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少年ルナセオと大団円のゆくえ  作者: 佐倉アヤキ
1章 レクセディアの空白の少年
3/37

 目を覚ましたルナセオはまず、自分を背負っている広い肩と、伸びっぱなしの長い髪が目に入った。赤錆のような色の混じったブラウンの髪は油っぽくて、しばらく彼の背中に揺られながら、思ったことを口にした。

「…あのさ、まず髪を洗うべきなんじゃないかな」

「ん?」

あいにく起きぬけのルナセオの声はしゃがれていて、この男の耳には届かなかったようだった。

「起きたか。気分はどうだ?」

 ルナセオはどうやら、この男のマントの中で、片腕で背負われているらしかった。男に地面に下ろされて、たたらを踏んで座り込むと、男はマントを外してぎこちなくルナセオの肩にかけた。ルナセオは俯いたまま答えた。

「あんまり」

「だろうな。水を飲め、お前、三日も目を覚さなかったんだぞ」

たぷんと揺れる皮袋を受け取って一口飲むと、生ぬるい水が喉にしみた。黙っていると吐き気が湧き上がってきて、ルナセオはごまかすように言った。

「ねえ、このマント、加齢臭すごいよ。洗濯したら?」

「口の減らねえやつだな」

頭上から笑いを含んだ声で返されて、ルナセオはようやく顔を上げて男を見上げた。


 ルナセオの父と同世代くらいだろうか、無精髭を生やした金色の目の男は、横幅が細身のルナセオの倍くらいあった。肩幅も胸板も広い大人の男だ。あのときラゼと話していたのを見たときは気づかなかったけれど、その男には片腕がなかった。左の袖がブラブラ揺れているのを指差して、ルナセオは尋ねた。

「それ、どーしたの」

「ん?昔ちょっとな」

「俺、三日も寝てたの?あれからどうなったの?」

冷え冷えとした風が吹いてきて、ルナセオはマントを手繰り寄せた。黒っぽい岩肌の続く薄暗い道は、どこかの洞窟のようだった。


 男は苦い顔をした。

「あんだけ派手にドンパチしてたからな…人に見つかる前にお前を連れ出してレクセを出た。今頃は騒ぎになってるだろうが、あの場で現行犯にはなりたくないだろ?」

「マジで?じゃあ俺、あんたに誘拐されたの?」

「人聞きの悪いこと言うな」

「やだなあ、冗談だよ」

 息子が帰らなくて、母さんはさぞ気を揉んでいるだろうな。いや、むしろ母の食事事情のほうが心配だ。なにせあの人は大概のものを炭にするから。

 とはいえ、このまま帰って元の生活に戻れるものだとは、ルナセオも思ってはいなかった。あんなにゴロゴロ死体が転がっていれば大変な事件になっていることだろう。何日も学校に行かずに街からも消えたのだ、きっとルナセオは怪しまれている。

「俺、これからどうすりゃいいの?」

ひとり言のつもりでつぶやいたが、この洞窟の中では声がよく響いた。男は「そうだな」と返す。

「俺の上司が巫子を保護してくれるはずだ。ラゼももともと、あいつのところに連れて行く予定だった。多少予定が狂ったが、このままラトメまで向かおう」

「そういえば、あんたは何者なの?ラゼと学生街で話してたよね」


 男はそれでようやく、ルナセオがあのとき二人の話に割り込んだ学生だと認識したらしい。ばつが悪そうに頭をガシガシかきながら男は名乗った。

「俺はトレイズ。ラトメディアで…まあ、雑用のようなことをしてる」

「雑用?」

「依頼されたことを請け負う便利屋みたいなもんだ。今は巫子を探す任務を与えられて、ひとまず居所のわかってたラゼに会いに来ていたんだ」

 巫子、と言われて、ルナセオは自分の左耳をつまんだ。この耳は今も赤いままなのだろうか。

「ラゼは自分が巫子だって言ってた。耳が赤くて、びっくりするほど強くて…でも、ラゼと手が当たったときに、すごく耳が熱くなったんだ」


 なんとなく感じ取っていたけれど、あのとき多分、ルナセオはあの赤い印のようなものを、ラゼから奪ったのだと思う。それまでラゼはあの黒い筒で撃たれても平然としていたのに、耳が肌色になった途端、少年の凶弾に倒れてしまったのだ。

