春の終わりと不思議な彼女
四月の終わり――。
桜も散り出し、そろそろ春の終わりを感じさせるそんな季節。
田舎に住んでいる僕は、今年から通う高校への行き帰りのため、毎日バスと電車を乗り継いで通学をしている。
今日も一日授業を受け終えた僕は、最寄り駅のバス停で一時間に一本しか来ないバスが来るのをひたすら待つ。
それでも、こうしてバスが来るのを待つ時間は別に嫌いでは無かった。
バス停のベンチに腰をかけ、好きな小説を読みながら過ごすこの時間は、割と自分にとって有意義な時間の一つになっていたりする。
春の心地よい風を感じながら、僕は小説のページを捲る。
今読んでいるのは恋愛小説で、その温かい恋愛物語は僕に足りていない心の隙間を埋めてくれていた。
――彼女、か。田舎者の僕にもいつかできたりする時が来るのかなぁ
小説を読みながら、ぼんやりとそんな事を考えてしまう。
中学までずっと地元の学校に通っていた僕は、見知った数少ないクラスメイトと共に過ごしてきた事もあり、こういう恋愛の類とは全く縁の無い人生を送ってきた。
だからだろうか、気が付くと僕はこういう恋愛物語に興味を持つようになっていた。
自分に無いものが、この本の中には沢山溢れているのだ。
そんな物語に夢を抱きながら、自分と主人公を置き換える。
いつか自分にも、この主人公のように守りたくなる女の子が現れるのだろうか――そんな事を考えるだけでも、これから始まる新生活と共にワクワクとした感情が湧き上がってくる。
まだ新しい高校で友達がいるわけでもないし、何があるわけでもない。
それでも、きっといつか自分だってという淡い期待を抱きながら、今はこの生活に慣れる所から地道に頑張ろうといったところだった。
そしてまた、ふわりと春風がそよぐ。
読んでいる小説のページの端がひらひらと捲れる。
それはまるで、本ばかり読む僕の事を誘っているようだった。
そして、そんな春風と共に甘い香りが鼻を擽る。
その香りに気が付いた僕は、何となく小説を読むのを止めて、ふと顔を上げる。
「ねぇ、いつも何読んでるの?」
顔を上げるとそこには、見知らぬ女の子がいた。
他校のセーラー服を着ており、彼女の綺麗な黒髪が春風に靡く。
それはまるで、今読んでいる小説のヒロインが現実に現れたようだった――。
「えっと、普通の小説だよ」
「ふーん、君いつもここで本を読んでるなって思って」
それで気になって声をかけてみたのと微笑む女の子。
「ねぇ、隣いい?」
「いいけど、同じバスなんですか?」
「うん、わたしもこのバス」
全然来ないのよねと楽しそうに笑う女の子。
だから僕も、そうだねと一緒に笑った。
まだ次のバスが来るまで20分以上ある。
僕達の他にこのバスを待つ人は誰もおらず、周囲にはたまに通過する車の音と、あとは風で木々が揺れる音ぐらいしか聞こえない。
そんな物静かなバス停。
二人は並んでベンチに座っているが、それから特に会話をするわけでもなかった。
ただ並んでベンチに腰掛けながら、バスが来るのをひたすら待つ。
それでも、初対面なのに不思議と沈黙が苦では無かった。
むしろ、そんな沈黙すら心地よく感じられる。
それはきっと、この女の子の持つ雰囲気のせいだろう。
まだ少しの会話しか交わしていないが、彼女からは不思議な安心感のようなものが感じられた。
――年上、なのかな
そんな事を考えながらも、僕は小説の続きを読みだした。
しかし、実物の女の子の隣で恋愛小説を読むというのは、何とも言えない恥ずかしさが感じられた。
「あら、本はもういいの?」
「あー、うん。今丁度キリの良いところまで読んだから」
「そっか」
「うん」
そんな恥ずかしさに耐え切れなくなった僕は、読んでいた小説を閉じて鞄へとしまう。
だがそうなると、する事が無くなってしまう。
横目で彼女の様子を伺うと、何を考えているのか楽しそうに空を見上げていた。
だから僕も、何となく一緒に空を眺めてみる。
彼女は一体、何をそんなに楽しそうに空を見上げているのか気になった。
「あはは、何もないよ」
一緒に空を見上げる僕に向かって、彼女は揶揄うように笑った。
「――本当だね」
「うん、薄っすらとかかる夕焼けが綺麗だなって思って」
そう言って彼女は、指でフレームを作って覗き込む。
「これぞ、映えだね」
「映え、ですか」
「うん、綺麗なものは見ていて心が落ち着くよね。だから、今見ているこの景色を切り抜いておこうと思って」
「指で? スマホで撮影とかしないんですか?」
「必要無いよ。心のアルバムってやつ?」
胸元をポンと叩いて微笑む彼女。
そんな掴みどころの無い彼女に、僕は思わず笑ってしまう。
本当に、なんなんだろうこの子は。
「わたし、今年からこの町に転校してきたんだ」
「そうなんだ」
「うん、前は割と都会なところに住んでいたからね、こういう風景は全て新鮮なの」
