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ヒモの心と秋の空。3

 ここへきて、よもやの心変わり。


 まさに〝男心と秋の空〟と言わんばかりのあの日の樟陽の裏切りを思い出すたびに、私はイライラムカムカと頭のてっぺんが煮えくりかえる――。


『ちょ、ちょっと、樟陽(しょうよう)。なんでやめておくのよ。さっきはあれほど銀座へ行く気満々だったじゃない』


 私の服を新調するだのなんだのといって張り切っていた。にもかかわらず、この手のひら返しはないでしょうと問いただすと、樟陽は両手のひらを上に向けて肩を竦めた。


『いや逆に聞きますが、何でそんなすごく怪しい男に苺子(まいこ)お嬢様が会いに行かなきゃならないんですか? 意味ないでしょ。我が主と呼んでも相応しい……かもしれない苺子お嬢様に危ない真似はさせられませーん』

『……あ、ちょ……待って』


 ――安全第一ですよ。じゃ、そういうことで~。


 私が呼び止める声も聞き流し、それだけ言うと樟陽はその場からあっという間にいなくなってしまったのだ。

 そしてその後、十日経った今日になっても華妙院家に戻ってくる様子は全くない。


 樟陽が家にも帰らず他所の寝床を渡り歩くこと自体は昔からよくあった。

 ちょこちょこちょっかいをかけてきたかと思えば突然消え、気がつけばひと月ほど姿を見ないなーなどと思うこともざらだった。

 むしろ〝悪役令嬢〟の噂がたち、婚約破棄された日からこちら、ずっと私の側に付いていたことのほうが稀だったのだ。


 アレでも一応は私のことを気にかけていたのだろう。

 しかしだからといってこのあしらいは納得できない。あれだけこっちを振り回しておいて、いざ私が本気で噂を振りまいている男を捜しにいきたいといったら、コレだ。


 ……本当に、あんのぉ、裏切り者ぉーっ!!


 小間物屋の店先を掃く箒を持つ手についつい力が入る。

 バッサバッサと勢いのまま箒を動かしていると、横を通るご婦人の咳き込みが聞こえ、掃くというよりもむしろ土埃をたててしまっていることに気がつき、私は慌ててその手を止めた。


 いけない、いけない。お客様に迷惑をかけるだなんて、あってはならないことよ。


 私は後ろを振り返り、屋根に掛かった〝小間物屋かみょう〟の古めかしい看板を仰ぎ見た。


 高祖父が初めて開いたこの小間物屋は華妙院家の原点である。

 順調に財をなして男爵家などと名乗っているが、それもこれも構えの小さいこの店から初まった商いからだ。

 大店が多い表通りから一本裏のこの通り、今でこそ賑わいをましているけれども開店当時は人気も少なく、ころころとお店が変わることも少なくなかったという

 そこを高祖父の商才により表通りの大店にも匹敵するほどのお店へと成長させたのだ。現在の華妙院家があるのも全てはここから。


 だからこそ大事にしなければならない。


 そうでなくても〝悪役令嬢〟の噂と風邪のせいでしばらくどの店の様子を見に行くことができなかったのだ。

 ようやく屋敷から一番近いこの小間物屋へ寄ることができたというのに、邪魔になるようならば本末転倒でしかないではないか。


「商売繁盛。お客様第一。商売繁盛、お客様第一……」


 家訓を唱えながら掃除を続けるも、どうにも樟陽に対するモヤモヤがなくなってくれない。

 箒はもう片付け、道路に水を撒いたら帳簿の確認でもしよう。数字を見て心を落ち着けさせれば何か良い考えが思い浮かぶかもしれない。


 そうしてぼうっとしたまま手桶に汲んだ水を柄杓に取り、店の前に撒き初めたところで「きゃっ」という女性の声で我に返った。


「も、申し訳ございません! 水がかかりましたでしょうか?」


 なんという失態!


 慌てて袂の中から手巾を取り出し、女性へと手渡そうとしたところ、クスリと鼻で笑うような声が聞こえた。


「いいえ、大丈夫でしてよ。ごきげんよう、苺子様」

「え?」


 今日の私は木綿の小袖に雪駄。髪も軽く結い上げて手ぬぐいで隠している。このいかにも下働きといった姿だけで私のことを〝苺子様〟と呼ぶということは……。


一甫(かずほ)様……ええと、ごきげんよう?」


 幼馴染みである杉浦家の一甫が煌びやかな絹の振り袖姿で私の前に立ち止まった。


 彼女ならば納得だ。表通りにお店を構える大商家杉浦家の長女で、私とは尋常小学校から皇都女学院までの同窓生でもある一甫は、私がこの小間物屋かみょうへ幼いときから通い手伝いをしていたことをよく知っている。

 つい先日も、悪役令嬢の出所が何なのかを私に教えてくれた人物でもある。

 しかし……。


「あら嫌だわ。そんな他人行儀なこと。わたくしたちお友達ではありませんか」

「ごめんなさい。……今は仕事中なものですから」


 はて? 私は彼女と友人だったことがあったのだろうか?


 一甫の言葉に頭の中で首を捻る。

 たしかに近所のお店、家、尋常小学校から女学院まで長々と同じような立場でいるから、幼馴染みといわれれば「はい」と返事はするものの、琉卯子のように親しく腹を割って話したことは一度もない。


「いつまでもそんなお姿でお手伝いをなさっていられるのね。お小さい頃ならいざ知らず、この年になっても続けられる苺子様を尊敬いたしますわ」


 そもそも彼女は昔から一言も二言も多いのだ。


 大体、一甫が店を手伝っている姿なんて私は見たことないからね!


「ほほ。ほほ……」


 とりあえず笑ってごまかしておこう。私はこのまま彼女がさっさと行ってくれないかと期待しながら、店先を歩く人へ声をかけた。

 しかし、一甫はなかなか私の目の前から離れてくれない。それどころか私の動く方を目で追いながらニヤニヤと笑っている。


「あ、あの……一甫様。やっぱり何かありましたか?」

「あら、わかりますの?」


 わかりますとも。そりゃあ、ええ。ええ。

 何を考えているのか全く見当もつかない樟陽なんかよりも実にたやすくわかります。


 私が水を向けると、それは嬉しそうに話し出した。


「実はですね、わたくし苺子様をお誘いにきましたの」

「……は、はあ」


 もう今の言葉だけでいやな予感しかしない。


 小さな頃から一甫のお誘いに碌なものはなかった。

 お茶会に買い物。何を誘われても都合のいいようにあしらわれ、何かが起これば全てが私の責任として泣かれるのが常だったのだ。

 すでに断るの選択肢しか持たない私は、「あのね」と前置きをした。


 すると――


「銀座へね、遊びに行きましょうよ、苺子様とわたくしの二人で、ね」


 その言葉を耳にした途端、私は相手が一甫ということも忘れ、思わず二つ返事でうなずいてしまった。


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