隣のヒモは青い。1
人々が行き交う銀座の路面を走る鉄道電車。
『そういえばもう馬車鉄道ではなくなったのよね』と思いながら、銀座通りの路肩を歩いていた。
私の一歩前には艶やかな振り袖に白いレースの飾りが付いた手袋を付け、同じ柄のレースの日傘をクルクルと回しながら笑う一甫。
昨日交わした〝銀座へ遊びに〟という約束どおり、早速銀座まで足を伸ばしたのだけれども、そこはそれやはり相手が一甫なだけに全てが約束のとおりというわけではなかった。
「路面電車というものはこうして見ているとなんだか箱が動いているようで風情というものがないものね」
「いえいえ、一甫様。あれこそが近代化というものですよ。かのように馬も人力も使わず移動ができるなど画期的ではありませんか」
シャツに袴という和洋折衷姿の青年が、一甫の横を陣取りまるで自分の手柄のように鉄道電車の紹介をしている。
私には全く見覚えのない青年だが、一甫と連れ立って来たところをみるに、最初から一緒に銀座へ来るつもりだったのだろう。
はてさて、二人で遊びに行きましょうというお誘いはいったいなんだったのだろうか?
いや、二人だけでとは言ってなかったか。
「流石は神風の国、我らが日乃原皇国。どの国にも先駆けての帝都鉄道電車。英明決断であります」
得意満面といった様子で語っているが、別に青年が皇国の代表のようにして自慢することではない。第一、鉄道電車の開通はエーゲレスや西合衆国の方が先のはずだ。
以前、私が琉卯子から聞いた話によると、皇国内では京都や名古屋にも負けていると思う。確か申請が通らなかっただとか。
続くガス灯が電灯にとって変わられるなど、どうたらこうたらという内容も既知の話だった。
琉卯子は一見すると冷たそうな印象ではあるのだが、実は結構な話し好きで教えただ。
質問さえすれば大抵のことは教えてくれる。たとえ知らないことでも誰かに聞くなり書物を読むなりしてきっちりと向き合ってくれた。
……そういえば樟陽はそれとは逆よね。
どうでもいいことは進んで話をしてくるわりには、私が聞きたいと尋ねることにはのらりくらりと話を躱す。
そう正に今回の銀座への道行きがそうだった。
だいたい樟陽が断るから、一甫の言葉に釣られてしまったじゃないの……!
今彼のことを思い出すだけでイライラしてしまう。銀座へ着いてから寸刻しかたっていないというのにすでに帰りたい気持ちでいっぱいだ。
そう思いながら一甫の方をうかがうと、彼女は青年の話に相づちを打ちながら、「武秋様はよくご存じですのね。やはり帝皇大学を首席で卒業なされただけはありますわ」と言っていた。
え、嘘っ⁉ 待って、その程度で首席卒業できるの?
自慢話が入り交じった、ほとんど意味のない話。しかも三分の一ほどは完全に間違っている。
これが首席……?
驚きを隠せず口をあんぐりと開けていると、何を勘違いしたのか青年は一甫越しにしたり顔で私へと声を掛けてきた。
「帝皇大首席が珍しいので?」
「……え、あの。ええ。とても素晴らしい成績ですのね?」
「ははっ、とんでもない。この程度のこと自慢にもなりません」
「ふふふ。武秋様はね、ただいま弁護士試験を勉強なさっているの」
どうやら杉浦家ではこの武秋という青年の後見をしているようだ。
これからの時代を生き抜く商家としてはお抱えの弁護士がいたほうがいいに決まっている。だが、
「そんな勉強の時間を割いて、今日はわたくしたちに付き合ってくださっているのよ」
有難いと思って頂戴。と言わんばかりの一甫の上から目線にげっそりとさせられる。
「いえいえ。杉浦家のお嬢様のご要望とあれば、自分はどこへでもお供する所存です。何なりと申しつけてください」
大げさに手を振り、一甫へと差し出す。
それを口元に手を置き、まあ! と、恥じらうような仕草を見せた。但し、チラリとこちらを見てほくそ笑むことは忘れずに。
あ、これを見せたかったのね。
この茶番のような会話を聞かされるためにわざわざ銀座へやって来たのかと思うと時間の無駄としか思えない。本当に今すぐ帰りたい。
はあ。と、吐き出した溜め息も、直ぐ横で走る鉄道電車の音に掻き消されてしまった。
しかしその音にも負けないほど大きな声でまた自慢話が始まり出す。
「しかしまあ帝皇大を卒業してしまうと話の通じる相手が少ないのが残念ではありますね。またあの頃のように一晩中学問を語り合いのですが、なかなか」
いや聞いてないし。
でもこれが首席で、樟陽が卒業もできない留年男とは……樟陽ぉ、どれだけ勉強ができないのよっ!
なんだかもう怒りを通り越して呆れてくる。
去年だって、法科首席のご友人に教えてもらったから大丈夫だと、あれほど大口を叩いていたにもかかわらず、結局留年したのだ。
……そういえば、樟陽から件のご友人は法科だと聞かされた。けれども、あら、確か……?
私は相変わらず鼻を高くしてこちらを見下ろしている青年に声を掛けた。
「あの……帝皇大法科の卒業生は皆、無試験で弁護士資格が取得できるのだとお聞きしたのですが?」