表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
1章 レクセディアの空白の少年
8/37

 見ると、神護隊員がひとりの女性を見下ろしてなにやら怒鳴りつけていた。もうその女性は事切れているのかぐったりして動かないが、その下に赤ん坊を庇っているらしい。

「耳障りな声で泣くんじゃねえ!このガキ!」

そのまま剣を振り上げるので、ルナセオは思わず腰からチャクラムを外して間に滑り込んだ。

 突然目の前に現れた少年に剣撃を防がれて、神護隊員は呆気に取られたようだ。

「なんだあ?」

「この人たちはなにも悪いことしてないだろ!」

ルナセオがまだ年若くてひょろひょろした少年だと気づいて油断したのか、神護隊員は瞳孔が開いたままヘラヘラ笑って肩をすくめた。

「俺の前でピーピー騒音を立てるからいけないんだよォ、こいつらは大罪人だ」

カッと耳が熱くなった。反射的に首を取ろうとしたが、すんでのところで背後の赤ん坊がひときわ高く泣き出したので、ルナセオはチャクラムを振る体の回転そのままに神護隊員に蹴りを入れた。

 自分より大柄な男が道の反対側まで吹っ飛んで、ツボの中に突っ込んでいったので、ルナセオはしばしぽかんとした。耳の熱はまた収まっている。はっとして振り返ると、まだ赤ん坊は母親の腕の中で泣いていた。


 このまま置いていくと、あの男みたいなやつにまた危険にさらされるかもしれない。ルナセオは赤ん坊を抱きかかえて、倒れ伏す母親にお辞儀すると駆け出した。

 とはいえ、行くあてがあるわけではない。とにかく暴動から離れようと入り組んだ小道の奥へ奥へと逃げこんだが、土地勘のないルナセオには、今自分が街のどのあたりにいるのか見当もつかなかった。

 ぴゃあと腕の中の赤ん坊が泣いている。子供のあやしかたもよく知らなくて、ルナセオは赤ん坊背中をさすりながら途方に暮れた。


「おや、お困りですか?」


 この状況下で、のんびりと声をかけられて、ルナセオは瞠目した。家の周りに、木の棒で落書きでもしているのか、妙な文様を描いている奇妙な男がルナセオを見ていた。

 格好もなんだか妙ちきりんだ。腰ほどまで長く伸ばした髪は今まで見たこともないうす紫色をしていて、女性みたいなひらひらした薄手の生地を何枚も重ねたような装束を身に纏っている。ルナセオよりだいぶ背が高そうだ。毒のある濃い紫の口紅を塗った男は、くるんとカールさせたまつげを瞬かせてルナセオと、泣きじゃくる赤ん坊を見ている。

「あなたのお子さんではないようですね?」

「あ…ああ、さっきそこで襲われてて…」

「それはかわいそうに」


 男はスルスルとこちらにやってくると、ルナセオの腕の中から赤ん坊を取り上げて、慣れた様子で子供をあやしはじめた。たちまち高く泣き声を上げていた子供が落ち着いたので、ルナセオは仰天して男と赤ん坊を何度も見比べた。

「おーよしよし、怖かったね…それで」

男はちらりとルナセオを見た。

「行くあてはあるのかい?みたところ、あなたは旅人のようですが」

「い、いや…とにかくその子を安全な場所に連れていかなきゃと思って」

「それは立派な心がけですね」


 すると男は大きく頷いて言った。

「よろしい、では、この子は私が引き取りましょう。あなたはあなたの旅を続けるといい」

「えっ、だけど」

こんな怪しげな身なりの男に引き渡していいのだろうか、ルナセオは迷ったが、あくまで男は穏やかに子供に指遊びを見せるなどしていて、赤ん坊もキャッキャと喜んでいる。少なくとも、ルナセオがこのままこの子を連れていくよりはマシな気がした。