 説明されないと納得しない気配を悟ったのかトレイズはため息をついてルナセオの正面にあぐらをかいた。

「赤の巫子は、生まれついてのものじゃない。お前もその印を宿したからわかると思うが、赤い印の意思のようなものに選ばれるんだ」

意思?繰り返すと、トレイズは頷いた。

「巫子の昔話は聞いたことあるよな?まず、世界を滅ぼす最初の巫子…9番が現れる。するとそれに対抗するように、9番を倒すための残り九人の巫子が選ばれるんだ。巫子は9番を倒して赤い印が外れるまで、何があっても死ぬことはない。老いを知らない体になり、どんな怪我や病もたちまち治る。そして、赤い印の持つ強大な力を扱えるようになる。お前がラゼから受け継いだ4番の印は、身体強化に特化してる」

だからラゼはあんなに高く跳んだり、目にも留まらぬ勢いで黒マントたちをやっつけたりしていたのだ。そういえば、ルナセオも武術の成績が特別良かったわけでもないのに、あんなにあっさりと黒マントを倒すことができていた。


「あの黒マントたちは誰なの?巫子は世界を救うのに、ラゼに怪我させる気満々だったじゃん。その9番とかいうのの仲間?」

「あれは巫子狩りだ。あいつらの目的はよくわからない。神都で組織されていて、巫子を襲いにやってくる」


 ルナセオは世界地図を思い浮かべながらトレイズの話を咀嚼していた。この世界はひとつの島と、それを囲うようなドーナツ型の大陸でできている。中央の島が神都ファナティライストで、ドーナツ型の大陸には五つの都市が点在している。ルナセオがいたレクセディアは東に位置する五大都市のひとつだ。その昔、五大都市はそれぞれが別々の国だった名残りで、今も各都市ごとの自治が認められているけれど、聖女が世界をひとつの国に統一してからは、世界の中心は神都ということになっていて、この世を治める世界王陛下がいらっしゃる。

 世界を救う巫子なのに、どうして神都から巫子狩りなんてものが襲ってくるんだろう…疑問に思っても答えは見当もつかないので、ルナセオは考えるのをやめた。きっと深い事情があるのだろう。命を狙われるのは御免被りたいが。


「とにもかくにもラトメへ急ぐぞ。神都から身を隠すならあそこが一番だ。治安がいいとはいえないけどな」

「ラトメって南にある都市だよね?ここどこ?」

トレイズは胸を張った。

「レクセを出た先にある洞窟だから…ゴドル洞だ!」

「…ゴドル洞はレクセの()だよ」

「……」



 トレイズが絶望的な方向音痴だというのはそれからすぐにわかった。なにせそのあと二人で頭を突き合わせて地図を確認したところ、位置関係をまるで理解しやしない。方角を東西南北ではなく上下左右で表現されたあたりでルナセオは諦めた。

「よくレクセに来れたね。ラトメからこっちに来るのって砂漠越えなきゃいけないんでしょ?」

「ラトメの砂漠は俺の庭みたいなモンだからな、何十年と歩き回ってりゃ覚えるさ」

「それでなんで北と南を間違えるんだよ」


 元の道を戻って南下しようかと提案したが、通り道にはレクセがある。ほとぼりが冷めるまでは近づかないほうがいいとはトレイズの言だった。

「迂回できないこともないが、どうせならこのまま進んでシェイルディアに向かおう。王城に知り合いがいるから、転移魔法を使ってもらえるかもしれない」

 シェイルディアというのは北にある五大都市のひとつだ。寒さに厳しい土地だが、五大都市の中では一番大きく力があり、軍事都市だなんてあだ名されている。その王城に知り合いがいるだなんて、トレイズはずいぶん顔が広いらしい。


