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だいぶ長らく間が空いてしまいましたが、4章開始します。全11話です。よろしくお願いします。

 この世界を作った神さまは、双子の兄妹だと言われている。

 仲のよい兄と妹は、おそろいの銀髪と瑠璃色のひとみで、名前もおなじ「エル」という。

 双子神エルはある日、自分たちのためのすてきな箱庭を作ろうと、水と大地を用意して、この世界を生み出した。まずは太陽と月を、次に木々や草花を、そしてさまざまな生きものを。

 双子神はつぎつぎと思いつくうつくしいものを箱庭に置いたけれど、箱庭にものがあふれるたびに、妹神が力を失っていった。

 そしてとうとう倒れてしまった妹神は、兄神を置いてはかなくなってしまったのだった。


 なげき悲しんだ兄神は、妹神のなきがらを抱きしめて、ふたりのからだをよっつに割って、箱庭へと散りばめた。


 光るよっつの神のかけらは、箱庭の「人間」という種族とよく似たすがたとなって、今も世界を見守っていると、そう言われている。



 ずっしりと重たい鉄の錠は、最近少し筋ばってきたルナセオの手首にはまって、不穏に黒く光っていた。左右の手錠をつなぐ太い鎖は、4番の力を使ってもちぎれそうにない。

 目の前の少女の巫子狩りは、鉄格子ごしにふんぞり返って、ルナセオをせせら笑った。

「フン、いい気味ね、赤の巫子!アンタがどういうつもりか知らないけど、こんな牢屋に入っちゃ、アンタの企みも潰えるってものよ。せいぜい悪党に生まれたことを後悔するのね!」

「ローア…それはさすがに言いすぎ…」

少女の隣に並び立つ少年の巫子狩りは、ハラハラした様子で彼女とルナセオを見くらべた。


 ルナセオはあたりを見回した。かび臭くて肌寒い牢屋の中は、お世辞にも快適とは言えない。硬そうな木のベッドには申し訳程度の薄っぺらい毛布が一枚添えてあるだけだし、隅っこに置かれた便器はいつから掃除していないのかずいぶん汚れていた。鉄格子は人の通れる隙間はなく、窓は天井近くに申し訳程度の空気穴があいているだけ。さすがに脱獄は難しくないかな、ルナセオは天井を見上げながら考えた。


 ローアは憤懣やるかたない様子でプンスカしながら手近な少年をペシペシ叩いていた。

「なによ!コイツは先輩たちの仇でしょ?トック、アンタまさかコイツを庇おうって言うの?」

「ま、まさか!そうじゃないけど…」

トックはこわごわとルナセオを見た。

「でも、突然襲ってくるなんて、どうして」

「詮索するなって言っただろ」

ルナセオがトックを睨みつけて低い声で唸ると、彼は小さく悲鳴を上げて縮みあがった。


「どうせなにもできないわよ」

 ローアは鼻を鳴らした。

「いい?先生を呼んでくるから、余計なことはせずに大人しくしておくことね。何かしたらただじゃおかないから!」

ローアはその「先生」とやらをずいぶん慕っているようだった。ズンズンと牢の前から大股で去っていく彼女の背中を、こちらをチラチラ振り返りながらトックが追いかけていった。彼らの姿が鉄格子ごしでは見えなくなって、ようやくルナセオは緊張を解いてため息をついた。


 リズセム殿下は気軽に言っていたけれど、自ら巫子狩りに捕まるというのも、ルナセオにとっては簡単な話ではなかった。どうか神都に連れて行ってくださいと頭を下げるなんて言語道断だし、どうしろというのだ。


 するとリズセム殿下はなんてことはないように言ったのだ。

「テキトーに戦って負ければいいじゃん。魔弾銃を2、3発食らえばいくら巫子だって戦闘不能になるよ」

「父上…」

それを聞くなり、ラディ王子が呆れた様子で父親を見下ろした。

「いいですか、いかに巫子が不老不死の肉体を持つと言っても、痛覚がなくなるわけではないのですよ。なにを酷なことを仰っているのか」

「どうせ、巫子狩りと遭遇したら殺し合いになるんだろう?じゃあさっさと痛い目見てとっ捕まるのが早いというものさ。一度大負けしておけば、次に戦うときにはちょっとくらいは油断してくれるかもしれないし」

「そんな無茶苦茶な。ルナセオ、父の言うことは聞き流してくださって構いませんから」


 いま思い返せば、確実にラディ王子のほうが正論だったと分かる。だが、たぶんあの時のルナセオはどこかトチ狂っていた…なぜだかリズセム殿下の言うことが妙案に聞こえてしまったのだ。ラディ王子の心配そうな顔に見送られたルナセオは、巫子狩りたちのもとへ出向き、ラゼの仇だと口上を上げて彼らに襲いかかり、それで見事に負けてきたのである。


