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少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
1章 レクセディアの空白の少年
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「ルナセオ!無事か!?」

 捨て台詞を吐いてバタバタ巫子狩りたちが立ち去ったすぐ後に、トレイズが息せき切ってやってきた。すると、トレイズは白マントの騎士を見るなり顔を歪めて身を引いた。

「げっ、ギルビス…」

「人の顔を見てご挨拶だね、トレイズ」


 涼やかな顔の騎士はトレイズを一瞥してから、颯爽と美少女の前に進み出て膝をついた。

「お怪我は」

「いいえ、ありがとう。助かりました、ギルビス。あなたのお陰で庭園を汚さずに済みました」

「次からはもう少したどりつきやすい場所でお呼びください。すぐにあなた様の魔法に気づいたからいいものの、執務室から中庭はいささか遠いので」

 その遠い距離を窓から飛び降りるという荒技で省略してきたこの男が、トレイズが呼び出した「ギルビス騎士団長」であるらしい。どんな屈強な男かと思いきや、騎士服を身に纏うその男は細身で、まだ30代にもさしかかっていないのではないかと思わせる若々しさだった。しかし、あの黒い筒を一刀両断した姿は明らかに常人のそれではなかった。


 そしてその騎士を従わせている美少女は、ルナセオを振り返ると、スカートの裾をつまんで優雅にお辞儀してみせた。

「ご無事でなによりです、巫子様。彼らは近ごろこの城に現れては巫子がいないかとしつこく聞いてきて、わたくしどもも帰す口実がなく困っていたのです。あなた様を利用した形となってしまい、申し訳ございません」

「なんだい、トレイズ。君、巫子を連れてきてたの?早く言えばいいのに」

「受付にそんなこと言えるわけないだろ!」

トレイズには辛辣らしいギルビスは、目を瞬いてまだ呆然としているルナセオに、胸に手を当てて一礼した。

「我が都市の王妃が礼を失したようであれば申し訳ない。私はこの都市の騎士を統べるギルビスと申します。シェイルへようこそ、赤の巫子」

 こんな立派な騎士に丁寧に接されるとは想像もしていなくて腰が引けかけたが、それより聞き捨てならないのは彼の言った台詞だ。ルナセオは目の前の美少女を見て震え声で呟いた。

「お…王妃、様?」

美少女は女神もかくやというほどの愛らしい笑顔で頷いた。

「はい、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません、わたくしがシェイルディア王殿下の妃、ナシャでございます」



「巫子狩りが来ていて危険だと申し上げたはずですが、なぜ一般開放されている区域まで出られたのですか」

「だって、殿下も息子もみな留守にしてしまってお忙しいご様子でしたもの。せめて王城で起こる問題くらいは、わたくしでも力になれればと思いましたの」

 やはりこの美少女は人間ではなかったらしい。彼女はこの愛らしい姿ですでに人妻で、しかも子持ちであるようだ。ギルビスの執務室で、小さな両手でカップを持つ月のようなナシャ王妃を恐々見ながら、ルナセオは世界の神秘におののいた。うちの母もたいがい年齢詐欺だと言われているが、彼女に至ってはルナセオより年下だと言われても納得できそうなほどいとけない。


 ナシャ王妃はしゅんと身を縮めながら、花が萎れたように悲しげな顔でルナセオたちに言った。

「でも、やはりご迷惑でしたね。巫子様にもいらぬご心配をおかけしてしまいましたし…わたくしは、お役に立つことができなかったでしょうか」

「い、いや、俺はそんな」

「ええ、その通りです」

そんな顔をされたらどんな願いごとにも頷いてしまいそうだとルナセオは思ったが、あいにくギルビスには通じていなかった。ばっさりと主人の言葉を切り捨てて、騎士団長は無情にも言い放った。

