炎が樟陽自身の“火乃気”の力だとしても、いつまでも放っておけば樟陽が火だるまになってしまう。


 周りを見回したが、火を消すことのできるようなものは露台には何もない。ただでさえこの“火乃気”は消えにくいのだ。

 このままではらちが明かない。私は覚悟を決めて、草履で樟陽の背中をげしげしっと力いっぱい何度も踏みつけた。


「苺子お嬢様、その調子です。あ、あ。あの、もう少し下の方を踏んでくれません?」


「うるさい! 奇人! 変人!」


 一踏みごとに喜ぶ樟陽とは反対に、恥辱で泣きそうになる。

 そんな思いまでしてなんとか最後の炎を消したというのに、ホッと一息ついたその時、私は婚約者の玲人とかち合ってしまった。


 そうして、冒頭に戻るのだった。あの、婚約破棄の場へと――。


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