 道すがら、トレイズはいろんな話をしてくれた。トレイズの旅中にあった他愛無い話から、ルナセオが継承した巫子のことまで。

 赤の巫子はぜんぶで十人。このうちの9番が世界を滅ぼすのを止めるのが残り全員の役目。しかし、9番を倒すためには、残り九人の巫子が全員揃って、神都にある神殿で儀式を行わなくてはならないらしい。今は9番とルナセオ以外の巫子はまだ見つかっていなくて、トレイズとその上司が手分けして探しているところらしい。

「ふうん。で、その9番ってのはどんな悪いことをしたの?」

「…さあな」

世界を滅ぼすというのだからさぞかし凶悪な人物なのだろうと思って言ったら、なんとも歯切れの悪い答えが返ってきた。

「さあなって、なんか悪いことしてるから倒すんじゃないの?こう、物語に出てくる魔王みたいに世界征服を狙ってるとかさ」

「今は9番はラトメで確保してる。今のところは何かできる状況じゃない」

「…何もやってないのに倒すの?」

トレイズを見上げてみると、彼は苦々しい顔をしていた。なんだか聞かれたくないことを聞いてしまったようだ。

「9番に選ばれた者は、しだいに自分の中にある、世の中をめちゃくちゃにしたい欲求を抑えきれなくなる。誰しも、例外なくだ。その欲求を満たそうとしたとき、今回の9番がどういう形で世界を滅ぼそうとするのかはまだ分からない。物理的に町や村を滅ぼすのか、人々を服従させるつもりなのか、はたまた何かこの世界のことわりを壊そうとするのか。

 でも、いずれ必ず9番は世界を滅ぼそうとする。だから巫子たちは、可能な限りそれを許す前に9番を倒さなくちゃならない」


 つまり、今は何も悪いことはしていないけれど、そいつが悪さをすると決まっているから、その前に倒してしまえということか。ルナセオは妙に背中のあたりがもやもやした。

「それってさあ、なんか…」

ルナセオはうまく言葉にできなくて口をつぐんだ。なんだか、やってはならないことに加担させられそうになっているような、そんな焦燥感を覚える。一方で、9番とやらが本当に確実に「悪いこと」をするなら、その前に止めなくてはという正義感も首をもたげた。

 難しい顔で黙りこんだルナセオに、トレイズは穏やかに諭した。

「9番に選ばれた時点で、もうそいつは世界を滅ぼしたいという意志があるし、それができる資質を持っている。強いて言えば、9番に選ばれたその事実がすでに悪の証左だ。犠牲が出てからじゃ遅いんだよ」

「うーん…まあ、そうかもしれないけど…」


 でもさ、トレイズ。ルナセオは心の中で思った。でもそれは、目の前のリンゴを食べたいと思って、でも手を伸ばさずにいる人を、物欲しそうに見ていたからという理由だけで捕まえるようなものなんじゃないの?

 しかしそれは声にはならずじまいだった。トレイズの口調は、まるで9番のことを心底憎んでいるみたいだったし、きっとルナセオがまだ知らない、巫子がやらなくちゃいけない理由があるのだろうと思った。

 ルナセオがあのとき、あの巫子狩りの少年に感じた怒りに似た感情が、トレイズの瞳の中に見えたのだ。


 もう一度、左の耳たぶを触ったが、そこはもうあの時のように熱くはなかった。けれど、ルナセオはもう三日前と同じ自分には戻れないことを悟った。憎しみとか恨みとかいう、本の中くらいにしかないものだと思っていたドロドロした心が自分の中にもあるのだと、知ってしまったから。

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