「あなた様にささくれひとつでも傷を付ければ我々が王殿下に殺されます。あなた様の仕事は、何もせず、部屋で大人しく、ご家族の帰りを待つ。ただそれだけです」

 それからギルビスは、イライラしたまま矛先をトレイズに向けた。

「で、君は何しに来たの?君が巫子を連れてるならラトメに行くんじゃないのかい」

「そのつもりだったんだけど、訳あってレクセが通り道にできなくてさ。エルディに転移魔法使ってもらおうと思って」

「まあ!転移魔法の使い手をお探しだったのですね?」


 途端にナシャ王妃が気力を取り戻した。嬉しそうに拳を握って身を乗り出すと、自信満々に自身を売り込んできた。

「転移であれば、わたくし、心得があります。こちらからラトメディアまでお送りすることも可能です。ぜひお力添えさせてくださいな」

ギルビスが盛大にため息をついた。頭が痛そうにこめかみを揉んでいる。

「王妃、つい今しがたの私の話はお忘れですか」

「そ、そうですよ、さすがに王妃様を顎で使うような真似は…」

トレイズもなんべんも首を横に振ったが、ナシャ王妃は一歩も引かなかった。

「いいえ、巫子様は世界を救う使命を持たれた、この世でなによりも尊いお方。その手助けができるなんて誉れになりますわ」

「いや、しかし」

トレイズは助けを求めてギルビスを見た。若き騎士団長はものすごく、それはもうものすごく嫌そうな顔をしながら、苦渋の決断を下した。

「…あなた様のお気持ちはわかりました」

全然納得していない口調だったが、ギルビスは重々しく頷いた。

「ただし、今日はあれだけの魔法を使われたのです。転移魔法を使うのは明日以降になさってください。王妃の体調に障りがでかねません」

「分かりました!ありがとう、ギルビス!」

ナシャ王妃は立ち上がってぴょんぴょん飛び跳ねた。それから、機嫌をうかがうようにルナセオを覗き込んでくる。

「巫子様がたもそれでよろしいでしょうか」

「もちろん!俺はいつでも」

トレイズは気が重いのか憂鬱そうだったが、まさか大都市の王妃様がここまで心を砕いてくれているのに否と言えようはずもない。ましてやこの妖精のような王妃の喜ぶ顔を曇らせることを言える勇気はなかった。


 ではまた明日お会いしましょう、そう言って春風のようにナシャ王妃は去っていった。執務室の扉が閉まった瞬間、ギルビス騎士団長は自分の執務椅子に深く身を預けて天を仰いだ。

「王殿下になんて報告しよう…」

「なんていうか、苦労してんのな、お前」

トレイズが労った。

「巫子が現れてからこっち、巫子狩りはしつこいわ部下が一人抜けて執務は滞るわ、まったくいいことなしだよ。王殿下はまたフラフラ遊びまわってるし、それにブチ切れた宰相の小言は全部私に来るし。おまけに王妃殿下があの調子だ。はやく隠居して王子に代替わりしてくれないかな」

「不敬罪で捕まるぞ」

「旧友に愚痴くらい言わせてくれ」

ひととおり文句を吐き出したのか、ギルビスは気持ちを切り替えるように伸びをすると、ルナセオに向き直った。

「失礼、君に聞かせる話ではなかった。王城に部屋を用意させるから、今日は泊まっていくといい。この無配慮な男と二人旅なんて気が休まらなかっただろう」


 ルナセオに名乗ったときの優美な所作は王妃の前だったかららしい。しかし、温かみのある濃紺の目を細めて優しく声をかけてくれる今の姿のほうが好感が持てた。

「君はどこから来たんだ?突然巫子に選ばれたのであれば大変だったろう」

「えっと、レクセからです。俺は学生のルナセオといいます」

「レクセの学生?確かあそこにはラゼがいなかったか、一緒じゃないのか」

 ギルビスの口から、あの風紀委員の名前が出てきて、ルナセオの心臓が跳ねた。トレイズは低い声で言った。

「ラゼは死んだ。あいつの印をルナセオが継承したんだ」


 ギルビスはさっとルナセオの左耳を見た。表情がこそげ落ちて怖いくらいだった。彼はしばらく無言でいたが、やがて息を吐きながら短く呟いた。

「そうか」

疲れたような声音だった。「残念だ」

 言葉こそそっけなかったが、その口調にはあふれんばかりのラゼへの思いやりが含まれている気がして、ルナセオは思わず質問していた。

「ギルビスさんは、あの…ラゼと知り合いだったんですか?」

「もちろん、よく知ってるよ」

ギルビスは片眉を上げてトレイズに「言ってないのか?」と視線を向けた。

「私も、そこのトレイズも、かつては君のように巫子に選ばれた。ラゼも、ともに旅をした仲間だったんだよ」

「……えっ」

トレイズを見上げると、彼はばつが悪そうに頭をガシガシ掻いていた。ギルビスが不満げに「フケが飛ぶからやめてくれ」と文句を言う。

「えっ、巫子だったの?トレイズが?」

「…まあな」

トレイズは歯切れ悪く言った。よほど苦い思い出なのか唇を噛んでいる。


 ルナセオは相方の様子には気づかずにソファの背もたれに身を預けながら巫子として活躍するトレイズを想像してみた。今でこそぱっとしない浮浪者みたいな容貌だが、昔はどうも偉かったようだし、彼にも輝かしい過去があったのかもしれない。