「じゃ、じゃあ…お願いします」

「はい、お願いされました」

魔女みたいな見た目の男はニッコリ笑った。後ろ髪引かれる思いだったが、この場に長居しても仕方がない。お辞儀して立ち去ろうと思ったところで、背後から名前を呼ばれた。


「ルナセオ!」

「…トレイズ!」

振り返ると、息を切らしながらトレイズが飛びつかんばかりにこちらに駆け寄ってきた。ルナセオの肩をつかんで必死で言いつのる。

「無事か!?怪我はないか?お前が本部にいないから探し回ったぞ!」

「ご、ごめん…今この人と話してて…」

言いながら背後を見て、ルナセオはあれ、と間抜けな声を上げた。あの珍妙な男はいつのまにかいなくなっており、家の周りに描かれていた落書きもすっかり消え失せていた。

「なんだって?」

「いや…」

もしかして危ないから家の中に入ったのかな、ルナセオはそう納得して、トレイズに向き直った。


「ううん、なんでもない」

「そうか、いや、悪かったな。まさかいきなりこんな暴動になるなんて思ってなくてな。ここ数年は落ち着いていたんだが」

ルナセオは、クレッセとの会話を思い出していた。クレッセをひとりで待たせている間、ラファがなにをやっていたのか想像してみたのだ。

「あのさ、ラファさんが騒ぎを起こしたんじゃないかな」

「あ?」

「その、クレッセを連れて逃げるために…」

 だとすればあまりに罪深いが、ルナセオにはそうとしか思えなかった。あの見張り番が上司に連れて行かれたときは、そんなに不穏な感じはしなかった。彼は幻術を使うというし、それでなにか、あの狂気的な神護隊の男を煽ることなどできたら。

 暴論かなあ、ルナセオが頭をひねったところで、トレイズの厳しい表情に気づいた。

「…な、なに?」

「お前、9番とラファに会ったのか?」

「あ」


 すっかり知り合い気分で名前を口にしてしまったが、ついさっきまでトレイズとはぐれていたのだから彼は知るはずもない。ルナセオはごまかすように髪をなでつけながら視線をさまよわせた。

「う、うん…まあ、逃げられちゃったけど」

自身が追いかけようともしなかったことはバッサリ割愛することにした。頭上から舌打ちが落ちてくる。

「ラファは…あいつは危険な男だ。お前はなるべく近づかないほうがいい」

「う、うーん」

ルナセオはあいまいに濁した。確かにこれが初対面ではあるが、彼の息子とは親友で、半月に一度は彼の家で夕食の相伴に預かっていることを知ったら、目の前の男はなんと言うだろう。


「とにかく、今のラトメは危険だ。ほとぼりが冷めるまで別の都市に移ろう」

「まさか今から砂漠越えするとか言わないよね?」

「神宿塔の中に各都市に通じる転移陣がある。ちょうど暴動が起きたのが礼拝の時間だったし、運が良ければまだ鍵が開いているかもしれない。とりあえず当面はレクセに身を隠そう」

「レクセに戻って大丈夫かな」

「下手に外を出歩かなきゃな。さあ行くぞ!」


 トレイズの背中を追って神宿塔を目指しながら、ルナセオは案外自分が遠くまでは行っていなかったことに気づいた。どうやら迷子になりながらも同じところをぐるぐる徘徊していたらしい。さすがに方向音痴のトレイズも、目の前に見えている塔に向かうのは問題ないらしく、迷いなく歩を進めていた。

「なんか、地理でトレイズに負けるのくやしいな…」

「何年この街に住んでると思ってんだ。さすがに迷ったりはしねえよ…神宿街なら」

ほかの二つの地区ではダメらしい。

「とにかく他の地区まで行ってなくてよかった。舞宿街にでも行ってたらお前、一瞬で捕まって売られてたぞ」

「そ、そんな危険なところなの?」

「芸術と舞い子の街なんて言ってるが、あそこは春売りの女が治める歓楽街だ。お前にはまだ早えよ、食われるぞ」

 ルナセオは咄嗟に身体にマントを巻きつけて震え上がった。トレイズの金色の目がほの暗く光っているのを見るに、まさかトレイズも…いや、考えるまい。


 みな街の方へ散っていったのか、広場は閑散としていた。それでも、身勝手な「選別」とやらの犠牲者が何人も倒れていて、まだ誰にも弔ってもらえていないのは胸が痛んだ。

「ラトメでは遺体は燃やして灰を砂漠に撒く。そうして神のところへ魂が還るんだ。なにもしてやれないのは歯がゆいが、騒ぎが収まれば残った者たちが手厚く葬るさ。ラトメは“神の子”の街だからな」