 結論から言って、魔弾銃は痛かった。痛いなんてもんじゃない、痛覚が正常に働くのを拒否するレベルで、ドスドスと重い衝撃が駆けめぐり、ズグズグと燃え盛るような感覚がいつまでも続く。口からも腹からも鮮血がこぼれて、死にたくないとそればかりを念じていた。せっかくトレイズに買ってもらった旅装は一瞬でダメになった。


 ルナセオはあの苦痛を思い出しながら、ローアとトックに撃たれた腹をさすった。着替えを用意してもらえず全身泥と血にまみれていたが、傷はもうふさがっていた。つくづく巫子の体というのは規格外で吐き気がしそうだ。


 ひとまず彼らの言っていた「先生」とやらが来る前に、世界王への手紙を隠しておかなくてはならない。ルナセオは素早くブーツを脱ぐと、底に隠していた手紙を抜き取って、便器の影に差し入れた。牢に入れられる前に身体検査とかされなくてよかった、ルナセオはあの二人組の巫子狩りの怠慢に感謝した。ラディ王子に透明化の呪文はかけてもらっていたが、もしこの手紙が見つかっていたら、リズセム殿下の「ケツの穴に入れておくのがいちばん確実じゃない?」という主張を馬鹿にできなくなるところだった。


 元通りにブーツを履き終えたところで、遠くからカツンカツンと高い音が聞こえてきて、ルナセオは佇まいを直した。いかにも今までなすすべなくベッドで不貞腐れていました、という風を装ってベッドに腰掛けると、鉄格子の向こうに、トックとローアに両側から支えられた、見知らぬ男が立った。


 背中の曲がった、痩せこけた老人だ。ゆったりとした黒いローブを身にまとい、三日月を象ったような大きな帽子をかぶっている。襟元になにかの紋章か、金色のバッジをつけている。黒塗りの杖に寄りかかるようにして、老人はしわしわの垂れた瞼を上げてルナセオを見た。見た目はニコニコした、いかにも温和そうな好々爺という感じだ。


「お前さんが、ローアたちが連れてきたという赤の巫子かい?」


 しわがれた声だ。ここのところ、ルナセオの出会う年長者といえばだいたい年齢不詳の人外じみた者ばかりだったので、こうも普通のおじいさんが出てくるとは思わず、ルナセオの警戒が少し緩んだ。

 ローアが意気揚々と「そうよ!」と声を上げた。

「正真正銘の巫子よ!習ったとおり、魔弾銃で撃っても死ななかったもの。先生、すごいでしょ!」


 ローアの誇らしげな台詞に、ルナセオはぞっとした。彼女の無邪気な言葉は、まるでルナセオを実験動物かなにかと勘違いしているようだ。

 「先生」と呼ばれた老人は、ニコニコ笑いながら「ああ、えらいねえ」と優しく言った。

「まだまだ教えなきゃいけないことがたくさんあると思っていたけれど、ローアもトックも成長したんだねえ」

「ふふん、私だってもう一人前よ。パパだってきっと私のこと認めてくれるわ」

「そうだねえ、君のお父上も、立派な娘がいて誇りに思うじゃろう」


 老人は何度もうんうんとうなずいて、でも、と付け加えた。

「まず怪しい者を牢に入れるときは、危ないものを所持していないか確認しないとなるまいよ。我々に害なすものを隠し持っている可能性があるからのう」

「あっ…ごめんなさい」

ローアは恥じいるようにうつむいた。

「それに、ずっと血にまみれているというのも可哀想じゃろう。ふたりとも、彼に着替えを持ってきておやり。ここは儂が受け持とう」

「そんな、危ないわ!」


 まるでルナセオが猛獣であるかのようにおおげさに叫ぶローアに対して、老人はほっほと笑った。

「なあに、儂もまだまだ現役だわい。さ、はやく行っておいで」

老人の口調はどこまでも優しかった。ローアはギロリとルナセオを睨むと「先生になにかしたら承知しないわよ」と言い捨てて、きびすを返していった。ふと視線を感じて顔を上げると、トックがじっとこちらを見つめている。そういえば、この先生と呼ばれる老人を連れてきてから、彼は一言も発していない。


「どうしたね?トック。君もローアとお行きなさい」

「…はい、先生」


 老人にうながされて、彼もまたルナセオに背を向けた。彼のもの言いたげな視線がなんだか気になったが、トックは結局なにも言わないまま、ローアを追いかけていった。


 ふたりの足音が聞こえなくなって、また牢の中には底冷えするような静寂が戻った。

「さあて。うちの子らが手荒なことをして悪かったねえ。痛かったろう?」

気遣うような口調だ。巫子狩りたちは()()でも、案外この「先生」というのはまともなのかもしれない。ルナセオは一抹の希望を覚えた。彼を説得して牢から出してもらえれば、世界王に会う術も見つかるかもしれない。