成る程と思った。
それはきっと、僕が都会へ遊びに行った際感じる新鮮さと同じような感覚なのだろう。
「こうして、全然来ないバスを待つのにも慣れたわ」
「あはは、一時間に一本しか無いからね」
「そうね、だからわたしはいつも本を読んでいる君を見て、成る程と思ったわけだ」
「そうですか」
「でも生憎わたしは読書があまり得意なわけではないから、代わりにね」
「代わりに?」
「お菓子を買ってみました。食べる?」
そう言って彼女が鞄から取り出したのは、煎餅だった。
都会から来たという女子高生の鞄から出てきたお菓子が、チョコやクッキーではなく煎餅。
そんなギャップが面白くて、思わず僕は笑ってしまう。
「あら、何がおかしいの?」
「いや、ごめん、煎餅なんだなと思って」
「そうね、わたしって可愛いからチョコやクッキーの方がお似合いよね」
「それ、自分で言います?」
「あはは、冗談だよ。わたしね、小さい頃から煎餅が好きなのよ。パリッとしていて美味しいじゃない?」
だからどうぞと、一枚煎餅差し出す彼女。
僕は有難くその煎餅を頂くと、一緒に並んで煎餅を食べる。
バリバリ、ボリボリ
音の無かったこの空間に、互いの煎餅を食べる音だけがはっきりと聞こえてくる。
そんな状況が何だか可笑しくて、二人同時に笑ってしまう。
「……初対面で、煎餅は無いわね」
「自分で言いますか」
「これは想定外よ。でも美味しいから、もう一枚食べましょう」
はいどうぞと、微笑みながらまた煎餅を差し出す彼女。
こうして僕は、それから一緒に煎餅を三枚食べた。
久々に食べたその煎餅の味は、何だかいつもより美味しく感じられたから不思議だった。
◇
ようやくやってきたバスに乗った僕達。
それからまた、一時間程バスに揺られなければならない僕は、きっと彼女の方が先にどこかのバス停で降りるものだろうと思っていた。
でも、降りなかった。
彼女は終点である僕と同じバス停で一緒に降りる。
「同じバス停だったんだね」
「あら酷い、何度か一緒のバスに乗ってたわよ?」
「――ごめん、いつも小説読んでたし、周りがあまり見えていませんでした」
「知ってる」
にっと微笑む彼女。
そんな彼女の笑顔を前に、僕は思わずドキッとしてしまう。
「わたしの家はあれ。駅近ならぬ、バス近ね」
「一時間に一本しかないけどね」
「十分よ。近い事が大事なのよ」
それじゃあねと手を振り、帰っていく彼女。
そんな彼女に向かって、僕もバイバイと手を振る。
まさか、こんな田舎に引っ越してくるなんて珍しいなと思いつつも、僕はこうして彼女と知り合えた事が嬉しかった。
――それに、綺麗な子だったな
彼女からはまるで、読んでいる小説に出てくるヒロインのような特別さが感じられて、何だか自分まで主人公になったような気がしてそれだけで楽しかった。
またバス停で一緒になれたらいいなと思いつつ、僕も彼女の家とは逆方向にある自分の家へと向かって歩き出す。
「あ、ねぇちょっと待って」
すると、帰ったはずの彼女に呼び止められる。
驚いて振り返ると、小走りで近付いてくる彼女。
「お近づきの印的な?」
「はぁ」
そして彼女は、そう言って僕に一つの紙切れを渡してくる。
心なしか、その頬は少しだけ赤く感じられたのは夕焼けのせいだろうか。
僕がその紙切れを受け取ると、彼女はじゃあねと言って今度こそ家に帰って行った。
一体何なんだろうと思いつつ、去っていく彼女の後姿を眺めながらたった今渡された紙切れを開く。
するとその紙には、電話番号とメッセージアプリのIDが書かれていた。
これはもしかしなくても、彼女の連絡先だろう。
だから僕は、その紙切れを大事に折りたたみ直すと、制服のポケットにしまった。
――本当、何なんだろうな
突如現れて、一緒に空を見上げて煎餅を食べて、そしてこんな田舎に引っ越してきた不思議な彼女。
正直、まだ全然彼女の事は分からない。
それでも僕は、この状況にワクワクしていた。
そして彼女のことを、もっと知りたいと思った。
――帰ったら、早速連絡してみようかな
そう思いながら歩く帰り道は、いつもより何だか足取りが軽く感じられた。
こうして僕は、春風と共に現れた不思議な女の子と知り合ったのであった。
これが読んでいる小説にあるような、恋愛物語に繋がるのかどうかはよく分からない。
それでも、この物語だけは与えられるものではなく、これから自分が紡ぐものなんだ。
そう思うと、これまで読んだどの物語よりも、僕は続きが楽しみで仕方が無いのであった。
彼からしたら、いきなり現れた不思議な彼女。
でももしかしたら、そんな彼女は以前から彼のことを見ていたのかもしれませんね。
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