 それでも、素通りはせずに胸に手を当てて人々の死を悼むトレイズにならって、ルナセオも深くお辞儀した。満月の中吹きすさぶ風が砂を吹き上げて、星の粒のようにきらきら瞬いた。


 神宿塔の前はしんと静まり返っていて、本当に入り口が開いているのか怪しい様相だ。二人で塔に続く階段を見上げて、揃って顔をしかめた。

「これ、そもそも鍵が閉まってたらどうするつもり?」

「その時は腹括って砂漠を越える」

「…扉、見てくるよ」

階段を駆け上ると、これまた大きくて重厚な両開きの扉が鎮座していた。細かい装飾が刻まれていて、こんなご時世じゃなければじっくり眺めていたいところだ。重そうな取っ手を手に取ろうとすると、巨大な錠前の口が開いた状態でもう片方の取っ手に引っかかっているのに気づいた。トレイズの予想どおり、鍵が開けっぱなしになっているらしい。無用心だなあと思いつつ、今ばかりはそれに感謝しながら思い切り取っ手を引くと、がたんと音を立てて扉が開いた。


 こんな大きくて立派な扉、開けるだけで感動しちゃうな、達成感にあふれながらルナセオは振り返った。

「開いた…!開いてる、トレイズ、ここ開いてるよ!」

すぐにトレイズも階段を上ってきて、ルナセオの後ろから首を伸ばして塔の中を見回すと、ぎょっとして鋭く叫んだ。

「レイン!」

「トレイズさん!?」


 神宿塔の中は無人ではなかった。よく見ると奥のほうの燭台に火がついていて、白髪まじりの金髪の男が立っていた。その男が、もう目に焼きついてしまった例の麻のコートを身にまとっているのに気づいて、ルナセオは反射的にチャクラムに手を伸ばした。

 トレイズが剣呑に男を睨みながら言った。

「お前、なんでこんな所にいるんだ、外、大変なことになってるぞ!」

「いやあ、迷子の子供を保護していたんですよ。すぐに鎮圧に戻ります。トレイズさんはどうしてここへ?」


 迷子の子供?男の背後を見ると、確かに祭壇の奥で小さくなっている、マントをかぶった影が見えた。金髪の男はいかにも無害そうな穏やかな風貌で、緊張感なく手を振りながらこちらへやってくる。どうやら彼もトレイズの知り合いらしいが、まさかあの子供を襲っていたわけではあるまいな。暴動で荒れ狂う神護隊員を思い返しながらルナセオは疑った。

「さっきラトメに来たんだけど、あの暴動だろ?危険だから、神宿塔の転移陣が使えないかと思って。巫子をレフィルのところに連れて行くはずだったんだけど、アイツどこにもいなくてさあ」


 背中を思いきり叩かれたので文句を言おうとしたが、直後、祭壇の向こうがぴょんと反応した気がして、ルナセオはそちらを見た。すると、祭壇から顔の上半分だけちょこんと出した影もこちらを見ているようだった。あまりにもじっとこちらを見つめているので一歩進み出ると、途端に祭壇の下に隠れてしまう。なんだかうさぎみたいだ。

 トレイズとレインというらしい神護隊の男は立ち話を始めてしまったので、チャクラムからは手を離して祭壇のほうへ向かうと、その子はぎゅうとフードの裾をつかんで縮こまっていた。なにかに怯えているのか、ルナセオが隣にしゃがみこむと、よけいに小さく丸くなってしまった。