「あんたは誰?」

 尋ねると、老人はまたホッホと笑った。

「口の利き方がなっておらんのう。貴様如きが気軽に声をかけて良い相手ではないわ」

「…」

ただでさえ肌寒い部屋の温度が、さらに下がった気がした。前言撤回、たぶんこの老人は、無茶苦茶に恐ろしい。


「儂はあの子たちの上司のようなものじゃ。かわいい生徒たちが巫子を捕らえたと聞いてねえ、こうして見に参ったというわけだのう。…して」

 老人の垂れたまぶたの奥が、きらりと光った気がした。

「君は“何番”だね?」

「…それを聞いて、どうするつもり?」

ルナセオは探りを入れてみたが、老人は「ただ聞かれたことに答えればよろしい」と取り付く島もない。


 どうする?ルナセオは自問自答した。彼がなぜルナセオの番号を知りたがるのかはわからないが、どうせ隠し立てしたところで、このあと身体検査をされれば、ルナセオの印がどこにあるのかはすぐに露見してしまう。この老人は、耳が赤いのは4番だという情報を知っているだろうか。


 今はこの老人を刺激すべきではない。ルナセオはそう判断して、素直に答えた。

「…4番」

「4番…4番!」

老人はあからさまにがっかりした様子で首を振った。

「ハズレじゃあないか…9番の劣化版じゃ。これではあの若造に勝てまい…せめて7番であれば…」

「…」

なんだかひどい言われようだ。自分で言うのもなんだが、この戦闘力強化の力は役に立つと思うのだが。


 そこまで考えて、ルナセオはピンときた。ひょっとして、巫子の力をなにかに利用しようとしている?

「あんた、なんのために巫子を捕まえようとしてるんだ?こっちには9番を倒すっていうお役目があるんだけど」

その役目を放棄してクレッセを助けるつもりだということは伏せて、ルナセオは老人の顔をうかがった。しわくちゃの顔は表情が読めない。ぱっと見は温和そうに見えるからなおさらだ。

 老人は深々とため息をついた。

「9番のう。あの子供を我が手中に収められればよかったのじゃが。まったく、あんな世界王の腰巾着なんぞの元へ行きおって」


 なんとなく話の流れが読めてきた。ルナセオは政治学はあまり真面目に勉強してこなかったが、歴史を紐解けば、世界創設戦争の時代だって、各々の国で強い兵器を持つことで、他国から攻め入られないように自国を守ったり、他国よりも発言権を持ったりしていたのだと聞く。単純な武力増強というだけではなくて、強い戦力を持つ国はそれだけで容易には攻められなくなる。各国が非常に強力な武力を持っていたから、一時はお互いに攻めあぐねて、むしろかりそめの平和を保っていた時期もあったらしい。抑止力というやつだ。


 このファナティライストの上層部でも、きっと同じことが起きているのだろう。ラファがクレッセを連れ帰ったことで、それが気に食わない他の派閥が、我も我もと巫子を狙っているのだ。この老人の口ぶりを聞くに、彼はラファとは敵対する派閥にいるのだろう。


 これは使えるかもしれない、ルナセオは頭をフル回転して考えた。うまく世界王に近しい派閥に潜りこめれば、世界王に会うことも可能かもしれない。

 であれば、この老人につくのは得策ではない。言動から察するに、彼は世界王とは政敵関係にありそうだ。


 とにもかくにも、まずはこの牢から出ないことにはどうしようもない。そこまで考えて、ルナセオは顔を上げた。

「で、あんたは俺をどうするつもり?」

老人は傍目には穏やかに見える微笑みを浮かべてのたまった。

「生意気な小僧じゃのう。貴様には儂の命令に従ってもらう。4番であれば、気に食わぬ連中の始末には役立つじゃろう」


 この老人は、ルナセオを殺し屋にでもするつもりだろうか。じっとりと汗ばんだ手のひらを隠すように、ルナセオは震える拳を握った。

 ラゼのチャクラムをシェイルに置いてきたのは正解だった。大切な遺品だからと、あれはラディ王子に預けてきたのだ。さすがにこの老人の権力欲のために、あのチャクラムを汚すわけにはいかない。


「まずは躾をしてやらねばのう。その反抗的な目はいかん」

 …だけど、次にそれを握る俺の手は、果たして綺麗なままでいられるのだろうか。

 にいと黄色い歯を見せてわらう老人に吐きそうな気持ちを催しながらも、ルナセオは目を逸らさなかった。怯えた気配だけは、この男には決して悟られたくはなかった。

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