「おい、なんか失礼なこと考えてるだろ」

「そんなことないって。なるほどなー、じゃあトレイズたちも9番を倒したことがあるんだな」

「いや、私たちは9番を倒してはいないよ」

ギルビスは穏やかに訂正した。

「え、だけど、9番を倒さなきゃ巫子の役目は終わらないんじゃないんですか?」

「普通はもちろんそうだ。しかし私たちのときは、彼を倒すまえに、9番のほうが巫子の資格を失って世界は滅びから免れた。私たちは何者も倒すことなく巫子の役目を終えたことになるね」

「巫子の資格?」


 9番は自動的に世界を滅ぼそうとするから、巫子たちで止めなければならないのではなかったか。そう問うと、ギルビスはゆっくりと頷いた。

「確かに、世界を滅ぼす意志を持つものが9番に選ばれ、そのための力を得るものだ。だから世界の滅びは回避できないし、巫子は早急に9番を打ち倒さなければならない。ただ、私たちが選ばれたときの9番は、途中でその意志自体を砕かれた。世界を滅ぼす意義がなくなってしまったんだ」

「一体何をやったんですか?」

「さあね。私たちは何もしないまま、気づけば印から解放されていたクチだから。そういう意味では巫子を名乗るのもおこがましいのかもしれないけど」

ギルビスは自嘲するように含み笑って、執務机に頬杖をついた。

「あのときの9番に会って話を聞けたら何か手がかりがあるかもしれないね。何事もなければどこかで生きてるんだろうし」

「あんな奴に話すことなんてねえよ」

突然トレイズが憎々しげな口調で吐き捨てた。手負いの獣のように唸りだすのでびっくりしていると、ギルビスが苦笑した。


「まあ、トレイズは人一倍9番に恨みがあったから、自分が巫子だったときのことは言いたくなかったのかもね」

「お前だってそうだろ、ギルビス」

トレイズが唸り声の合間に言葉を挟んだ。

「あいつはお前の家族を殺した仇だろ。印から解放されたとき、一番悔しかったのはお前だったはずだ」

「もちろん、私個人は彼を一生許しはしないし、あのまま巫子として役目を果たせたなら本望だったろう」

そう言うギルビスのほうは、恨みも憎しみも知らないかのように柔らかくほほえんだ。

「それでもあのときの9番が悔い改めて、どこか私の知らないところで幸せに生きているのであれば、手を汚さずに済んだ私は幸福だと思う。私は君みたいに、復讐を糧に生きていけるほど強くはないんだ」



 せっかく豪華な王城の客間を使わせてもらっているのに、柔らかいベッドの上でルナセオはうまく寝付けなかった。今日聞いた話がぐるぐる頭を回って、脳の奥の方が興奮で冴えているようだった。


 たぶん前の9番はひどいことをたくさんしたのに、その報いを受ける前に舞台から降りてしまったから、彼らの巫子の物語はなにも終わってないんだろうな。ルナセオはそう解釈した。

 大団円か。ルナセオは母が好きだった展開を思い出す。悪者が改心したら、みんな幸せになってハッピーエンド、だなんて、やっぱり幻想に過ぎないんだと分かった。世の中には悪党は存在するし、仮にそいつが悔い改めて、人が変わったほどいいやつになっても、そいつが犯した罪がなくなるわけじゃないんだから。

 例えば9番がルナセオの家族を殺したとしたらどうだろう。ルナセオは頭上のシャンデリアを見上げながら想像してみた。母や、父や、兄が死んでしまって、そいつの仇を討つ前に、突然そいつが悪かったと認めてきたら?ルナセオはギルビスのように、そいつがどこかで幸せに生きていくことを許せるだろうか。友人ですらなかった知り合いの死でさえいまだにうまく咀嚼できなくて、あの巫子狩りを逃してはおけないと思っているくらいなのに。


 ギルビス騎士団長はきっと、時間をかけて気持ちに折り合いをつけて、役目を果たせなかったことに納得したんだろうな。あの立派な騎士の姿を思い描いて、ルナセオはドキドキした。いつか目指すなら、ああいう大人になれたらいい。さすがに、五階の窓から飛び降りるのは無理だけど。

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