「きみ、迷子なの?」

声をかけても反応しない。先ほどの赤ん坊といい、自分には人と接する能力が実は足りていないんじゃないか…生まれてこの方17年、人付き合いで苦労したことのなかったはず自分の無力さを噛みしめながら、ルナセオはあきらめずになおも声をかけた。

「俺、ルナセオ。レクセから来たんだ。きみはここの人?」

するとようやく、膝からほんの少しだけ顔を上げた。目元までしか見えないからわかりづらいが、マントの下はスカートを履いているし、どうやら女の子のようだ。燭台に照らされながら、若草色の瞳が困った様子でルナセオを見ていたが、やがて小さく首を横に振った。

 やっと反応してくれた!ルナセオはつい嬉しくなって顔をのぞきこもうとしたが、たちまちフードを握りしめて顔を隠してしまった。怖がってる子への接し方って難しい。


 途方に暮れて顔を上げると、男二人はまだなにやら入口近くで話していた。

「あの騒ぎ、ラファのしわざなんだろ?なんだってあの野郎をラトメに引き込んだんだ?9番が連れて行かれちまったぞ。どうすんだよ」

話題はラファとクレッセのことらしい。ただ何もせず二人を見送ってしまったことがトレイズにばれたらなんと言われるだろう、胃のあたりを押さえていると、隣の女の子がガバリと顔を上げてトレイズたちを不安げに見つめた。その横顔を見ながら、ルナセオはぱっとひらめいた。


「きみ、クレッセの友達?」

「…あなた、クレッセを知ってるの?」

「さっきそこで会ったよ」

とうとう女の子が声を発してくれた感動と、どうやら予想が当たったらしい期待でルナセオはニッコリした。対する女の子のほうは不審げにしているのに、ルナセオは気付いていなかった。

「ねえ、きみ、もしかしてネル?」

答え合わせしようと思って尋ねると、女の子はぴょんと跳ねて目を見開いた。

「なんでわたしのこと知ってるの?」

「クレッセに言われたんだ、ネルとデクレのこと守ってって」


 そこでようやく、ネルにも目の前にいる少年が敵ではないことが伝わったらしい。呆然としながらまじまじこちらを見てくるので、ルナセオも彼女を眺めた。

 年ごろはルナセオと同じくらいだろうか。クレッセが幼かったので、勝手に小さな子どもだと思っていた。しかし、見た目の年齢と実年齢が一致しない例はこれまでの旅で散々見てきたので、ルナセオは人の年齢を見た目で判断するのは金輪際やめようと思い直した。彼女は化粧っ気もなければ眉もほとんど整えていないし、レクセにいた女生徒たちと比べればまったく垢抜けていなかった。それでも、優しげなまん丸の瞳も、頬紅も塗っていないのにピンク色をした頬も、その素朴なところが可愛かった。


 今まで会ったことがないタイプだからとじっと見すぎたのか、いきなりネルがほとほと涙をこぼし始めたのでルナセオは焦った。

「ほんとに?ほんとにクレッセがそう言ったの?」

「わっ、待って待ってなんで泣いてるの」

 幸いにして彼女が泣き出したのはルナセオのせいではなかったらしい。それでも自分が泣かせた気がしてルナセオはおおいに慌てた。あちこちパタパタ探ったがこんな時にハンカチの一枚も出せやしない。仕方なく袖口を引き上げてネルの目元をぬぐうと、彼女は大人しくされるがままになっている。

「俺なんか…言った…」

本当に小動物みたいな子だなあ、ごしごし頬をぬぐってやりながら感慨にふけっていると、ある衝撃的な事実に気付いてしまった。


 ネルはルナセオが「気づいた」ことに気づいたのか、わたわたとマントのフードを掴んだが、もう遅い。ルナセオは彼女の髪の毛を見ながら尋ねた。

「きみ、巫子なの?」

正確には、一部だけが真紅に染まっている髪を。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